タグ

jkondoに関するGriffinのブックマーク (22)

  • 滋賀を満喫、トレラン整備構想 琵琶湖眺め比叡山、伊吹山:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

    山野を走るトレイルランニング(トレラン)の愛好家らが、滋賀県を一周する大会の二〇二一年開催を目指し、準備を進めている。大会は京都、福井、岐阜、三重の四府県との境を通る全長四三八・五キロ(累積標高差三万七百六メートル)を八日間で走る。財団法人日トレイルランニング協会の杉憲昭会長(79)は「全大会を把握し切れていないが、実現すればおそらく国内最長のコース」と話している。 発案したのは、大津市唐崎の成田直隆さん(48)。京都市のアウトドア用品店で働くかたわら、一七年に京都でトレラン大会を企画。滋賀でも開こうと、仲間に持ち掛けた。翌年五月、十人でNPO法人滋賀一周トレイル(大津市)を立ち上げ、構想を練った。 コースは、大津市の大津港を発着し、既存の登山道をつなぐ形で時計回りに滋賀を一周する。京都市を一望する大文字山や比叡山、琵琶湖西岸の比良山系を通って北上し、福井県境の登山道「高島トレイル」(

    滋賀を満喫、トレラン整備構想 琵琶湖眺め比叡山、伊吹山:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
  • 2012年に向けて - jkondoの日記

    2012年が始まりました。明けましておめでとうございます。 新しい年を迎えるに当たって、2011年を振り返り、そして、2012年に向けてやっていきたいことをまとめておきたいと思います。 2011年は自分の人生の転機であり、はてなの転機になりました 25歳ではてなを創業してからちょうど10年目にあたる2011年は、僕自身にとって、そしてはてなという会社にとって大きな転機になりました。 僕自身にとって一番大きかったのは、人との関係を見直す事になったことです。人生最大の転機とも言えるような年になりました。そして会社にとっては、これからの成長に向けて準備が整う年になりました。 絶望の淵から 2010年の暮れ、はてな社内は今から思うとかなり危機的な状況にありました。新サービスのローンチに失敗し、がっかりする気持ちが社内に蔓延していました。経営と現場、そして取締役会との間に意識のギャップがあり、お互い

    2012年に向けて - jkondoの日記
  • 僕とはてな - jkondoの日記

    人力検索はてなのアイデアを思い付いて、会社を作ろう!と思ったときに、当にアイデアがうまくいくと思ってくれた人は誰もいませんでした。 検索エンジンでうまくキーワードを組み合わせて知りたい情報を探す、みたいな超絶(?)テクニックを、父親やこれからインターネットを始める人が全員習得しなくてはいけないのか、と思うと僕は気が遠くなりました。もっと人に優しい検索手段がないとダメだ!インターネットはもっと楽しく便利にできる!と思い、そのための方法を夢中で考えました。 他の人に文章で訊ける、という人力検索のアイデアを思い付き、質問を有料にして手数料で儲ける、というビジネスモデルを考えました。周りの人は誰もうまくいくとは思ってくれませんでした。身近な人で、一緒に手伝ってくれる人でさえ、「まあこいつがやるなら一緒にやるか」くらいの感じでした。 結果的には周りの人間が正しかったです。人力検索サイトをオープンし

    僕とはてな - jkondoの日記
  • 近藤淳也 on Twitter: "はてブよりソーシャルゲームじゃなかったのかセニョール / “HBFav というはてなブックマーク iPhone アプリを作りました - naoyaのはてなダイアリー” http://t.co/yl9Pxtdp"

    はてブよりソーシャルゲームじゃなかったのかセニョール / “HBFav というはてなブックマーク iPhone アプリを作りました - naoyaのはてなダイアリー” http://t.co/yl9Pxtdp

    近藤淳也 on Twitter: "はてブよりソーシャルゲームじゃなかったのかセニョール / “HBFav というはてなブックマーク iPhone アプリを作りました - naoyaのはてなダイアリー” http://t.co/yl9Pxtdp"
  • 東北を巡った - jkondoの日記

    1995年1月、大学1年生の冬に阪神・淡路大震災が起きた。 たった数時間で現場に行ける京都にいながら、結局僕は一度も現場に行かなかった。 時を経て、震災の話が出るたびに、「なぜ自分は現場に行かなかったのだろう」と思うようになった。 恐らく何かに忙しかったんだろう。 しかし今考えみれば、それほど重要な用事があったとも思えない。 自分は小さな世界の中にいた。 2011年3月、東日大震災が起きた。 新聞記者をやっている友人が現地の取材のためにしばらく仙台勤務になった。 転勤の挨拶メールに、「そのうち必ず行くので会おう」と返事をした。 同僚のYさんが東北の海岸を車で巡った。 南三陸のホテルは元気に営業しているからぜひ行くと良い、と会社のみんなに紹介をしていた。 大学時代の友人が仙台の近くの被災地を巡り、写真を送ってきた。 みんなにも知って欲しい、と訴えていた。 東北大学の学生チームが、TEDxT

