アイデアをまとめた報告書(『EDVACに関する報告書の第一草稿』、以下単に草稿とする)がジョン・フォン・ノイマンによって書かれたことに由来する。これを、アイデアを草稿としてまとめたノイマンに名誉を与えすぎ、実際にマシンを開発したエッカートとモークリーを軽視している、との見方があるとして、ノイマン型という用語を使わない者もいる[2]。 モーリス・ウィルクスの残したところによれば、自伝では、ENIACに関連する情報が軍機の下にあるのが普通だったのに、草稿がその保護に入らず、多くの人がノイマンを発明者だとみなしたことは不公平な結果だったとし、ノイマンの参加以前に本質的な先進があった[3]とする。一方、チューリング賞講演では、数値データと命令を同じ記憶装置の中に置くのは不自然である、とか、そのために必要な遅延記憶装置は信頼性に欠ける、といった新規技術への疑念[注 1]に対し、物理学者として、また数
