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ブックマーク / umeten.hatenablog.com (43)

  • 死にたい人や死にそうな人にお薦めの本10冊+α - umeten's blog

    正直、精度はあまり高くないかもしれない。 特に『自死という生き方』は、はっきり言って「異常」なだと思えた。 ページをめくった瞬間、壁を殴りたくなったくらいだ。 まだ読了はしていないが、このはある種の「自己顕示欲としての自殺」が説かれているように思えた。 自己陶酔としての自爆テロと言ってもいい。 そして、まだまだ自分は死にたい人に勧められるをざっと並べられるほどの境地には達していないと痛感した。 自死という生き方―覚悟して逝った哲学者posted with amazlet at 11.12.05須原 一秀 双葉社 売り上げランキング: 216265 Amazon.co.jp で詳細を見る 死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)posted with amazlet at 11.12.05エリザベス キューブラー・ロス 中央公論新社 売り上げランキング: 4505 Amazon.c

    死にたい人や死にそうな人にお薦めの本10冊+α - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2011/12/05
    『自死という生き方』『死ぬ瞬間―死とその過程について』『どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?』『明るいニヒリズム』『死に方のコツ』『死ぬ作法 死ぬ技術』『日本人の死に時』
  • 問い:「愛故に国は滅びねばならぬ。愛故に人は滅びねばならぬ」 - umeten's blog

    「愛しているから結婚します」とは言わせない国ニッポン。 - kobeni_08の日記 http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20090508/1241776111 愛なんて簡単に属性化する。「○○だから愛する」。 だから愛は偏在化する。「○○だからモテる。○○だからモテない」。 自由主義的解釈によれば劣った人間が淘汰されるのは当然。「自由恋愛は美しい」。 そしてそれを万人が徹底的に内面化したのが現在。「結婚できない人間は結婚できないから結婚しない」。 突然それを問題視し始めたのが国家。「結婚しない人間が増えると国民が「生産」されない」。 しかし万人が徹底的に内面化した精神は囁く。「生まれても不幸なら子供がかわいそうだから作らない」。 あるいは逆にこのように目論む。「私の幸福の証明として子供を作ろう」。 子供を持つことがある種のギャンブルとして浮上する。「社会的ステ

    問い:「愛故に国は滅びねばならぬ。愛故に人は滅びねばならぬ」 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2009/05/09
    「愛なんて簡単に属性化する」「だから愛は偏在化する」--「ならば愛などいらぬ」」/「素朴」派=消極的社会ダーウィニズム派/政治=精神医療派
  • 「希望」の北欧の自殺、絶望の日本の自殺<追記> - こころ世代のテンノーゲーム

    <追記> 男女の自殺率格差問題が深刻なフィンランド|反省の女性学・フェミニズム http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/finland-jisatsu/ 男女の自殺率格差とジェンダー:女性が周縁・他者になる理由|反省の女性学 http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/jisatsu-kakusa/ 男女の自殺率格差問題が深刻なフィンランド|反省の女性学・フェミニズム http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/finland-jisatsu/ フィンランドの自殺予防対策 http://www.hokusho-u.ac.jp/porto/rsc/2005-2006paper/2006/39-46Finland_jisatsuyobou.pdf マスコミ不信日記 : 欺瞞に満ちた朝

    「希望」の北欧の自殺、絶望の日本の自殺<追記> - こころ世代のテンノーゲーム
    Imamu
    Imamu 2009/05/09
    「自殺とは、世間には分からないような方法」「歳をとって、何日間も、腹を空かせてから、急に、パクパクと腹いっぱい食べたり」「すきっ腹に、急に大酒を飲んだり」
  • 「希望を持て」という絶望的抑圧。あるいは「正論原理主義」について - umeten's blog