    東北を巡った - jkondoの日記
  • はてなの社長だけど何か質問ある? | ○○だけど何か質問ある?beta

  • スティーブ・ジョブズ - jkondoの日記

    木曜日の朝、僕は自宅で新しくAppleCEOになったTim Cookはどんなプレゼンをするんだろうか、と思って前日行われたキーノートスピーチをビデオで見ていました。 それから会社に移動し、30分も経たない間にスティーブ・ジョブズが亡くなった事を知りました。 既に痩せ細った姿が報じられ、いずれは、という事は感じていたものの、実際にそれが起こってみると、体の力がすーっと抜けていき、うまく体に力が入らなくなりました。 正直なところ、なぜ自分がそれほどまでにショックを受けているのか、最初は分かりませんでした。 アメリカのとある会社の社長が亡くなったことで、どうしてこんなに自分はショックを受けているんだろうか。 最初に思ったのは、自分が毎日Apple製品に触れているということです。 ここ数年、電話はiPhone、パソコンはMacbook Airです。 以前にPower MacMacbook Pr

    スティーブ・ジョブズ - jkondoの日記
  • 1000万ユーザー規模のサービスを京都から--はてな近藤氏が目指すもの:インタビュー - CNET Japan

    2008年4月、はてな社を京都に移転した。インターネットサービス開発のための人員を結集し、京都社をものづくりの拠点とする計画だ。これまでHatena Inc.立ち上げのために米国で活動してきた代表取締役の近藤淳也氏も活動拠点を京都に移し、サービス開発に集中している。 今回の移転の背景には、海外で事業を立ち上げること、海をまたいだ複数拠点で会社組織を動かすことの難しさがあったというが、近藤氏は前向きだ。もともと10年ほど住んでいたという京都は、「新しいというよりも懐かしいという感じで、環境的にはやっぱり良い」と語る。 新生はてなは今後、京都からどのような価値を生み出していくのだろうか。近藤氏に聞いた。 新しい仕組みは、おかしなことを考え続けないと出てこない --京都という環境は、開発にいい影響を与えていますか。 うん。影響していますよ。集中できるという意味ではすごいできますし、こうして

    1000万ユーザー規模のサービスを京都から--はてな近藤氏が目指すもの:インタビュー - CNET Japan
  • 猛烈なアウェー感 - jkondoの日記

    関西在住経験のない社員たちの間で「猛烈なアウェー感」という言葉が流行りだした。もともとid:kossyが言い始めたのだが、どこを歩いても関西弁なので、アウェー感を感じるらしい。夜中に町を歩いていると関西弁で客引きされるのが怖いとか、店に入ると関西弁で接客されるので遠慮してしまうとか、関西弁が英語に聞こえるとか、そんな声が聞こえてくる。 僕はまるで何も感じなかったというか、さすがに10年も京都に住んだことがあると初日に少し懐かしい感じがしたくらいですっかり慣れてしまっている。(というか最近関西弁と関東弁がそれほど違うように感じなくなっている。英語と日語に比べれば大した変わりはないし、自分が何弁か分からない言葉になっているせいもあるように思う) アウェー感を感じる代わりに、自分は「ああ、京都ってこういう場所だったなあ」といろいろ再発見をする毎日だ。まず周りの人がなつっこい。サービスエリアで止

    猛烈なアウェー感 - jkondoの日記
  • 下げてから上げるネット世論 - jkondoの日記

    はてなの京都移転を2月14日に発表してから2週間が経過した。通常では考えられないほどたくさんの感想や意見を頂いている。未だに今回の移転に関したブログのエントリーなどが続いており、これには正直驚いている。それだけはてなに期待を頂いているということだと思うし、今後魅力的なサービスを送り出すことでその期待に応えていきたいと思う。 ところでネット上の反応には「下げてから上げる」というパターンが見られると思う。最初条件反射的に批判的なものを含む感情的なコメントがたくさん見受けられ、その後に肯定的なものを含む理性的な批評的意見が現れるというパターンがあるのではないか。それなりに新規性があり、且つ、論ずるに値するだけの価値があると思われる話題については、ネット上でこのパターンがよく現れると思う。 あえてはてなの話題を外して過去の例で言うと、例えばJR西日の事故でJR職員が現場をあとにして出社したという

