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今朝の朝日新聞に、阪大の研究室が550万円の研究費を「流用」したという記事が出ている。 まるで「風物詩」のように、時々このような記事が出る。その度に、私は二つのことを考える。日本の「官」 の杓子定規の駄目さ加減と、日本の新聞の浅薄さである。特に後者はジャーナリズムの名に値しない。 中には、真に悪質なケースもあるかもしれない。しかし、大抵の場合、研究費の「流用」として報じられるのは、日本の文部科学省、JSTなどの研究費が余りにも使い勝手が悪いことの副産物に過ぎない。 たとえば、秋葉原に行って、実験に必要な器具を臨機応変に現金で購入するということができない。「費目」というのが決められていて、異なる費目に使えない。研究というものは、流動的なもので、当初のもくろみとは異なることにお金を使う必要があることもある。むしろ、そのような研究の方が、ドラマティックな進展が見られることが多い。しかし、予算申請
本当の知性というものは、そもそも、点数で測ることができるものではない。 私の畏友、和仁陽のことを思い出してもそうである。和仁氏は、東京学芸大学附属高校における二年生、三年生の時の私の同級生だった。私たちの年の「共通一次試験」(当時の大学センター試験)の全国一位。1000点満点中、981点だった。 和仁氏の学科の成績がとてつもなく良かったことは事実だし、そのことは、和仁氏の知性の卓越と、正の相関を持つのだろう。しかし、そこのことは、私が二年間クラスメートとして和仁氏と接して感じた彼のとてつもない才能の、ごく一部分に過ぎない。 より和仁氏の本質を示すエピソードは、彼が高校の卒業文集で書いた随想のタイトルである。『ラテン民族における栄光の概念について』。他の人が、高校生活の思い出などの普通のテーマについて書いているのに対して、和仁氏が選択したこのテーマの中に、彼の世界観、哲学がいかんなく反映され
人は「他人のため」と思って行動した方が、エネルギーも出るし、良質の仕事ができる。 若い時は、自分がなんとかなろう、自分が幸せになろう、と思いがちだが、「自分」というのは世界に一人しかいない。だから、一人分のエネルギーしか出ない。 一方、さまざまな人のために、と思えば、もっと多くのエネルギーが出る。不特定多数の人のためにがんばろう、と思えば、限りないエネルギーが引き出される。 もう一つ大切なこと。「自分」がどんな人間かはわかっている。何を好み、何を求めるかもわかっている。だから、自分のために何かをするのは比較的やさしい。 一方、「みんなのために」という場合は、その「みんな」の中には、様々な人がいる。好みも、性格も、年齢も、文化的バックグラウンドも全て違う。だから、「みんなのために」と思って何かをやろうと思えば、そもそも多様な人間の共通点とは何なのか、「普遍的人間」(universal hum
週刊ポスト 2010年4月16日号 脳のトリセツ 第37回 足を引っ張り合う日本人 停滞するだけの理由があるのに、それを修正する能力がない……日本は今、〝鄧小平以前〟の中国のようだ。 抜粋 「失われた10年」が「失われた20年」になろうとしている日本。実質経済成長率こそ、何とかプラスを確保しても、名目値が減少する「デフレ」が続いている。中国経済に勢いがあることは慶賀すべき事として、日本経済がもう少し元気だったら、世界第二位の経済大国の地位をこんなに簡単に明け渡すこともなかったろう。 ひょっとしたら、日本は今、鄧小平氏が「改革開放路線」を実施する前の中国のように、自らの内側に発展を阻害するさまざまな要因を抱えてしまっているのではないか。このところ、そんなことを考える。 少子化が進む日本にとって、優秀な外国人の活力を生かし、外国からの投資を促すことは不可欠である。果たして、日本は外国から見て魅
