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ブックマーク / elm200.hatenadiary.org (2)

  • 「情報を売る」時代の終焉 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    結論からいうと、もう「情報それ自体を売る」ことはできませんよ、という話だ。新聞社・出版社・音楽会社・映画会社等々、「情報それ自体を売る」ことを生業にしてきた人たちは、そろそろ商売替えをする準備をしたほうがいい。 情報は、質的にカネとは相性が悪く、直接、カネとは交換できない(つまり売ることはできない)。カネはモノと同じく排他性をもっているが、情報には排他性が全くなく、カネと情報は根的に異質なものだからだ。 今日のエントリーはこの論旨を理論的に説明していく。評価経済論の骨格をなす概念なので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。 モノ・サービス・情報、そしてカネ 経済とは、人間にとって価値のある何かしらを生産・分配・消費する過程のことである。 (「カネを媒介としない新しい経済ー21世紀の評価経済論」の図に一部加筆。(5)で禁止マークがカネと情報が直接交換できないことを指し示している) 経済に

    「情報を売る」時代の終焉 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
    GiGir
    GiGir 2012/02/25
    ただのdataの塊には価値はない。しかしinfomation(サービス)とcontents(モノ)の価値とは峻別して考える必要があるだろう。
  • Twitter で投げ銭ができれば、世界が変わるかもしれない - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    気持ちはわかります。気持ちは、ね。 日のためにならない「FREE」礼賛論を疑え! | 岸博幸のクリエイティブ国富論 | ダイヤモンド・オンライン 人類の歴史で、純粋な情報そのものが売買されたためしがあったのかな?私たちはいままで、実のところ、一定のパタンでインクの染み付いた紙の束(書籍)や溝のいっぱいついたビニールの円盤(レコード)を買ってきただけじゃないのかな?もし、情報がそこから離れて自由に動き出したとき、果たして、その変幻自在な、つかみどころのない「情報」とやらを売ることは当にできるのだろうか? でも、昔の人たちは、そんなことを心配する必要はなかった。情報とそれを運ぶ物理的媒体は、完全に一体化していて、実際には、どちらを売っているのかなんて気にする必要がなかったからだ。 しかし、デジタル機器の登場がそんな平和な時代を終わらせてしまった。デジタル機器は、情報を物理的媒体から独立した

    Twitter で投げ銭ができれば、世界が変わるかもしれない - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
    GiGir
    GiGir 2010/03/28
    なぜブログではダメでTwitterなら!と思えるのかを考えるといろいろ面白いよね。情報はつかみ所がないけど、情報を発信する人は掴みようがある。
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