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ブックマーク / piano-fire.hatenablog.jp (24)

  • 魔法少女アニメ→アイドルアニメ→コーデ系アニメへの変化で女児文化を考える - ピアノ・ファイア

    きのう告知した漫画論とは別に、アニメに関する長めの原稿も書いていたのですが。 その作業(下調べ)の過程で考えていたこと、を書いてみたいと思います。 いや、キッズアニメについて調べるほどに「アニメについて語るには児童文化にも詳しくならないとダメだな」と痛感することしきりでした。 まず調査の前提として、ぼくが「昔の魔法少女は大人に変身する願望を描いていたが、いつからか魔法少女っぽいコスチュームに変身するだけに変わった」という指摘をしていたことから始まります。参考は以下のTogetterTogetter - 「「オトナになりたくて変身する魔法少女」から「魔法少女に変身する魔法少女」へ」 Togetter - 「「オトナになりたくて変身する魔法少女」〜の事後まとめ」 その変化の理由の一端として、「アイドルが大人の仕事だった時代と違い、チャイドルの登場以降は子供のままでもアイドルになる夢が叶うよ

    魔法少女アニメ→アイドルアニメ→コーデ系アニメへの変化で女児文化を考える - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2011/05/20
    「アイドルが大人の仕事だった時代と違い、チャイドルの登場以降」花の中3トリオとかあのへんは当時の人はどういう目線で見てただろうか
  • 『日常』から「日常系」という存在を捉えてみる - ピアノ・ファイア

    有村悠さんからのチャットメッセージで、「今度『リスアニ!』に『Aチャンネル』のこと書いたんですよ」「ついては、いずみのさんからも日常系アニメへの意見をいただきたい」と話しかけられました。 リスアニ! Vol.05 ソニー・マガジンズ 2011-04-25 売り上げランキング : 48 Amazonで詳しく見る by G-Tools 過ちもなく悲しみもない日常系アニメの世界 | LUNATIC PROPHET 『リスアニ!』Vol.05に寄稿しました | LUNATIC PROPHET せっかくなので、そのチャットでぼくが返したコメントを書きなおしてみます。 有村さん自身の問題提起は、↓こんなところ。 浅井健一は歌う。 過ちもなく 悲しみもない世界 そんな世界が素敵だといえるのか (Blankey Jet City『幸せな人』) そんな世界が素敵だということを示したのが、いわゆる「日常系」作

    『日常』から「日常系」という存在を捉えてみる - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2011/04/21
    『日常系アニメも「あるある系コメディ」と「ギャグマンガ」があくまでベースにあるのであって、いきなりストーリーアニメの世界に「萌え」や「日常描写」がふってわいたわけではない』
  • 「誰でも助ける」主人公の生まれ方 - ピアノ・ファイア

    「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア 先日の日記からの発展ですが。 なぜこういうタイプの主人公が作り出されるのか? というと、ある種の快楽原則に基づいた制作上の需要からだという理由も考えられますね。 観客は、誰からも感謝される「いい人」でありたいと思っている(自分がそうであるかは別として) 翻せば観客は、できれば誰も傷つけたくないと思っている 観客は、誰でも助けるような人物の味方(=視点)に立ちたいと思っている 翻せば観客は、誰かを見捨てるような人物を見たくないと思っている 前半は主人公に自分を重ねて共感するような場合の快楽原則、後半は主人公を「眺める側」についた場合の快楽原則で、どちらも同じ行動原理を主人公に求めることになります。 こういう快楽原則の要望に応える人物がセーフティでオーソドックスな「主人公」と呼ばれる人物造型なのかもしれ

    「誰でも助ける」主人公の生まれ方 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2009/09/27
    『内在する人格によって自律的に行動するのではなく、外在する期待に応えるために他律的に行動するようだと、キャラというよりも一種の現象とも呼べる』
  • 「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア

    原稿書きのあいまをぬって更新。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090115/p3 ■根拠も動機もなく「誰でも助ける」という性格は、ハーレムメーカーなのだ! 「誰でも助ける」ってのは、「助けられた人の人生の根幹にかかわる」ということを意味するので、相手は、助けた人に惚れるよね。 ちなみに、ここで「根拠がない」というのも重要で、根拠があった場合には、それはトラウマ(=そういう人格になった原因)なわけなので、それを解決して昇華することがイコール彼の人格の「救済」となるので、その時には、彼の相手は、「その救済が可能な人(まぁたいてい女の子)」という風に、オンリーワンの関係を形成してしまうので、物語が終息へ向かってしまう。 そう、、、なんとなくヒント的に感じるんだが、この「主人公の動機の根源に触れない」という設定を置いた瞬間に、ハーレム構造が成立でき

    「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア
  • 物語と脳内恋愛の一回性 - ピアノ・ファイア

    シンジにとっての綾波の一回性(インプロヴィゼーション) 先月の22日に居酒屋で録音していたヱヴァ破トーク*1のMP3を聴き返していて、綾波とシンジの台詞について語っていたこと――「私には代わりがいるもの」「違う、綾波は一人しかいない!」のシーンの文脈が気になった。 あれは、客観的な事象として「代わりが居る」とかじゃなくて、「俺が知ってる綾波、俺がフラグを立てた綾波はこれしかないんだから代わりなんて居る(=要る)ものか」という主観的なエゴでシンジさんは言っているわけだけど、そういう「主観で相手の実存に関わること」ができず、ついつい客観的な相対性の方が正しいような「気がしてしまう」のが90年代的だったんだろうな、と今にして思う。*2 ところで、作り手側の人間が「どうせみんな同人誌で補完するでしょ」などと言って作品の責任を放り出すのがぼくは大嫌いだが、そうした「二次創作とは、補完である」という考

    物語と脳内恋愛の一回性 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2009/09/11
    「直前のセーブポイントに戻る」機能を封じることによる一回性
  • さやわかさんのヱヴァ破評と、三国志 - ピアノ・ファイア

    数日前に更新されていた、さやわかさんのヱヴァ破感想に反応してみます。 ネタバレほぼ無し。 Hang Reviewers High / ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 僕が唐突に思い出したのは三国志のことだった。三国志は、三国志演義がたいへん有名であり定のように扱われているが、しかし実際のところ何が正史なのかははっきりしない。そして、今や夥しい数の三国志が、勝手気ままに創造されている。しかしそれらを見て、我々は「三国志の二次創作だ」などと考えたりはしない。三国志の一次創作物が何なのかということ、さらにいえば史実がどうであったかということすら、我々には何の関係も持たない。「破」によってエヴァにもたらされたのは、おそらくそのような事態だ。その意味で、「破」もマリも、エヴァを簒奪しようと目論んでなどはいない。「正史」は単に消滅する。そして、新劇場版の描く「偽史」が幕を閉じるころ、我々の時間は劇中と

    さやわかさんのヱヴァ破評と、三国志 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2009/08/13
    『ヱヴァのループ構造が象徴しているのはその「語り継ぎ構造」の方で、まぁ喩えるなら「史実」に近い旧エヴァに対して、それを「演義」に仕立て直した新劇場版がある』↓「正史/史実」の区別について確認しました。
  • 伊集院光の『アストロ球団』語り書き起こし - ピアノ・ファイア

    ちょっと参考用に「BSマンガ夜話」をチェックしていたら、伊集院光がいいこと言ってたので発言を書き起こすことにします。2000年3月8日の生放送。 アストロはギャグだ、と周囲が同意しあう流れの後で 伊集院「なんかみんな、すごく大人でアストロ球団に出会ってるじゃないですか。僕ね、小学五年に出会って、モロに大好きでぇ、いまだに一度も否定したことないんですよ!」 山田五郎「それもどうかと思うよ(笑)」 伊「いやいやいやいやいや! 逆にね、普通の今の、普通と言われている漫画の方が否定ですね、逆に」 大月「むしろこっちの方が正しいと?」 伊「そうそうそうそう。だって、漫画なんだから何メートルも飛んでいいし。(中略)いや、誰かが辻褄合わせろって言い出しておかしくなったんですよ漫画は、逆に言えば。漫画って多分、リアルに描けばいいもんじゃなくて、たぶん脳の中に直接訴えてくればいいわけで、なんか僕の脳の中には

