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ブックマーク / macska.org (10)

  • 「性産業の需要を減らすアプローチ」に関する記事へのコメントに、いっせいお応え - macska dot org

    前エントリ「『性産業の需要を減らす』アプローチが、性労働に従事している人にとって有害でしかない理由」への反響にお応えする、恒例の「はてなブックマークコメント(やツイートやその他のコメント)にコメント」のお時間です。ちなみにこのブログは、ふだんの一日の閲覧数がだいたい100〜200程度しかないサイトなのに、この記事が発表された途端に大量のアクセスが集中し、半日のうちに1万ヒットを大きく超える反応がありました。ソーシャルメディアってこわいです、はい。 とはいえ、ツイッターやはてなブックマークで記事についての感想や意見を書いている人は、いつもとそれほど変わらない人数でしかなく、よく見たらいつもコメントをくださっている人が多かったりするので、アクセスが増えただけで、最後までちゃんと読んで、考えてくれた人は、ふだんとそれほど変わっていない気もする。でも、せっかくコメントをいただいたので、いろいろお応

    「性産業の需要を減らすアプローチ」に関する記事へのコメントに、いっせいお応え - macska dot org
    Imamu
    Imamu 2012/08/07
    「性労働者運動~リーダー的立場~社会的・関係性資本に恵まれ~法改正やスティグマ解消~邁進しがち」「スティグマ解消されたら困る」という人たちだって」//「供給側/需要側~社会集団として、固定されるおそれ」
  • 「性産業の需要を減らす」アプローチが、性労働に従事している人にとって有害でしかない理由 - macska dot org

    Filed under economics, sex trade Posted on 2012/08/05 日曜日 - 23:29:33 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/397/trackback/ 24 Responses - “「性産業の需要を減らす」アプローチが、性労働に従事している人にとって有害でしかない理由” sakaeru Says: 2012/08/06 - 04:06:19 - 「貧困で性産業に従事せざるを得ない人達の立場がある」という主張は売買春を規制されたくない者達の建前だと思っています 貧富の差があるとはいえ先進国で経済大国で福祉もある米国で体を売らないと生きていけない人などいないでしょう 私は売買春は悪だと思って

    「性産業の需要を減らす」アプローチが、性労働に従事している人にとって有害でしかない理由 - macska dot org
    Imamu
    Imamu 2012/08/06
    「より稼げる仕事に転職する」というオプションがない限りにおいて、政策的介入の影響は、売り手が「より低い価格で」「より悪い条件で」「より多くの客を相手に」性的サービスを売る」//「リスクを軽視する客」
  • 「当たり前のこと」が「当たり前である」ことの不当性/「性犯罪者が手を出しにくい女性になるために」的アドバイスについて - macska dot org

    以前、『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』でお世話になった双風舎社長の谷川茂さん(これまで親しみをこめて同書執筆陣の一部で勝手につけたニックネームで呼んでいたが、ちょっとそういう気分ではなくなったので今後改める)が「夕刊ガジェット通信」で週三回掲載している連載において、「性感染症『天国』の実態」という記事を公開したが、その内容が世の中に溢れているような同性愛者や両性愛者に対する偏見に無批判に加担するだけのものだと感じたので、批判する文を書いた。 その後も谷川さんの記事を読んでいていろいろ疑問を感じるところもあったのだけれど、今週掲載された「性犯罪者が手を出しにくい女性になるために」という記事は、度を越してひどいというか、前に性感染症の話題に関連して同性愛者・両性愛者への偏見に加担したのとまったく同じかたちで、女性差別や性犯罪の被害者非難(暴力などの被害を受けた人に、その

    「当たり前のこと」が「当たり前である」ことの不当性/「性犯罪者が手を出しにくい女性になるために」的アドバイスについて - macska dot org
    Imamu
    Imamu 2011/09/27
    「性暴力の多くが見知らぬ他人ではなく面識のある人によって起こされるという事実からも目を逸らさせてしまう」
  • 橋本努氏の「売春業のライセンス化」論は、承認も社会的包摂ももたらさない - macska dot org

    ここのところ記事を書かせてもらっている「シノドスジャーナル」の執筆者の一人でもあり、わたしと守備範囲がかなりかぶっている(経済学よりの社会思想)橋努さん(北海道大学大学院経済学研究科准教授)が、新著『自由の社会学』に関連して、「気鋭の社会学者が提案する『売春業のライセンス化』と『自由な社会』とは?」と題するインタビューを受けている。『自由の社会学』そのものは読んでいないのだけれど(紀伊國屋書店ビーバートン店でみかけたら買おうと思っている)、このインタビュー記事を読んで気になった点をいくつか。 タイトルにもあるように、このインタビューが取り上げているのは、『自由の社会学』の多岐にわたる(らしい)トピックのうち、「売春業のライセンス化」について。橋さんは、次のように説明する。 しかし現実には、オーストラリアやニュージーランドで、売春業の経営者にライセンスを与える形で、売春の合法化が行われて

    橋本努氏の「売春業のライセンス化」論は、承認も社会的包摂ももたらさない - macska dot org
    Imamu
    Imamu 2011/02/25
    『ライセンス化は「売春業の経営者」を規制するのが目的であるのに、なