単純に、擬態が辛い!ということではなく、それによって無意識に自分や誰かを傷つけてしまって辛いというお話…だと思う。 資生堂の花椿で連載中です。
ここ最近、無料で漫画が読めるWEBサイトの「comico」について、ツイッターのTLでちょいちょい話題になっていたので、関連ツイートをまとめてみる。 comicoのチャレンジ作品「からかぶり人間同士」が規約に触れたとかで公開停止になってる… 何か気のせいかBLや百合系の作品が次々と消えたり公開停止になっているような? 先日もチャレンジ作品の投稿に対して『同性同士のキスは猥褻だから削除対象』と言っていたし、それ関係?— SOUL-JAZZ SOLDIERS (@WALLLESS_LILY) 2015, 3月 10 comicoざっと検索した感じ、グロOK、男女間のキスシーンOKなのに同性間(男同士)のキスシーンがある作品は削除されてるみたいですね。すごいな……(呆れてます)— 松倉東 ☂ 激戦観たい (@Azuma_Matsu) 2015, 3月 14 comicoの矛盾。comicoは投稿
【※追記】 「境界のないセカイ」はKADOKAWAさまの月刊少年エースに連載移籍が決まり、単行本もKADOKAWAさまから発行されることになりました。 応援下さいました皆様、ありがとうございました! 「境界のないセカイ」は本日公開の第15話をもってマンガボックスさんでの連載を終了することになりました。 これまで本作を楽しみにして下さっていた皆様、力及ばず申し訳ありません。 この先話が長くなるのでまず要点を先に書きますと。 ①「境界のないセカイ」の講談社からの単行本発売はなし ②「境界のないセカイ」のマンガボックスでの連載は15話で打ち切り ③「境界のないセカイ」企画の再建先を募集中 ④「境界のないセカイ」以外でもお仕事募集中 ……ということです。 連載中止の理由ですが、講談社さんからの表現上の問題から単行本発売中止決定し、これによりマンガボックスさんが本作で収益をあげられる見込みがなくなっ
2014年02月13日03:16 カテゴリ なぜ魔美ちゃんはハダカなのかTweet 『エスパー魔美』を読み返した。藤子先生の作品で育ったぼくにとって、中でもこのマンガは特別なものだ。なんせ準主人公の高畑くんは、勉強できるけどスポーツはからきしダメ、風采にも特筆すべき点はないのに、ヒロインのかわいい魔美ちゃんに好意を寄せられるのだ!この設定はぼくらに生きる希望を与えたものだった。 そしてなんといっても魔美ちゃんのハダカだ。どれだけこれにドキドキしたことか。「エスパー魔美」は希望以外のなにかをもぼくらに与えたのだ。 ■ハダカ全カウント で、あらためて読み返したら、やっぱりハダカだ。すげーハダカ。隙あらば脱いでる感じ。全話で脱いでいるわけではないが、コンスタントに裸体を披露している(後半で大人のヌードモデルが登場し、魔美ちゃんが一時脱がなくなるが)。少年マンガでこれだけ全裸が登場する作品もめずら
あまりにヒドい状態のわが部屋。これは万が一カレシが出来たとき非常にマズい! ってんで数年ぶりのお片づけをしてみたところ、大量のダブりマンガが出てきました。非常にしんどい思いをしながら古本屋さんに運んで得たお金、310円。社会に怒られている気がしました。 さて、今回ご紹介するのは、アメリカの女子大学生が描いた17コマからなる短編コミック。女子がオタク系コンテンツを愛すことのジレンマとそこに隠された問題を短いながらも鋭く描き出し、『reddit』を中心としてアメリカで話題となっています。Pouch流の翻訳でお楽しみください。 わたしは、オタク系って言われるコンテンツが大好き。 でも、そういうモノを好きなことを、誇りに思うことができない。 そういうコンテンツも、そういうのが好きな男たちも 女性の自信をよってたかって失わせようとするから。 わたしは、ひたすらうんざりしていた。 少しでも、作品のヒロ
「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」という漫画が、 喪女漫画としてネットの一部で流行しているらしい。 死ねばいいと思う。一番死んで欲しいのは原作者。 次に死んで欲しいのは「私モテ」を拡散したまとめブログ。 最後に死んで欲しいのは「私モテ」のファン。 何が一番腹立つかって、主人公は喪男を女体化したものであって、喪女ではないということ。 まずタイトルが喪男。もてないことを社会のせい、女のせいにしたがるのは喪男の特徴。 増田の非モテ論争でも「国は少子化改善のために喪男に女を配給するべき」とかしつこく主張してた奴が居た。 そこまでキチじゃなくても、俺がもてないのは恋愛至上主義の社会のせい、バブル文化のせい、 女がイケメン好きなせい、お見合い制度が崩壊したせい、いろいろ理屈つけて他責にする。 喪女は、自分がブスでコミュ障だからもてないということをよく理解している。 もてたいならブスとコミュ障
→紀伊國屋書店で購入 「『ジェンダー・トラブル』よりも刺激的、『妄想少女オタク系』以上にリアル」 「男の娘」とは、「2次元用語であり、女の子のように可愛い女装少年を指す」言葉であり、本書は「無謀にもそんな次元の壁を越えようと日々努力する、二十代後半の、今でも「少年ジャ○プ」を愛読しているひとりの男の話」である(P5)。 その「男」とは、実は、名作『キャンディ・キャンディ』で知られる漫画家いがらしゆみこ氏の息子であり、元ジャニーズJrでもあるという、いがらし奈波氏のことである。 本書は、エッセイ風のマンガ仕立てで、元々小さいころから女装に関心のあったいがらし氏が、やがてオタク趣味の彼女と付き合うようになる中で、彼女の服を借りて本格的に女装にのめりこむようになり、その後、様々な人と出会う中で、現在の自分の立場を確立までを描いた著作である。 マンガ仕立てで非常に読みやすいが、その内容は刺激的であ
ICUミスコン問題に端を発した、90年代から00年代の『CanCam』に代表される赤文字雑誌が提示してきた女性の在り方について ※実際には赤文字雑誌は『JJ』が部数ではずっと優勢で、2004年から『CanCam』が発行部数で逆転しました。まとめ内では赤文字雑誌の代表として『CanCam』を例に挙げられていることが多いので、タイトルを「『CanCam』に代表される」としました。 関連まとめ 『CanCam』の「モテ」とは何か http://togetter.com/li/203808
→紀伊國屋書店で購入 「女子も男子も楽しめるマンガ~少女文化のゆくえを考えるヒント」 面白いマンガである。しいてジャンル分けをするのならば、少女マンガというカテゴリーに位置づくのだろうが、およそそうした既存のカテゴリーを大きくはみ出した作品である。 恋愛や性をテーマにしたマンガでありながら、女子が読んでも男子が読んでも楽しめるというところに、この作品の最大の特徴がある。そうしたマンガは、これまでなかなかありそうでなかったように思われる。その理由はマンガがジェンダーディバイドの最もはっきりとしたメディアの一つだからであろう。稀有な事例として克亜樹氏の名作『ふたりエッチ』などが思い浮かぶが、それであっても、男性向けと女性向けは別々のシリーズとして刊行されている。 これは、いわゆる「お色気サービスシーン」がどちらに対しても用意されているというだけではない。性愛をめぐる様々な関係性のパターンが面白
→紀伊國屋書店で購入 「今こそ読み返すべき、少女マンガ論の古典として」 本書は、いまさら改めて紹介するのも戸惑われるほどによく知られた少女マンガ論の名著である。 個人的な思い出を記せば、1990年代中盤に、私が在籍していた北海道の大学で、女性とメディアに関するシンポジウムが開かれた際、登壇者であった上野千鶴子さんが、少女マンガに関する女性のリアリティを的確に描いた著作として紹介されていたのを思い出す。それからすでに15年ほどが経とうとしているが、今、この著作を取り上げるのは、その後の少女マンガや文化の変遷を捉えるために、あえて古典として読み直す必要を訴えたいからである。 そのタイトルにも触れながら著者が主張していたのは、「少女マンガの根底に流れているのは、「私の居場所はどこにあるの?」という問い、誰かにそのままの自分を受け入れてほしいという願いである」(P143)ということであり、親密な他
「小説トリッパー」に掲載されている、安野モヨコのインタビューを読んだ。長期休養中とは聞いていたが、無期限だとは知らなかった。 小説 TRIPPER (トリッパー) 2008年 9/30号 [雑誌] 出版社/メーカー: 朝日新聞社出版局発売日: 2008/09/16メディア: 雑誌 クリック: 3回この商品を含むブログ (8件) を見る 安野さんのマンガは独特の痛々しさがある。主人公の空回りを、常に脇役は観察し、批評する。主人公が、周囲の人たちに気に入られたいと思い、行動すれば行動するほど、周囲の人の目には奇異に映る。自分の想像する<私>と、他人が見ている<私>がどんどんずれていくのだ。その様子は、ときに滑稽に描かれ、ときに辛辣な皮肉として描かれる。 安野さんの、その冷たい観察者としての視線は、安野さん自身にも注がれているのだろう。安野さんの「美人画報」と題された3冊の本に、それはよく表れて