    下げてから上げるネット世論 - jkondoの日記
  • はてなの近藤社長はシリコンバレーでどんな問題に直面したのか? - 分裂勘違い君劇場

    近藤さんは、シリコンバレーで世界に通用するサービスを作ろうとした。 英語圏向けのサービスを。 サービスは一人では開発できない。 一緒に開発してくれる優秀なエンジニアが必要だ。 近藤さんに言われたとおり実装するだけの、イエスマンエンジニアではだめだ。 仕様の細部まで親身になって話し合いながら一緒に開発していく、企画センスも兼ね備えた頭の切れるギークが欲しいところだろう。 英語圏向けのサービスを開発するのだから、当然、英語圏の空気の読めるエンジニアが望ましい。 そこで近藤さんは、現地でそういう人材を採用しようとしたのではないか。 しかし、シリコンバレーでそういう優秀なエンジニアを採用するには、いくつもの問題をクリアしなければならない。 まず、具体的なWebサービスの企画が必要だ。 いくらシリコンバレーのギークたちが、梅田望夫さんのいうようにお互い褒めあい、陽気にオプティミズムを貫いている人たち

    はてなの近藤社長はシリコンバレーでどんな問題に直面したのか? - 分裂勘違い君劇場
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (1/2) - ITmedia News

    「最低2~3年はいる」。そう言って日を出、米国シリコンバレーに飛び込んだはてなの近藤淳也社長が、1年半で日に帰ってきた。この4月、はてな社を東京から、創業の地・京都に移す。 米国でやり残したことは、たくさんある。それでも日に戻ると決めた。日の京都から、世界に通用するネットサービスを作りたい。任天堂が京都から世界に、「Wii」を送り出したように。 米国では「これから」だったが…… 2006年7月、米国シリコンバレーに設立した子会社Hatena.Inc。オフィスを構え、近藤社長はの令子さん、開発スタッフと3人で、現地に移り住んだ。 第一線のWebエンジニアが賞賛しあい高めあう、シリコンバレーが好きだった。渡米した直後に参加した、Webアプリのイベント「Future of Web Application」。「digg」や「WordPress」開発者がヒーロー扱いされるのを目の当たり

    米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (1/2) - ITmedia News
  • はてなが京都に戻る? ふふふ予定通りや - *mohri++

    id:jkondoがシリコンバレーから帰ってきてそのままはてな開発陣ごと京都に戻っちゃうというのでちょっとした話題になってます。 参考→ とりあえず京都移転反応まとめ - 妄想科學日報 で、割と驚いてたり「なんで?なんで?」って言ってるひともいるみたいですけど、id:tomozo3さんも指摘してるように(d:id:tomozo3:20080215:1203047031)、2年前に出た『「へんな会社」のつくり方』にまったく同じこと言ってるんですよね。なんかそのときのまんまなので逆に近藤さんらしいブレの無さだなあと笑ってしまいました。 「へんな会社」のつくり方 (NT2X) 作者: 近藤淳也出版社/メーカー: 翔泳社発売日: 2006/02/13メディア: 単行購入: 62人 クリック: 1,985回この商品を含むブログ (1100件) を見るせっかくなのでそこの部分をちょっと引用してみまし

    はてなが京都に戻る? ふふふ予定通りや - *mohri++
  • 近藤の帰国、そして、はてな本社の京都移転 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    近藤が帰国することになって、シリコンバレーも寂しくなる。 でも、このたびの大きな決心をした近藤に僕が言ったのは、 「格好悪いけど正しい判断ができるのは、えらいことだよ」 ということだった。 以前も書いたように、近藤はこの地で当に一生懸命生きた。しかもとてもユニークなやり方で。それを目の当たりにしていた僕も大いに刺激を受けた。むろんまだ彼はその成果を成功に結びつけることができていない。でも何かをつかんだのだろうと僕は信じる。そしてそのあらわれの第一歩が「自ら陣頭指揮して京都でものづくりに専心する」という彼の決心だ。 志は、大きければ大きいほど、そう簡単には実現できない。いちばん大切なことは、志を高く持ち続けて、粘り強く、いつまでもやり続けることだ。ドグマや理念に殉じて無謀な勝負に大きく賭けるのではなく、少しでも成功の可能性の高い方向を求めて、たゆまぬ現実的な試行錯誤を続けることだ。はてな

    近藤の帰国、そして、はてな本社の京都移転 - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 京都 - jkondoの日記

