【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…
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第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
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本日も掲示板レスをリライトしたものをアップ。一生懸命書いた文を流しちゃうのももったいないなー、と思いまして。 倖田來未「BUT」歌詞 倖田來未 スペシャルインタビュー - goo音楽 「同性愛がテーマ」という触れ込みで売り出されている新曲「BUT」ですが、歌詞やインタビューの内容を見て、「何この勘違いヘテロの上から目線」ともやもやした気分になりました。これらの文面から読み取れる限り、倖田來未は同性愛のことなどほとんどわかっていないし、異性愛者の暴力性についてもまったく無頓着だとしか思えないからです。 同性愛者には、好きになる相手の性別は重要です。 倖田來未:海外の作曲家さんからトラックをいただいてパッと思いついたのが同性愛だったんですよ。私は好きになる相手が異性であろうと同性であろうと関係ないと思うタイプなんですよ。 今回のシングル「BUT」はなんと“同性愛”がテーマになっているという。
コミケ行く。ロックフェスにも毎年行く。夏は大忙し。その他にも月一くらいでライブに参戦。エロゲも月に一、二本。アイドルのコンサートだって行かないわけじゃない。 だけどアニソンライブに行きたいとは思わないんだよな。 アニソンを家で聴いたりハコでDJが回してるのを聴くのは好きなんだけど、イベントってきついな、と。何が苦手って、イベント途中の声優の寸劇とかトークショー。あれって見てて辛くならないのだろうか。勘違いされるとなんだけど、声優は大好き。サイン会なんかにもちょくちょく参加する。ヤマギワとかでみる小さなトークショーは嫌いじゃない。CD買ったオマケだしね。でも大きな会場で、それなりの参加費をとって、ライブの合間にやるトークショーとか寸劇って。なんかその、困る。参加者の大半は実は苦笑いしながら観てるんじゃないのだろうか、と思っていたんだけど、そうでもないの? ttp://d.hatena.ne.
東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 - 動物化するポストモダン2』 2007.03.21 Wednesday ゲーム的リアリズムの誕生- 動物化するポストモダン2 一般の小説や純文学とは違って表舞台ではほとんど語られる事のない、もう一つの文学「ライトノベル」「美少女ゲーム」。つまりオタクの文学(?)であるラノベとエロゲからポストモダンな社会での物語の可能性を探ります。 「ゲーム的リアリズムの誕生」概要 大きな物語が衰退した現代では、物語は現実からではなくデータベースから作られる(第1章Aパート)。 一般小説や純文学が現実を描く(自然主義的リアリズム)のに対しライトノベルは現実を半分だけ描く(まんが・アニメ的リアリズム)。平凡な学園生活でありながら知り合いには宇宙人、未来人、超能力者がいる…など。日常に混ざった非日常、そんな虚構を通してしか描けない「現実」に純文学とは異なる可能性がある(第1章
またひとつ知らなくていいことを知ってしまったumetenです。 ――「ヤンデレ」 何回読んでも、「ヤンキー」が「デレデレ」の略にしか見えず、それって「ツンデレ」とどう違うんだよ!と憤りを感じるのですが、実は「病んでる」→「病んデレ」→「ヤンデレ」ということで、精神的に破綻したヒロインに対する哀悼の意=愛好の意を示す言葉らしいのです。 で、その紹介がこれ。 たまごまごごはん - ヤンデレを好きになるわけを考えてみる。 http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070324/1174676414 でも、これ読んで、「ヤンデレ萌えって自己愛の一種なんじゃないの?」と思ったんですが、どうでしょうか。 キャラ愛の鍵になるのが「狂気の発露」というところが、その理由。 「狂気」、いわば「精神的な暴走」というのは、究極の自己中心的な行動なわけで、それが殺人なんて方向に行ったな
久しぶりに、読んだ瞬間に怒りで血が沸騰しそうな文章に遭遇しちゃいました。 ヤンデレ萌えは対象愛じゃなくて自己愛じゃないのか - こころ世代のテンノーゲーム(コメント欄で私暴走) いや、すいません。ちょっと熱くなりすぎました。 しかしそれこそ、「娑婆世界のおハナシ」では、多数派であることが「正しさ」の根拠となりえ、少数派が「異常」と見下されることなど常なのではないですか? そして、孤立することが少数派の外的特徴であり、その外的特徴を「正しい」視点から客観記述すれば「自己中心的」だとされるのでは? ならばこそ、「狂気」=「異常」な精神のありようを「自己中心的」と表現しても、それほど強烈な非難を受ける理由にはあたらないように思えますが。 http://d.hatena.ne.jp/umeten/20070324/p2#c なるほど、umetenさんのコメントにおける「自己中心的」という単語のニュ
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <代理出産>向井さんブログに心情「気を抜くわけには…」 「養子」という形式ではなぜだめなのか? なぜそこまで血族的な正当性にこだわるのか? そもそも子供が欲しいというときに、不妊治療をこえて他人の母体を借りるまでするところからして奇妙に感じる。 そもそもなぜ養子ではいけないのか? 「自分が育てる子供」と「自分の子供」というのはそこまで違うものなのか? いったい何を求めているのか? お金でしか証明できないDNAを「当たり前にわかるもの」の証として認めろということなのか? 子供が欲しいなら、生まれ抱えた今のままで、もう十分ではないのか? それとも「金をかけただけの成果」を得たいということなのか? そもそもアメリカまで行って、他人の体を金で買って、死に至るリスクを負わせて、それで自分は満面の笑みを得るということを美談にしてしまえる神経が奇妙だ。 やはり奇妙
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