インターネットの普及によって、人々は、「拡散的思考」には慣れているように思う。 あるキーワードで検索すると、あるものが引っかかってきて、その連想で、次から次へとリンクを辿っていく。 あるいは、twitterのタイムラインをチェックしてみる。携帯のメールを見る。 そのような拡散的なモードは大事だけれども、一方である一つのことに深く集中し、沈潜していくモードも大切である。 深く集中する時には、思い切ってリンクを切って、孤立しなければならない。孤立と拡散のコントラストこそが、ダイナミクスのバランスを回復する。
茂木健一郎が吠えた。 一生を賭けても悔いない 自分だけの突き進む世界をもてと。 傷つかない場所に自分を置いて 正論を吐くなと。 他人からの借り物の言葉ではなく、 自分自身の言葉で話せよと。 茂木の怒りは、つまりは、大きな人類愛だ。 茂木、ひとり 対 観衆300〜 誰ひとり、茂木に対論する者はいなかった。 もちろん私を含め。 ”俺の言葉を打ち返せ!” と茂木は吠える! 沈黙。 そう、だから来年の私のテーマは 「言葉の筋肉を鍛えること」 強靭な言葉を打ち返す為に、 弛緩している筋肉を たるんでいることにさえ気づかない 未だ使われたことのない 言葉の筋肉を 床を相手に、言葉を相手に、 私は腹筋する。 私の中にもきっと潜んでいる大きな愛に目覚める為にも… 私は言葉の筋肉を鍛えたい。 昨夜の、 KATHYに、 阿部海太郎に、 青柳拓次に、 cro-magnonに、櫻井響に、 すべての出演者たちに、
桑原茂一Diaryに、先日の私の愚行に ついて書かれている。 うーん。思いだしてもヤッチマッタ感が 募る。シャワーを浴びている時など、思わず うゎつ! と叫んでしまいそうだ。 私の大切な友人たちには、一人として 例外ない特徴があると気付いた。 それは、魂の芯に、激烈なるものを 持っていること。 桑原茂一さんも、そのような人である。 あと、名前をあえて挙げないが、 ぼくの親友のキミタチ、胸に手を 当てればそこにいまにも爆発しそうな なにものかがあるということを、首肯 するであろう。 田森佳秀にせよ、数学のことしか 考えていないようで見えて社会的なことを 含め頑固一徹者だし。 以前、授業を一度だけ聞いたことが ある。その時、田森は、あるシステム管理者が ユーザーの一人がメールを不適切な使い方を したからといって、全アドレスを使用停止に したことに対して激怒していた。 「いいですかみなさん、メー
将棋の棋士は、対局が終わったあとに 「感想戦」を行い、ここが勝負の 分かれ目だったとか、ここが失着だった などと振り返る。 過去の自分の経験を振り返って、 「こうすれば良かった」と認識するのは 脳の使い方としてとても興味深い。 「後悔」(regret)するためには、 現実(factual)と反現実(counterfactual)を 比較して認識しなければならない。 「失望」(disappointment)をするためには、 単に事実を認識すれば足りる。 一方「後悔」するためには、実際に起こった ことだけでなく、「起こったかもしれないこと」を 認識しなければならない。 大変高度な脳の働きである。 人間というものはやっかいなもので、 何かで失敗したりすると、それが起きた という事実自体を振り返るのがイヤに なる。うまくいかなかったこと自体を 否認しようとしたり、あるいはなるべく 考えないようにし
以下、NHKプロフェッショナルで放送された茂木健一郎スペシャルの番組中にとった走り書きメモです。今回もすばらしい内容でした。最先端の研究内容を、実学に応用する具体法をどんどん伝えてくれる番組がこれからも続くとよいですね。 脳 大人の脳も使い方で大きく変わる 脳はわからないことも多いし、個人差もある 記憶 脳の働きは暗記だけではない。暗記はとっとと終わらせればいい 効率の良い暗記法 記憶のメカニズムを理解すべし 記憶には、長期記憶と短期記憶がある 暗記とは、短期記憶を長期記憶にすること 鶴の恩返し勉強法 ポイント テキストから目を離して思い出しながら書く 何度も声に出して書く 声を出して読み上げながら文字を書き出す 長期記憶を入れておく側頭連合野は見たり聞いたり触れたりといった五感を司る 自分の声を聞き、自分で書くことで、側頭連合野は活性化される ノートに書き出すときに、テキストを伏せ、言葉
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