    伊集院光の『アストロ球団』語り書き起こし - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2009/01/29
    『漫画って多分、リアルに描けばいいもんじゃなくて、たぶん脳の中に直接訴えてくればいいわけで』
  • 読んでみて「つまらない」と思える能力 - ピアノ・ファイア

    「最近のマンガがつまらない」系エントリに反応して面白い漫画を紹介しようとする前に - ピアノ・ファイア 「いったいどういう読み方をしてしまえば面白い漫画をつまらなく読んでしまうのか」を先に考えた方がいいと思う、な! 批判したいなら「相手のせい」にはしないこと - ピアノ・ファイア 「つまらない」と書くにはかなりの才能が要る - ピアノ・ファイア 昨日の日記でこういうことを書いたのでその続きとして。 この手の「つまらないと感じるのは自分のせい」という意見を聞くと「どんな漫画でも面白く感じられるようにならなければ……」などと求道的に自分を追い詰める人もいるんじゃないかと思うのですが、それは良くない発想なんじゃないか、という話を付け加えておきたい所です。 なんせ実際、ぼくが立ち読みで読んでる漫画の大半はつまらないと思ってますからね。 ここで石を投げずに聞いてほしいのが……別に投げながら聞いてもら

    読んでみて「つまらない」と思える能力 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2008/12/05
    『趣味を持つ人間はそのキャパシティを節約して生活する知恵も持っていて然るべき、というハナシ』『「今は自分のために面白がらないでいるのだ」と意識しておくこと』
  • 「お若いの! あんたが生まれた瞬間に歴史が始まったわけじゃないんだぜ」 - ピアノ・ファイア

    ブログ更新を再開する前に小話を。 10年くらい前にネットで見かけたことがあって、もう誰が発言者だったのかも忘れたのに今も印象深く残っているのが「お若いの! あんたが生まれた瞬間に歴史が始まったわけじゃないんだぜ」みたいな意味の言葉だった。 「10年くらい前にネットで…」という前置き自体が、ここ数年にネットを始めたばかりという人には「あんたがログインする前からネットは存在していたんだぜ」的な言いざまになりそうなもので(んで当然ぼくが始める前からネットの前身はあったはずで)、当時はニュースサイトもブログもアンテナも無く(巡回プログラムはあったはず)、アングラ感の溢れるテキストサイトが沢山あったのだ。今はログすら存在せず検索してもひっかからない(実際、何度も検索しようとして諦めたのだけど)、そんなサイトのひとつで読んだのかもしれない。 まぁ今はネットの話ではなく、歴史の話をしたい。 自分が歴史

    「お若いの! あんたが生まれた瞬間に歴史が始まったわけじゃないんだぜ」 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2008/11/22
    「自分が歴史に興味を持つのは、自分の主体性というものをなるべく消してしまいたいからのような気もする」
  • ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力 - ピアノ・ファイア

    お久しぶりです。 先週末は東京に出ていました。合計して27人との出会いがあり、七人の編集者さんと話しこんだり、小林尽に会ったりしていたのですが、このブログの更新再開一発目は、20日に催された「海燕オフ」発祥の「契約→再契約」の話をしたいと思います。 http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080922/p1 あと、決断主義批判と「契約」「再契約」の話はおもしろかった。 くわしく語りはじめると長くなるので省略するけれど、2000年代以降のエンタメ作品では、『Fate』や『コードギアス』など、しばしば「契約」というモティーフが取り上げられる。 しかし、「契約」をあつかった物語では、かならず「再契約」が語られるものなんだ。という内容でした。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080921/p3 こういう「構造の流れ」はどうもありそ

    ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2008/09/24
    『「契約」を描いた多くの物語では、「その場の勢い」で契約したまま続けていた契約が、本当に正しい選択だったのかを問いかける、「契約の解消」と「再契約」のドラマが描かれる』
  • 「パクリは面白さに必要な要素」/全世界が感動する超メジャー作品『現実』 - ピアノ・ファイア