    この春にはてな社を京都に移転するという発表を行った。今回の渡米は一週間で家の引越しを行い、日に戻るために来ている。reikon、しなもんも共に週末には日に戻る予定だ。京都オフィスの格稼動は4月からだが、僕は3月には京都に入って新社立ち上げの作業に関わる。京都オフィスは烏丸御池に構えることが決まっている。 アメリカに来た際、少なくとも3年くらいはここに居て、地元の人も雇って開発を行っていきたいと考えていた。だから、こちらでやりたかった事でまだ達成できていない事はたくさんある。実際にアメリカに来てみて、新しい国での事業と、日の事業を同時に執り行うことの難しさを実感する中で、今後の方針について随分考えた。自分の事だけではなく、社員の生活や、実現可能性などいろいろな問題について考えたが、最終的には日に戻り、京都へ行くという判断をした。 アメリカでやろうとしていたことが、日からはで

    京都 - jkondoの日記
  • はてなダイアリーで絵が描けるように - jkondoの日記

    はてなダイアリーで簡単に絵が描けるようになった。 設定画面で「その場編集」モードを選択すると、お絵描きをして簡単に貼り付けられる。 今見えている景色を描いてみた。我ながら下手くそな絵だけど、こうやって思いついた瞬間にぱっと絵を描けるのは便利だ。別に絵じゃなくても、人に何かを説明するのにも重宝するように思う。 たとえばこんな風にして、相手に絵じゃないとなかなか伝わらないような説明をするのにも便利そうだ。 そう言えば「絵を描いてください」というと、「自分には絵心が無いから」といって絵は描けない、という人が結構居る。そう言う自分も「とてもじゃないが自分は無理」と思っていたクチなんだけど、はてなハイクやワールドで下手くそな絵を描いても誰からも何も言われず放っておいてもらえる経験が続いて、ああなんだ、てきとーに描いてりゃ良いんだなとなんとなく吹っ切れた感じがある。 絵というのは文字よりも昔に生まれて

    はてなダイアリーで絵が描けるように - jkondoの日記
  • jkondoの日記 - お盆、祭り、死

    今年の夏は、自分のビザの更新が少し手間取ってしまい、意図せず日に長く滞在することになりました。現在はアメリカに家があり、日にちゃんとした家がない僕は、結局実家に行ったり、会社のオフィスと兼用のマンションで過ごす事になりました。 8月に入ると、はてなに長く勤めてくれた社員が今月いっぱいで独立して起業する、という話が出て、それは素晴らしい挑戦だ、応援したい、頑張って欲しい、と言いながらも、やはりこれまで長く一緒にやってきた人が居なくなる事を受け止めるのには時間がかかり、その過程で色々な対話をし、改めて自分の仕事や、今の会社を見直すきっかけになった気がします。 8月は自分自身も社に身をおいて、社内の色々な人と直接対話をしながら仕事をし、そしてお盆には5日間のツール・ド・信州という自転車のイベントを行いました。 アメリカでの生活とは比べ物にならないくらいたくさんの人と接したこの夏は、まるで全

    jkondoの日記 - お盆、祭り、死
  • 日本に来ました - jkondoの日記

    久しぶり日に戻りました。今回は2月から4ヶ月ぶりの来日なのですが、ようやく少しアメリカの環境にも慣れてきたせいか、これまでの来日とはまた違う感想を持ちました。今回は電車に乗ったり街を歩きながら東京の街って温泉旅館みたいだなあと思いました。入り口でを脱いで浴衣で歩き回っているような温泉旅館的なゆるさというか安心感というかを感じました。狭い街を人がたくさんぶらぶら歩いている感じとか、人の表情にアメリカ人が持っているような野性的な緊迫感みたいなのが全く無くて、安心しきっているというか、ゆったりしているというか、そういう感じがします(やけに湿度が高くて暑いという要因もあったのかも知れませんが)。電車の中でぐうぐう寝ちゃっている人とか多いし。アメリカはなんとなくいつも「自然」とか「生と死」というのを感じるので、そういう環境に対する緊迫感があるのと、あとはやはり主張の強い人々が大勢いるので自分も言

    日本に来ました - jkondoの日記
  • jkondoの日記 - 逃げ込め、好きを貫け、未来を作れ、ひきこもれ

    この人たちは同じような事を言っていると感じた。共感します。 逃げ込む暗い洞穴を間違いのないかたちで 見極めることで、人は大成できる。 逃げてもいいんだ。 ただし、自分のライフワークの中に逃げよ。 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/2007/03/post_6312.html 「好きを貫く」には、「好きを探し続け」、「好きを極め」、「必要なら軌道修正して新しい「好き」を極め」「好きで飯をえるようになってサバイバル」しなければならない。 http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070331/p1 もっと使えよ、会社を。勘違いするなよ。オレは会社にたかれ、て言ってるんじゃないぞ。自分が成長するのに役立つものは何でも利用しろって言ってるんだぞ。たかったら自分は成長できないからな。 http://blog.l

    jkondoの日記 - 逃げ込め、好きを貫け、未来を作れ、ひきこもれ