「俺のソースだから」というプログラマは死んだらいいのに - 神様なんて信じない僕らのために に関連して,Twitter で「車輪の再発明」の意義について少しやり取りをしていました. プログラマが避けて通れない道の一つに「車輪の再発明」があります.私自身が公開している CLX C++ Libraries を見ても「それ Boost で(ry」の嵐で,あの時は勢いで公開してしまった.正直,後悔している.できればなかった事にしてリストから消してしまいたいと言うものもたくさんあります. このように数多くのプログラマが「車輪の再発明」の罠に悩まされているのですが,車輪の再発明(より正確に言うと,車輪の再実装)にはそれなりに意義もあります.そこで,リンク元の記事の意図とはずれそうですが,今回は車輪の再実装の意義について. 再実装は背景を理解する作業 車輪の再実装の利点の一つとして,既存の実装(のインタ