タグ

リテラシーと編集に関するHebiのブックマーク (3)

  • 「もし○○が本当だったら許せない」メソッドのリテラシー不足:沖縄防衛局長「犯す」発言問題[絵文録ことのは]2011/11/30

    防衛省の田中聡沖縄防衛局長が「(女性を)犯すときに『これから犯しますよ』と言うか」という趣旨の発言をしたとして更迭される事態になった。 しかし、この報道を見ていてわたしはこわいと思った。なぜなら、この発言は「報道陣との酒席での、報道を前提としない非公式発言」と報じられている。つまり、マスメディア関係者しかいない密室での発言である。このような難しい状況での発言について、テレビのニュースなどでも「当にその発言はあったのか」「あったとして、その正確な表現は何だったのか」「前後のやりとりはどういうものだったのか」「誘導はなかったか」というような検証がまったく抜け落ちている。 それどころか「こういう発言があったということなんですが、どう思われますか」「許せませんね」という街頭インタビューを行なっている。「もし○○が当だったら許せない」という先取り批判メソッドは、リテラシーの観点からいっても決して

    Hebi
    Hebi 2011/11/30
    リテラシー以前に、感覚として、居酒屋の非公式懇談を報道して人ひとりの進退が決まるなら、もっと大事になるような発言してる人たくさんいるだろうに、と思う。人ひとり殺せば殺人者、たくさん殺せば英雄、ですか。
  • 【第4回】まん延するニセ科学と、対峙する科学者たち

    読者の皆さんは、去る12月19日、NHKの「視点・論点」という番組で、大阪大学の菊池誠教授が、「まん延するニセ科学」と題して、ニセ科学の問題点や来の科学との違いについて語ったことが、ネット上で大きな話題となったことを知っておられるだろうか? もともと、一見科学的な装いをまとった非科学的な主張も、科学の発達と平行するかのように次々に現れ、そのまま生き残ってきている。中世ヨーロッパにおいては占星術と天文学は不可分だったし、血液型性格診断のようにいまだに科学的だと思いこまされてしまっている人が多いものもある。こう言えば、菊池氏が言うところの「ニセ科学」とはどういうものか、だいたいのイメージはできるだろう。 こういったニセ科学は、英語では「pseudoscience」と呼ばれ、従来は「疑似科学」という訳語をあてられることが多かった。だが、1999年に翻訳されたマイクル・シャーマーの著書「なぜ人は

    【第4回】まん延するニセ科学と、対峙する科学者たち
    Hebi
    Hebi 2007/02/03
    morutanさんのコメントがとても気になる。あるいは学術情報のテレビ番組化に伴う演出のさじ加減
  • まとめサイトはいらない

    (タイトル変更しました) 何かを始めようとするときにまずはいろいろ調べまくってその対象の全体像(経緯、歴史、現状、バリエーション、評判など)をつかんでそれを自分なりにまとめて理解するということから入ろうとする癖がある。今風に言うと「まずまとめサイトを作る、そうしないと何も始められない」というまとめサイト脳なのか。なんかよくない。そういうメタ的な位置に立つことで優位に立とうとする頭でっかちさとかがくだらない。この癖は多分受験勉強で培われたものなんだろうなー。大体の場合、まとめを作っている間に飽きてしまったり、「全然楽しくないな、俺なんでこんなことやってんだろ」とか思っちゃったりするんだよな。とりあえずブクマするとかも同じ。読み切れないくらいブクマして何も使わないの。 自分で処理しきれないほどの情報なんて意味がないんだよね。ついつい「KJ法」とか「マインドマップ」とか「手帳を変えると仕事が3倍

    まとめサイトはいらない
    Hebi
    Hebi 2007/01/11
    まず情報を集めて全体像を把握するのは正しいアプローチだと思う。基本はそれで、少し絞った方がいいなぁと思ったときに制限するというメリハリつけるといいかもしれない。
  • 1