下の追記。 ひどい文章ですいません。読みとりようによっては、私が「70年代後半から80年代初頭こそ特別」って思っていると読めるかもしれないけど、 世代的な特権性を振りかざすつもりは毛頭無くて、 当然ですが70年代の前には60年代があって、その前には50年代がある。 その「流れ」を知りたいと思っているだけです。 http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060816/p2 20年くらい前、確か眠田先生の4コママンガだったと思うけど、学生服を着て馬みたいな動物が、人間の女の子にチヤホヤされてる同じ学生服を着た馬みたいなやつを見て「同じろばなのに何であいつばっかり……」みたいなことを言うと、そのチヤホヤされてる馬みたいなやつ(ろば)が、 「まだわからないのかい。きみは『らば』なんだよ」 って言われて「そうだったのかー!!」って落ち込むみたいな、そういうマンガがありまし
20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/08/22(火) 11:24:50.35 ID:AL/SqqLm0
90年代に起きた一大ビジュアル系ブーム以来、ビジュアル系という言葉はすっかり市民権を得たようだ。それと同時に、ただ化粧をし、髪を立て、派手な格好をしただけのバンドという偏ったイメージも一部には生まれてしまったかもしれない。これまでブームの浮き沈みはあったものの、たくさんのバンドが活動を続け、脈々とシーンは受け継がれて来た。そして近年、そんなシーンに変化が起こりつつある。いま、再び脚光を浴びつつあるこのビジュアルシーンについて振り返ってみよう。 まだビジュアル系という言葉さえ生まれていなかった80年代、派手なビジュアルで世間をあっと言わせたのがBUCK-TICKだ。彼らは現在に至るまで第一線で活躍し続ける希有な存在である。その後、まさにこのシーンの申し子とも言えるX JAPANが89年にデビューし(デビュー当時の名称はX)、一気に日本中を席巻した。そのド派手なビジュアル、激しくも美しいサウン
萌え理論Blog - 自分は無価値、他人がつらい、という心理(前回) うどんこ天気 - 先生の話の補足 先日の結論は「ノーって言え」ではありません。 ロリコンファル - 倫理的自由 −高貴であることの覚悟− 自由とはこの先がある訳ですよ…。 世界と自己との相克、内発的倫理と外発的環境との相克…。 空気が決めて「イエス」で「ノー」 しかし、なぜ最初から「イエス」と言えないのか。またわれわれは現実に「イエス」あるいは「ノー」と言っているだろうか。他人に自分の人生を預けてしまうのは虚しいが、といって本当に抵抗しているだろうか。具体的にこの一週間を振り返ると、いつどこで自分で決めて言っただろうか。 現実の学校や会社やその他共同体では、<自分で決めて「イエス」>とすることは難しい。組織には命令系統があり、上司には逆らえまい。また「お客様は神様だ」という言葉があるが、仕事とは他者に「仕える事」であり、
Amazonってエロ漫画雑誌も扱ってるのね - ARTIFACT@ハテナ系 エロ漫画誌の表紙画像を貼るだけで10users越え。 id:kanoseさんはまさにアルファブロガー。 なぜid:kanoseさんがエロ漫画誌を紹介しただけでブクマされるのか。もちろん表紙イラストの美麗さもあるだろうけど、「id:kanoseさんはエロ漫画界隈の人ではない」というのが大きいような気がする。いや、私はid:kanoseさんが何界隈の人なのか知らないんですけど(活動範囲が広すぎるんですよね。オタク系全般ってことでおk?)。要するに、「中の人が中を紹介する」より「外の人が中を紹介する」という方が注目されるのではないだろうか。 たとえばこの記事。 サッカーに新たな大技? 話題呼ぶ「くっつきドリブル」とは。 | Narinari.com ちょーいまさらじゃーんって感じなんだけど、それがホッテントリ入りしてたり
まあでもあの辺がキングコングが突き抜けることが出来なかった理由、「はねるのトびら」をゴールデンタイムに持って行くのをフジテレビが時間かかった理由ですよね、人間の本質的な黒さが漫才ではともかく、フリートークとかバラエティでは隠しきれない。本当はもっと黒かったり、病的な裏側を持つ人達はいくらでもいるだろうけど、キンコンは二人とも自身の黒さや病を隠せない、いや隠そうとしなさすぎ、そういう面は持っていても良いし、そういう裏の顔が表の顔の輝きにも繋がるんだけど、彼らは裏の顔を隠せていない、いや隠そうとしていない。 (お笑い東京砂漠) 関連:「お笑いの約束事が分からなきゃ口出しするな」という閉鎖的な事は言わないけれど、抗議するのなら少しは考えて欲しい。(槍沢雑記) 関連:芸人の「殺す」は差別化せよ。(NOT FOUND〜見つかりません) 少し前のエントリーですが、ずっと考えていることが僕にはあって、そ
「お昼の笑っていいともで飯島愛に対してキングコングがあんな事言って本当に許せん。」 - 昨日の風はどんなのだっけ?から。 それは最近のお笑い芸人の方が良く現場で言っている「空気を読め」という言葉は、実は思いっきりファシズムにつながる危険な考え方ではないかということ、そして「芸人のやっていることはイジメにつながらない」という芸人側の主張を自分たちで怪しくしているのではないかと思っています。 自分が「めちゃイケ」「ワンナイ」「はねトび」が嫌いな理由というのは、その辺への引っかかりが強いんですよね、“人を笑わせる”という行為は何事に対しても免罪符にはなり得ない。 エントリーの趣旨自体には同意している。 ただ、それは「今のテレビバラエティは、本来は亜流の道化師であるはずの芸人が、何故かメインを張ってしまうねじれ現状」という異常さが原因だよなぁとも思っている。 だってさ。例えば、立川談志に凡庸な正論
Web2.0という言葉ほど、定義の不明なまま濫用されているバズワードも珍しい。いまだに「Web2.0って何だ?それを気にする必要はあるのか?」というコラムが書かれている。その特徴は、しいていえばユーザーによる情報生産とウェブベースのサービスという点だろう。このいずれも今に始まったものではないが、それが顕著な特徴としてみられるようになったのは最近である。その理由を少し経済学的に考え、概念を整理してみよう。 ネットワークの経済学というのは古くからある分野で、有名なのはBolton-Dewatripontだが、その基本的な考え方は単純だ。個人をプロセッサ、組織をネットワークと考え、情報処理コストと通信コストのどちらが相対的に高いかによってネットワークの構造が変わると考えるのである。簡単にいうと、情報処理コストが高いときには集中処理したほうがよく、通信コストが高いときには分散処理したほうがよい。
株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。 山本七平氏の「空気」の考え方を再び取り上げます。 日本では様々な状況において、なんとなくその集団におけるものの見方の趨勢が決まり、もって意思決定に近いものがなされ、それで物事が進んでいくのですが、そこには「意思決定をした当の本人」は存在せず、従って、その意思決定に責任を持つ人がおらず、物事がうまく終始した時はよいのだけれども、何かをしくじってしまった場合に、責任を持つ人がいない状態に陥る。それはやはりヘンではないか?では何がヘンなのか?日本では「空気」が意思決定するからではないか?そうだそうなのだ、というのが山本七平氏の了解の仕方です。 彼がこのような思考をするに至
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