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2006年3月19日のブックマーク (7件)

  • カー「歴史とは何か」

    *最近、この読書ノートの改訂版を、拙著『《20世紀史》を考える』勁草書房、二〇〇四年、に第一一章、一二章として収録した。しかし、元のノートと改訂版の間には若干の異同があるので、このノートは元のままの形でここに残しておくこととした(二〇〇四年五月)。 いうまでもなく歴史研究入門の古典中の古典である(1)。私は若い時期にそれほど大量の古典を読まなかった人間だが、書については、大学入学後まもない時期に読んだ。正確な時期や印象などについては記憶がおぼろになっているが、およそ一九六〇年代末のことであり、書が元来刊行されてから数年後ということになる。それ以来、何度となく折りに触れて読み返したが、特に全体を精読したのは一九八〇年代末頃(これも正確な時期については記憶が曖昧になっている)と今回(二〇〇〇年)とである。およそ二〇年ぐらいおきにきちんとした再読に取り組んだということになる。 一九六〇年代に

  • Le Monde - Toute l’actualité en continu

  • A Man Without a Country by Kurt Vonnegut

  • fenestrae E.モラン、S.ナイル、D.サルナヴ「イスラエル-パレスチナ問題という癌」

    2002年6月4日づけのル・モンドでエドガール・モラン、サミ・ナイル、ダニエル・サルナヴの3人は連名で「Israël-Palestine : le cancer イスラエル−パレスチナ問題という癌」という記事を発表した。この記事を以下に訳出紹介する前に、それが置かれた時代的、社会的文脈を少し確認したい。 2000年7月末の中東和平キャンプ・デイヴィッド首脳会談の失敗、同年9月のアリエル・シャロン(当時野党のリクード党党首)のアルアクサ・モスク訪問をきっかけに、パレスチナ・イスラエル間の新たな大規模衝突−−パレスチナ側の抵抗に焦点をあてれば第2次インティファーダ−−がはじまった。紛争は、緊張増加を背景とするイスラエル国内世論の支持を得て翌年首相に選ばれたシャロンの強硬な治安策強化・軍事行動と、それと対になって増加する爆弾テロで休むことなく激化し、 2002年4月のイスラエル軍によるジェニン難

    fenestrae E.モラン、S.ナイル、D.サルナヴ「イスラエル-パレスチナ問題という癌」
  • 『暴力の哲学』 - Arisanのノート

    そのときから五百年生きてるのは そのような砦や 濠をめぐらした聚落が すぎ去った歴史の中でなく 消えぬ痕跡を残して いまもあるということやろう おれも、おれの仲間も一日に十里は走れる足を持っていて いまも駆けている 倒れてもまた起ち上って駆けている 石山から久寶寺へ 平野へ、堺へ あのときもアザミが咲いていたこの河原の土堤のほとり、富田林へ (小野十三郎 「環濠城塞歌二番」より  思潮社 現代詩文庫『小野十三郎詩集』) 暴力の哲学 (シリーズ・道徳の系譜) 作者: 酒井隆史出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/05/21メディア: 単行 クリック: 86回この商品を含むブログ (54件) を見る 著者の酒井隆史さんという人は、たしか大阪の南部、堺とか富田林の方にある学校の先生で、ぼくより少し若いぐらいの年の人だ。 以前から読みたいと思っていただが、やっと読んだ。 長文注意

    『暴力の哲学』 - Arisanのノート
  • 私の知らない「本心」をたーんとご批判くださる。 - finalventの日記

    私の知らない「心」をたーんとご批判くださるわけだが。 ⇒traviesoの走り書き - 歴史と自由(1) 偶発的事件でなければ、「戦後のドイツ人のように、祖父母・曾祖父母の罪をきちんと暴いていかなくてはならない」(そういえば、ここでは「戦後のドイツ人」が直喩で使われている)というfinalvent氏だが、心は「そうした問題を持ち出さず民族間の軋轢を減らす努力こそが求められるのではないか」というところにありそうである。 いえ、私は歴史研究に対しておそらく冷酷ともいえる立場を取りますよ。 あなたが、きちんと、関東大震災における朝鮮人虐殺を歴史的に取り上げるなら、私はそれをきちんと吟味します。 しかし、あなたや、あなたちは、それをしていません。 traviesoさんに至っては、ルワンダの歴史すら考慮していません。私の言説をずたずたにしてその像に批判の言葉を投げかけているだけで、歴史性に眼を向

    私の知らない「本心」をたーんとご批判くださる。 - finalventの日記
    Gomadintime
    Gomadintime 2006/03/19
    ブクマコメントのほうも色んな意味でショックでかい
  • 殺人の誘惑と情熱の間 投げつけられたチーズサンド | 性・宗教・メディア・倫理

    “日でも関東大震災の朝鮮人虐殺からまだ百年経っていないのだ。” 『ホテル・ルワンダ』パンフレット 町山智浩著 http://d.hatena.ne.jp/kemu‐ri/20060304/1141410831より (1) 1923年9月6日、震災から6日後、千葉県東葛飾郡福田村。 午前10時ころ、5家族15人の行商の一行が、利根川の渡し場に着く。 渡し場で船頭と渡し賃の交渉にあたっていた一人のほかは、6人が神社の鳥居近くに、9人が15メートルほど離れた雑貨屋付近で涼をとっていた。 交渉にあたっていた一人に「言葉がおかしい」「朝鮮人じゃないか」との疑いが向けられた。村の半鐘がならされ、駐在所の巡査と福田村の自警団、隣村の田中村の自警団が集まった。 君が代を唄わされるなど、一行は取り調べを受けた。 不審感が拭われず、巡査は庁の指示を仰ぐために現場を離れた。 行商一行と自警団との間のやりとり

    殺人の誘惑と情熱の間 投げつけられたチーズサンド | 性・宗教・メディア・倫理