「花男」についてのエントリの続き。 まあ、いきなり種明かししちゃおうかなと思って(偉そう。そしてひらめいたわりには、文章化したらグダグダになってしまった)。 まず、「なぜ女子特有の問題にしたがるのか?」という疑問が出ることは、私も想定してた。 前エントリで感心したのは、そのような偏向しがちな、しかもおそらくほとんど直観で展開された論議を、楽しい番組として成立させた宇多丸さんという人のあり方について、だった。 同じ論を展開して、ゲストに迎えた女子がにこやかなままでいられる自信が、自分だったらありません。 細かくつっこんでいったら不満のある方もあろうが、それでもなお、宇多丸の直観はいろいろなヒントを投げかけていると思う。 どういうことかというと、 「性ファンタジーにおけるプライオリティ」と「倫理観(もしくは公共性の問題)」についての問題提議をしている、ということ。 冒頭に「ライムスターメンバー
朝日新聞のサイトに、乙ひより『かわいいあなた』の書評が掲載されている。 かわいいあなた (IDコミックス 百合姫コミックス) 作者: 乙ひより出版社/メーカー: 一迅社発売日: 2007/07/18メディア: コミック購入: 11人 クリック: 61回この商品を含むブログ (74件) を見る 以前、いずれ書評すると書いてそのまま放置するかたちになっていたので(よくある話)、この機会にあらためて紹介しておこう。 本書『かわいいあなた』は、作家乙ひよりの初短編集である。 6編の収録作は、いずれも女性同士の恋愛を描いたいわゆる「百合漫画」。非常に自然で水準が高い作品がそろっている。 だからこそ、このように新聞社の漫画コラムで取り上げられることになったわけだ。 乙ひより作品の特色は、その何ともいえない落ち着いた雰囲気にある。派手な事件がおきるわけではない。大声でわめく人物も出てこない。ただ、どこま
02<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>04 こんな可愛い子が女の子のはずないじゃないですか。 この言葉に違和感を感じるか感じないかでまず人生の道が分かれるのではないでしょうか(ぇ ちなみに俺はここ最近色々なモノの影響により、 すっかり違和感を感じなくなってしまいました。 まあそれはさておき、そんな素敵な台詞を披露したハヤテですが、 彼もまた自らが“それ”を体現した男でもありました。 綾崎ハーマイオニー、又の名をハヤテきゅん こんな可愛い子が女の子のはずないじゃないですか。 時に運命は僕らを弄びます。 その完璧なる可愛さが故、僕らの心は陥落ていくのです。 ちなみにこの後、いいんちょの執事・虎鉄くんは捕まりました。ご愁傷様。 嗚呼・・・“可愛い”は人の心を狂わします。 そんな“可愛い”を手に入れたい。 可愛くなり
マンガ | マスメディアなど、オタクに詳しくない人々が、オタク女子の総称として「腐女子」を使うのは、今に始まったことではないが、最近はオタク自身ですらそのように使う人もいるようだ。酷い場合になると、腐女子の対義語に「萌えオタ」を当てはめたりもする。これはあまりに無知だろう。両者に失礼だ。 腐女子については門外漢の私が言うのも口憚れるが、腐女子は本来の物語とは別のところで妄想を働かせた人たちであるので、欲求に基づいてあてがわれたものに従う観点でいうならば、「萌えオタ」の対立項には「ボーイズラブファン」をその場所に据えるのが適切であると思う。もちろん、一個人の中にそれがパラレル的に同居することもあるだろう。なお、男の「百合好き」というのも、また対立軸があやふやになるので、ここでは言及を差し控えたい。 さて、このような「腐女子」のように、本来の対象とは別の立ち位置で、男子が嗜む場合を考えた際
はてなキーワード「セクシュアリティ」をチェックしていたら、 ギリギリ・デイズ やおいと萌え科学する(嘘)1 やおいと萌え科学する(出来てない)2 やおいと萌え科学する(混沌)3 ウチと似たようなことを考えている女性の意見を発見。「やおい対妹萌え」の共通点を確認するという、大学生っぽいディスカッション、とのことでちょっと参加を。 ちなみに似たような、というのはぼくがここ(id:izumino:20040730#c)で初めて書いたことで、この場合「やおい対ロリコン」という対置にしてあります。やおいにも二次創作からハードBL、ソフトBLと細かく区切ることができるように、「妹萌え」も「ロリコン」の1カテゴリとして区切った方がいいでしょうから。*1 やおいの世界が幅広くあるように、ロリコンにも「甘々な妹萌え」から「痛々しい妹萌え」、「鬼畜ロリ」と、幅の広い世界を持っていることをお忘れ無く。 で、ぼく
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