    ■いまある希望に乗れなければ好きで絶望してるのか? - U´Å`U http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090308/p1 大抵の人間はつい、「当に○○なら〜」と言って、不都合の純粋性のようなものを他者に要求しがちだが、これは、他人に対して使うときには、その人間を「甘えているだけ」というカテゴリーに放りこんで、自分は知りませんと言っているだけだろう。 「どんな文脈、あるいは価値観でも、物語でもいいけれど、とにかく今世の中を流通するメッセージではがんばれない人間を立たせるには、リア充/非リア充という価値観から抜け出すには、どんなメッセージが必要なのか」 「(いまある)希望があるのに、それに乗ろうとしない。であるなら、お前は絶望好きなだけである」 という判断基準は、考えてみれば、人間がこれから新しい夢や希望を生み出す可能性への侮辱である。 ■あいつらどーせ変わらない

    「希望を持て」という絶望的抑圧。あるいは「正論原理主義」について - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2009/03/26
    『絶望している人が絶望していると言うのは、一面白一色に塗りつぶされた世界に七色の塗料をぶちまける行為なのだ』
  • 「殺人事件」というエンターテイメントにマスコミはもはや不要か - umeten's blog

    秋葉原通り魔:容疑者の逮捕・連行を携帯で撮影 - 毎日jp(毎日新聞) http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080609k0000m040022000c.html 今回の通り魔事件では、容疑者の逮捕・連行写真を携帯電話で撮影した人の周りに人だかりができ、自分の携帯に赤外線送受信でコピーする人たちが目立った。 目撃情報を集めていた記者は、通行人の女性から赤外線受信で写真を入手。この女性も、逮捕現場にいた別の女性から赤外線受信でコピーしていた。2人は他人同士だった。 女性によると、現場で直接写真を撮影した男性が「捕まったぞ」と叫ぶと、周囲には携帯電話を差し出し、「コピー」を求める人だかりができたという。【神澤龍二】 こうして「事件」に参加することができるのなら、いちいちマスコミ報道を通さなくても、待たなくても良いわけだ。 もちろん、現場に居合わせるとい

    「殺人事件」というエンターテイメントにマスコミはもはや不要か - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2008/06/09
    (アキバ)『「パン」に事欠かない者のための「サーカス」も、随分コンパクトになったものだ』
  • 予備知識が必要なのがMADではありません。元ネタを知るきっかけがMADなのです。 - umeten's blog

    ニコニコ動画は何故つまらなくなったか。 http://anond.hatelabo.jp/20080601205110 上は要するに、ニコニコ動画じゃなくて、MADが嫌いな人の意見なのだが、MAD歴自称10年(見るだけ)*1の自分としては、それは基的にMADを見る姿勢がずれているのだと思える。 おもしろいMADには二種類ある。元ネタを知ってるからおもしろいものと、元ネタを知らなくてもおもしろいものだ。 そして、後者こそは「この元ネタはなんなんだ」という風に、自分にとっての新しい出会いを生むきっかけ=また一つ余計な知識を知ってしまうきっかけとなるものなのである。 上の記事は、「こんな動画がある」ということを知るためのツールとしてニコニコ動画をとらえているようであるが、それは一次作品であろうと二次作品であろうとまったく関係ない物ではないのか。 もっといえば、二次作品=MADであれば、単に動画

    予備知識が必要なのがMADではありません。元ネタを知るきっかけがMADなのです。 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2008/06/03
    (ニコ動)「元ネタを知ってるからおもしろいものと、元ネタを知らなくてもおもしろいもの」『「この元ネタはなんなんだ」という風に、自分にとっての新しい出会いを生むきっかけ=また一つ余計な知識を知ってしまう』
  • 「公共学芸会劇団」としての宝塚とアイドル商法 - umeten's blog

    女が女を演じる―文学・欲望・消費 作者: 小平麻衣子出版社/メーカー: 新曜社発売日: 2008/02/15メディア: 単行購入: 2人 クリック: 25回この商品を含むブログ (7件) を見る 『女が女を演じる』の新聞書評を読んで、昔、演劇を研究していた友人宝塚を見て「下手だ!!何であんなに下手なんだ!!」と叫んでいたことを思い出した。 なぜ、神格化されているほどの演劇エリート教育を受けているはずの宝塚が、その友人をして「下手」だと言わしめたのか。 長らく疑問だったのだが、この段を読んでそのなぞが一瞬にして解けた。 ジェンダー規範の確立過程を映すものとして、樋口一葉に対する見方の変遷が興味深い。生前から没後すぐの明治二十―三十年代初頭までは、その非凡で鋭い着想から当に婦人の作品か疑われるなど、一般の女流とは一線を画す存在という評価が主流だった。だが、四十年代に入ると「男には到底まね

    「公共学芸会劇団」としての宝塚とアイドル商法 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2008/03/25
    『女が女を演じる』(樋口一葉)(宝塚)(ハロプロ)(AKB)『「「女子供らしさ」はそれに対置される「恋愛」によって簡単に破壊される」という裏のドグマを通じて、「処女性」あるいは「童貞性」を商品としたアイドル商法』
  • 今ここに必要な「児童ポルノ」対策 - umeten's blog

    もし、今緊急に必要な「児童ポルノ」対策があるとすれば、それは「母子家庭を保護しろ」ということである。経済的に苦しい状況にある母親が、人の意に反して娘を「アイドル」として売り込むという構造が、おそらく問題とみなされている今のローティーンアイドルDVDの温床となっていることを無視して、そのあきらかな虐待が発生する環境を放置して、一体何が「児童の人権」か。 もう一歩踏み込むなら、若年層に対する避妊教育をより徹底し、コンドームや低用量ピルの無償配布くらいの措置を講じるべきであろう。もはや10代はおろか、20代での出産ですら貧困の原因となりうる時代なのだ。それとも、日ユニセフ協会は仲の良い(?)統一教会ばりに「純潔教育」などという空疎な精神論を推し進めようとでもいうのか。 あるいは、「あしなが育英会」(http://www.ashinaga.org/index.php)のような活動との協力体制を

    今ここに必要な「児童ポルノ」対策 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2008/03/14
    (U-15アイドル問題)『娘を「アイドル」として売り込むという構造』『どこまで行ってもこの国には、文化的な問題や精神論的な問題しかないと思い込むような老人が多すぎる』
  • [試考]これはいい伊集院ラジオですね【広告】『自分探しが止まらない』【書評】 - umeten's blog

    言い尽くそうとすればキリがない。 だが一言で言うなら、次のようなものになる。 「これはいい伊集院ラジオですね。」 そしてもう一言添えるならこうなる。 「『自分探しが止まらない』は買ってはいけない」 長文を読む気がない向きには上の一言二言がこの記事の趣旨であるので、以下はその補足だと飛ばしてもらって結構。 献していただいたことに対するありがとうございますというお礼もそこそこに、以下はそれへの偽りない感想を書こうと思う。 正直なところ、このを前にして悩んでしまった。 これでは何も書かれていないに等しいのではないのか、と。 そして、同時にぽつぽつでてくるネット上の書評をみて、それらが例外なく賞賛の意を示しているのを見て、どうしようもない違和感にかられてしまった。 頭を抱えて、もう書くのをやめようかとも思い、またほっといても、後藤和智方面から八つ裂き光輪*1が飛んでくるだろうと思っていたのだが

    [試考]これはいい伊集院ラジオですね【広告】『自分探しが止まらない』【書評】 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2008/03/01
    以前バイト先に伊集院さんが来て一人で盛り上がって、その後にへこんだことを思い出す『若年者向けのサブカル本では辛らつな批判ではなくぬるい共感を示してさえいれば、人は簡単にダマすことができるという実例だ』
  • M-1は成功しているか?――M-1グランプリ2007感想 - umeten's blog

    <全体的な感想> 優勝したのはサンドイッチマンかサンドウィッチマンか、そこが問題だ。 見終った感想を一言で言うと、 脊髄反射的なバラエティ番組しか「あがり」先がない中で、また使いにくそうなコンビが優勝したもんだなぁ、といったところ。 なんというか、いくら「大御所」好みの「実力派」が選ばれたところで、現実的にはバラエティ的な反射神経をもち、なおかつアイドル的なルックスやいじられ(いじめられ)役にふさわしい若さが要求されるわけで。 そういう意味では、はたしてM-1グランプリという番組はその意図の下において「成功」しているといえるのだろうか。 興行的な収益性・広告性はさておいた部分で、の話。 中川家にしろ、ブラックマヨネーズにしろ、下手に自ら「正統派」にこだわったり「漫才」にこだわったりすると、バラエティ寡占状態のお笑い番組の枠の中ではそのポジションが得られにくく、結果的に優勝したところでその「