    某所にぼくが書き込んだメモを適当に組み合わせて保存しておきます。 「面白いフィクションは大抵が現実のパクリです」 「そして現実のパクリだからこそ現実の読者が楽しめる、と」 「パクリには“現実のパクリ”と“フィクションのパクリ”の二種類があるのですが、オタク向けのものは後者寄りのものが多く、つまり“フィクションの住人にとって楽めるパクリ”になっているのがカオスな良さでもあり、問題でもあるわけです」 「つまり人類は“現実の二次創作”をもっとするべきだと……?」 「一次創作の傑作『現実』」 「世の中は『現実』の二次創作だらけ」 「世界で一番売れてる作品が『現実』」 「『現実』はファンも多いがアンチも多い好き嫌いの激しい作品」 「世界で一番批評が多い作品も『現実』」 「作者の名前は神」 「『現実』はイデア界のパクリ」 「原作の『現実』は大人向けだから、若い子は二次創作から入ったほうがいいと思う」

    「パクリは面白さに必要な要素」/全世界が感動する超メジャー作品『現実』 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2008/04/21
    「パクリには“現実のパクリ”と“フィクションのパクリ”の二種類があるのですが」「原作の『現実』は大人向けだから、若い子は二次創作から入ったほうがいいと思う」
  • ピューリタニズムの天職観念と少年漫画の精神 - ピアノ・ファイア

    プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神 (岩波文庫) マックス ヴェーバー 大塚 久雄 岩波書店 1989-01 売り上げランキング : 952 Amazonで詳しく見る by G-Tools カルヴァン思想などの流れから興味があったのですが、その手の世界では必読とされるを読んでみることにしました。 前もってペトロニウス先生からレクチャーを受けていた*1ので、細部の記述を読み飛ばしながらでも割とすんなり大筋を理解することができました。 読んでいてなるほど……と思ったのは、単なる「金儲け」という行為でも、「楽してお金儲けしたい(楽して暮らしたい)」という享楽的な精神と、「懸命に労働した対価(自己証明)としての大金を手に入れよう」という職人的な精神とを峻別できるような価値観が「発見」されたのは、つい百年前くらいのことだった、ということ。 ↑微妙に勘違いした読み方をしているような気もします

    ピューリタニズムの天職観念と少年漫画の精神 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2008/04/16
    『「少年漫画」という娯楽の中に「資本主義の精神と共通の思想が息づいている」という現象』『バリバリのビジネスマンには本宮ひろ志ファンが多いという話は良く聞く』これと関連http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080316/1205683547
  • リソースバトルとしての『魔人探偵脳噛ネウロ』 - ピアノ・ファイア

    魔人探偵脳噛ネウロ 14 (14) (ジャンプコミックス) (ジャンプコミックス) 松井 優征 集英社 2007-12-04 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools 14巻が発売されて、「新しい血族」との戦いが前面化したネウロですが、これから展開されるであろう、ネウロの特徴的なバトルの形式について考えてみたいと思います。 パワーバトルと相性バトル 少年漫画におけるバトルというと、大きく分けて「強い方が弱い方に勝つ」力比べであるパワーバトルと、「相性の良さで勝敗が左右される」駆け引き重視の相性バトルという二種に分けられると思います。 パワーバトルでは、強さの序列がハッキリしたヒエラルキーを形作りますが、相性バトルの強弱は絶対的でなく、「Aと戦うと不利だがBには勝てる」というように相対化されやすいのが特徴です。 戦闘力を数値化したドラゴンボールや、「とにかくスケ

    リソースバトルとしての『魔人探偵脳噛ネウロ』 - ピアノ・ファイア
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    Imamu 2007/12/06
    「パワーバトルと相性バトルに二極化しがちな現在の少年誌において、横山光輝的な「リソースの削り合い」……ドロドロの泥仕合の面白さを取り戻したというのも、ネウロの評価すべき点の一つ」
  • 旧約ヤンデレと新約ヤンデレという区別 - ピアノ・ファイア

    身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: 「ヤンデレ大全」こぼれ話 -キャラの収録基準について- まず、厳密論としては「愛しすぎて、やがて病む」という時系列がヤンデレといわれます。 理想としては、たとえばまったくゼロ知識からヤンデレ大全を手にとって下さった方が、当誌を読み終わった後で、収録されているものから「これは(自分にとって)たしかにヤンデレだ」「これはヤンデレとしてどうだろうな」と誌の基準そのものを裁けるところまで深みにハマっていただければ望であります。 楽しみ方の入り口としての「ヤンデレ」 - たまごまごごはん 「ヤンデレ」って言う言葉自体、すごく扱いずらいと思うのです。 好む人はどんどん使いたい言葉だし、興味ない人は一切使わない言葉でしょう。 だけど、「作品を楽しむ視点として、こういう見方もある」という視点の切り口の一つとして見るのは、ちょっと面白いと思うのです。 ヤンデレ大全

    旧約ヤンデレと新約ヤンデレという区別 - ピアノ・ファイア
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    Imamu 2007/08/10
    「好きすぎて狂っちゃう」/「最初から狂ってるやつが恋しちゃう」。狂気の歴史
  • 「やおい対ロリコン」の関係 - ピアノ・ファイア

    はてなキーワード「セクシュアリティ」をチェックしていたら、 ギリギリ・デイズ やおいと萌え科学する(嘘)1 やおいと萌え科学する(出来てない)2 やおいと萌え科学する(混沌)3 ウチと似たようなことを考えている女性の意見を発見。「やおい対妹萌え」の共通点を確認するという、大学生っぽいディスカッション、とのことでちょっと参加を。 ちなみに似たような、というのはぼくがここ(id:izumino:20040730#c)で初めて書いたことで、この場合「やおい対ロリコン」という対置にしてあります。やおいにも二次創作からハードBL、ソフトBLと細かく区切ることができるように、「妹萌え」も「ロリコン」の1カテゴリとして区切った方がいいでしょうから。*1 やおいの世界が幅広くあるように、ロリコンにも「甘々な妹萌え」から「痛々しい妹萌え」、「鬼畜ロリ」と、幅の広い世界を持っていることをお忘れ無く。 で、ぼく

    「やおい対ロリコン」の関係 - ピアノ・ファイア
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    Imamu 2007/06/20
    『どちらも「自分の性を拒否する」という面を持っている点』
  • 『ゼロ年代の想像力』に向けたメモ - ピアノ・ファイア

    S-Fマガジン 2007年 07月号 [雑誌] 早川書房 2007-05-25 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools 今にわかに話題の、宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読了。こういう波風を立てる人が出てくること自体はいいことですね。 紙幅の関係で書ききれなかった部分かもしれないので、現時点では余計なツッコミにもなりえますが、あえて少しツッコミを入れてみます。 エヴァンゲリオンを「引きこもりモノ」と呼んで「生き残りモノ(=決断主義)」の反対に置くのは不完全な対置で、あの「アスカ復活」を無視していることになると思います。 シンジも最初は、目の前で倒れるレイを見て「逃げちゃダメだ」を連呼し、エヴァに乗り、「男の戰い」を演じ、でも最後はエヴァに乗らなくなる。 ここだけ見ると確かに「引きこもりモノ」ですが、一方アスカは「死ぬのはイヤ」を連呼し(シンジとの対比ですね)、

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    Imamu 2007/06/19
    『「批評家が見逃してきた」のは古典の温故と、王道復古(=伝統の継承)』『時代的な「はやりもの」と「話題作」だけを並べて、本来のメジャー作品や「伝統の流れ」を無視するのは、評論家の悪いクセ』
  • 皇国の守護者と、視線の力学 - ピアノ・ファイア

    ↓のブログで、自分が名指しで引用されていたのが嬉しかったのでクリップ。知ったのはたまごまごごはんさんとこから。 漫画である意味がある漫画(梅ラボ) 日漫画はだいたい右から左に読み進める。だから左向きの登場人物が左へ進んでいくと読み手も左に読み進んでいくからその人物に感情移入がしやすい、という漫画独自の表現特性がある。その逆に右向きの登場人物が右に進んでいくと読み手の進行方向と逆になるので心理的に圧されるような効果がある(これについては2006年一月号の「ユリイカ」の「漫画批評の最前線」特集内のp204「視線力学の基礎」でイズミノウユキさんが「魔法先生ネギま!」を例に詳しく書いている)。 ユリイカ 2006年1月号 特集 マンガ批評の最前線 青土社 2005-12 売り上げランキング : 18365 Amazonで詳しく見る by G-Tools 梅ラボさんの記事では、続けて『皇国の守護

    Imamu
    Imamu 2007/03/04
    「漫画の進行方向」-「左向きの顔」-感情移入or読者を圧迫
  • 大人になっても漫画を読むということ - ピアノ・ファイア

    読書日記を兼ねて、少し真面目な話を。阿佐田哲也の『ギャンブル人生論』で印象に残った節を引用してみます。 著者である阿佐田哲也(色川武大)自身が、ある友人からその兄についての相談を受けるというくだりです。 p21 兄貴にしてみれば、つらかったろうなァ。兄貴に能力が無かったというのじゃないんだからね。これは、もともと能力というものは、社会に適応した能力と、適応しない能力があるんだ。兄貴の場合は多分その能力が後者だったに違いない。 p24 だから、多くの不良少年は能力が欠如して落伍していくのではなく、能力がありすぎるために破目をはずして土俵の外へ足を出すのである。 ギャンブル人生論 阿佐田 哲也 角川書店 1983-01 売り上げランキング : 202869 Amazonで詳しく見る by G-Tools 色川武大の人間観として、その作品世界に通底しているのがこういうものの見方であって、『麻雀

    大人になっても漫画を読むということ - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2006/11/01
    『作品の特長(特長が破綻を生むわけです)を検索する程度の目はあっても……そこへ自ら意味を与えることで「学ぶ」という視点が欠けている』「化けものになるか、ならないか」「環境に適応するか、しないか
  • サンクリとオフ会 - ピアノ・ファイア

    10/01はサンクリ参加ついでに、東京でオフ会のホストやってきました。 お招きしたのはペトロニウスさん、伊藤悠さん、K山さんの三人。いずみのは各々方と数回お会いした縁がありますが、個人同士は初対面になるので、完全にいずみのがホストの場ですね。 オフ会といいつつ、内容はとにかく議論、議論、議論。意見交換が好きそうな面子を集めた甲斐もあって大変盛り上がりました。 7時間ほどかけて話し合ったトピックを適当に記録しておきます(一部ペトロニウスさんのメモを参考にさせて頂きました)。 一次会 脳神経科学は面白い アントニオ・R・ダマシオ 身体感覚に基づいた体験知の問題 ペトロニウスさんといずみのは身体を動かすことで感覚的に物事を学ぶのが好きなのだけど、伊藤悠さんは感覚に頼ったロジックが嫌いらしい 「理屈(理論,技術)」と「クラフト(特殊技能,魔術)」との違い 「理屈」は5分で伝えられるから良いが、「ク

    サンクリとオフ会 - ピアノ・ファイア
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    Imamu 2006/10/14
    すごいなぁと思ふ
  • 歴史的教養とフィクションの関係 - ピアノ・ファイア

    mixiのメモから転載。 歴史漫画 陳舜臣『ものがたり史記』と横山光輝『その名は101』を同時に読みながら考えていたことをメモしておく。 以前、横山光輝の漫画には善悪の区切りというものがあんまり無い、みたいな記事を書いていたが、それは横山の世代の漫画家は歴史を参考にして物語を綴っていたからなのだろうな、という連想をしていた。 歴史上の人物は「異説」や「異聞」が多く、実在の人物であれば人間臭い表裏があって当然で、特に『史記』を編纂した司馬遷の場合、どんな英雄的な人物であろうとも公平に「裏」まで描こうとするし、逆に悪人と決めつけて断罪することも少ない。横山作品は、史記が持つ「天道是か非か」の思想をそのままに受け継いていると言ってもいいかもしれない。 史記 - Wikipedia ゼロから作られるフィクションの、「物語のテーマ的要求」によって人為的に創作される「正義」や「ヒーロー」とは違って、

    歴史的教養とフィクションの関係 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2006/10/10
    面白ひ。「歴史的教養/現実モチーフ/フィクション再生産」