    M-1は成功しているか?――M-1グランプリ2007感想 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/12/24
    『脊髄反射的なバラエティ番組しか「あがり」先がない中で、また使いにくそうなコンビが優勝したもんだなぁ』その懸念はおおいにある。しかしあの場ではサンドウィッチマン選ぶしかなかっただろうとも思う
  • 恋愛潮流の行方 - umeten's blog

    G★RDIAS - オバサンの性的欲望は少年へと向かう http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070807/1186412993 「王子ブーム」は「韓流ブーム」の系譜であると説かれたその指摘を読んで、だいぶ前に自分が書いたものをまた思い出した。 こころ世代のテンノーゲーム - やわらかなバックラッシュ http://d.hatena.ne.jp/umeten/20060725/p4 “韓国ブーム”の正体=フェミ・オリエンタリズム? 「韓国」ブームの問題点 思考実験としての「韓国ブーム」批評記事への批評 レポート:「韓国ブーム」への韓国人女性の「かなり」冷ややかな視線 韓国ブームを「バックラッシュ的」と評したその方向性も、性的な=女性的な消費意欲へのベクトルを下敷きにしていたのだが、「抱かれたい」という「被欲情への欲望」から、「抱きたい」という「欲情への欲望」への転

    恋愛潮流の行方 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/08/08
    『男女双方においてこうして理想像が過剰に流布することで*1、大多数の人間は恋愛願望というものを妄想消費によって消化するようになり』
  • 愛に気づいてもらえそうなペニシリン - umeten's blog

    少し前にかわいそうなニュースで社会に存在を思い出された(つまり忘れられていた)ビジュアル系ロックバンドを覚えていますか?(つまりまた忘れられている) それがペニシリンです。正式名称は、PENICILLINです。 その名前が世間に思い出されたかわいそうなニュースというのがこれでした。 はてなブックマーク - ペニシリンに楽器持ち出したと賠償命令:スポニチ Sponichi Annex 速報 http://b.hatena.ne.jp/entry/4046067 中でも特に涙を誘ったのが、ペニシリンのメンバー自身による次のセリフでした。 「時代のせいか音楽が評価されず、当初ほどの人気が全くない」 時代の流れを感じるのは誰しもあることです。 また、評価されないという苦しさを表現することもよくあることです。 しかし、「人気が全くない」と自ら言い切ってしまうこの挫折感あふれるコメントを言える人間はそ

    愛に気づいてもらえそうなペニシリン - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/06/11
    umeten様がV系をネタにw<最近の海外でのVkeiブームに乗れてないV系>。ペニシリンは彼等にとってはビミョーかも。アジアではJ-POPの流れでGLAYなどが消費されるが、欧米はそれとは違う文脈のV系消費なのかも?
  • 心を教育することが「心の闇」を生む - umeten's blog

    福島の少年には心底、同情する。 彼の破滅に泣くものがいなければ、私が泣こう。 これは二重の意味での悲劇なのであり、決して卑俗なエンターテイメントの文脈での「悲劇」ではない。 しかし、既に「精神的な不安定さ」が取りざたされている以上、これが「心の闇」という規定路線で「処理」=「料理」=「報道」されるであろうことは想像に難くない。 それは引いては、真の原因を隠蔽するという第三の悲劇、社会にとっての悲劇となるはずなのであるが、その悲劇に気づくものは所詮少数派でしかなく、多数派はその悲劇すら「悲劇」として消費していくだろう。 かくして、悲劇は再び、三度、万度繰り返される。 この破滅を瀬戸際で救うのが、かつては宗教という回路を通じて社会に還流されていた哲学なのであるが、もはやそれが望むべくもないことは過日の言及のとおりである。 この破滅の淵に立ったものが寺に連れられたとして、そのものと正面から論を交

    心を教育することが「心の闇」を生む - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/05/17
    『「教育の失敗」=「技術的な不備」が見つかったとして、立ち返られる「教育の原点」=「教育観」=「人間観」=「人間主義」=「教養主義」こそが、「心の闇」を生む源泉なのだ』
  • ポストヒューマニズムについて - umeten's blog

    現代美術用語辞典|OCNアート artgene.(アートジェーン) http://www.artgene.net/dictionary/cat56/post_104.html ポストヒューマニズムPost-Humanism 「ポストヒューマン」という言葉が美術界で国際的な話題を集めたのは1992年、J・ダイチが企画した同名の展覧会がスイスやイスラエルを巡回したときである。M・ケリー、P・マッカーシー、太郎千恵蔵といった作家が同展に出品していた作品は、いずれも人工的な身体イメージを強調した「ロボット的」なものであり、同展カタログの中でダイチは「現在のポストモダン状況は、将来のポストヒューマンへの過渡的なものだ」と述べていた。ただこれは、ポストヒューマニズムの核心を生身の身体からロボットへの移行に見た粗雑な議論であって、その核心は人間の主体がどこに譲り渡されるのかを周到に論じたものでなければな

    ポストヒューマニズムについて - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/05/09
    研究者的には身体の変容→心の変容という青写真か?『心の問題として人間を規定していた「ヒューマニズム」』『「ポストヒューマニズム」は突然、人間の体を機械的、あるいは生物工学的に改造することを問題に』
  • 日本仏教に哲学なし - umeten's blog

    の仏教者はダライ・ラマの教説を否定するだろうか。そしてその否定のしかたは、「それは仏教ではない」という否定になるのだろうか。もしそうなら、では、ダライ・ラマの仏教を否定する日人の仏教とは何に依拠しているのだろうか。 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/04/post_5368.html仏教に核があるとしたら、それは「生活主義」と「血族主義」の二つだ。 ところが、明治時代に入って様相は一変することとなった。明治五(一八七二)年四月二十五日、太政官布告第一三三号が出された。それは「自今僧侶肉帯蓄髪等可為勝手事 但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事」(今より僧侶の肉帯蓄髪は勝手たるべき事、但し法要の他は人民一般の服を着用しても苦しからず)という内容である。この太政官

    日本仏教に哲学なし - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/04/24
    『そのどこまでも現実肯定に終始する態度=生活主義は、異端を非難することで自らの「正しさ」の哲学的根拠としている』『「わからない」ということこそが、仏教的な哲学なのである。だが、日本仏教はそうではない』
  • エンタ芸人はお笑い界のモー娘。 - umeten's blog

    だというのは、もうすで指摘されるような気もするが、ググっても見当たらなかったのでメモっておく。 自分でも手が届きそうなくらいのありきたりな印象をもつ もしかすれば自分の方が上ではないかとまで思えるほど芸としての完成度が低い 自立的なパフォーマンスではなくプロデューサーによって一挙手一投足を管理されている パフォーマンスの向上ではなくマスコミ露出の回数を上げることによってその「品質」を水増しする ま、「アイドル」の作られる原理そのままってことですかね? 広告配信数が売り上げに直結するってとこは、パソコンメーカーのデルのやり方と同じでもありますね。

    エンタ芸人はお笑い界のモー娘。 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/03/28
    タイトルでしびれた
  • ヤンデレ萌えは対象愛じゃなくて自己愛じゃないのか - umeten's blog

    またひとつ知らなくていいことを知ってしまったumetenです。 ――「ヤンデレ」 何回読んでも、「ヤンキー」が「デレデレ」の略にしか見えず、それって「ツンデレ」とどう違うんだよ!と憤りを感じるのですが、実は「病んでる」→「病んデレ」→「ヤンデレ」ということで、精神的に破綻したヒロインに対する哀悼の意=愛好の意を示す言葉らしいのです。 で、その紹介がこれ。 たまごまごごはん - ヤンデレを好きになるわけを考えてみる。 http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070324/1174676414 でも、これ読んで、「ヤンデレ萌えって自己愛の一種なんじゃないの?」と思ったんですが、どうでしょうか。 キャラ愛の鍵になるのが「狂気の発露」というところが、その理由。 「狂気」、いわば「精神的な暴走」というのは、究極の自己中心的な行動なわけで、それが殺人なんて方向に行ったな

    ヤンデレ萌えは対象愛じゃなくて自己愛じゃないのか - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/03/25
    「電波男」的には「萌えは自己愛」?「斎藤環」的には「男性の萌えは対象愛」?
  • 欲しいのは子供なのか、それともほかの何かか - umeten's blog

    Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <代理出産>向井さんブログに心情「気を抜くわけには…」 「養子」という形式ではなぜだめなのか? なぜそこまで血族的な正当性にこだわるのか? そもそも子供が欲しいというときに、不妊治療をこえて他人の母体を借りるまでするところからして奇妙に感じる。 そもそもなぜ養子ではいけないのか? 「自分が育てる子供」と「自分の子供」というのはそこまで違うものなのか? いったい何を求めているのか? お金でしか証明できないDNAを「当たり前にわかるもの」の証として認めろということなのか? 子供が欲しいなら、生まれ抱えた今のままで、もう十分ではないのか? それとも「金をかけただけの成果」を得たいということなのか? そもそもアメリカまで行って、他人の体を金で買って、死に至るリスクを負わせて、それで自分は満面の笑みを得るということを美談にしてしまえる神経が奇妙だ。 やはり奇妙

    欲しいのは子供なのか、それともほかの何かか - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/03/25
    一見、現行の制度を反対しているような向井さんも「自分の子供」という定義に関わる社会的なある常識の枠からは逃れられない?まぁ今は「養子」より「自分の子供」の方が法的な面で有利なんだろうしなぁ
  • 女を降りる、男を降りる - umeten's blog

    「女を降りる」ってセリフはよく聞く。いや、たまにだけど。じゃあ「よく」じゃねーよこのスカプラチンキがとかいうハナシはおいといて、「女を降りる」ということについて、その中身をふと考えてみた。 1、化粧をしない 2、9号サイズ(だそうです*1)の標準体型を維持するしない(うわーブクマコメント読むまで気づいてなかった……orz) 3、オシャレをしない 4、ファッション雑誌を読まない ……って、番号振ってみたけどこれって順不同だよな。 でまあ、その辺かなと思って考えてみたところ、はじめは大体「ものを買うこと」になってんだよな、ということに気がついたというか考えが落ち着いてたんだけど、なんというか「身体加工」と「技術習得」でもあるんだなということに気づいた。 で、一方で今まさに自分がそうであると思われる、というか物心ついたときからそうなんだから若さを理由にゴタクを投げつけられてもしょーがねんだよデコ

    女を降りる、男を降りる - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/03/21
    「ものを買うこと」「身体加工」と「技術習得」。<男を降りる>に関しては現状では<女性的表象を用いる>とたまに「男を降りた」ように周りから見られることがある。後は「性的な積極さからの撤退」ぐらいか?
  • 最小表現コストと「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」 - umeten's blog

    ちょっとだけ帰ってきた過下郎日記 - 「甘え」をめぐる(不毛な)議論 「甘え」論議については、id:hazama-hazamaやid:crowserpentに同意することひとしきりなので、そこから派生した別の問題に少しだけ触れる。 これである。 <コメント欄> >ラジオ氏 あんたの言っていることが一番つまらん。 議論の流れの中にあってまったく異質な粗暴な表現ではある。 しかし、粗雑な口語表現というのはコミュニケーションを交わす上での最小表現コストなのである。 そしてまた、それには当人ごとにそれぞれ「最適化」された形態というものがある。 それゆえ、コミュニケーション表現にはそれぞれの「個性」というものが発生することとなる。 その「粗雑さ」=「個性」というものは、感情的なものになることも、情緒的なものになることも、乱暴なものになることも、丁寧なものになることもある。 より文字表現に即して言うな

    最小表現コストと「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/03/01
    『「自分にとっての最小表現コストは、すなわち相手にとっての最大解析コストとなる」』『「冗談だよ」「ジョークだよ」「ネタだよ」』→「相手にコストを押し付けている」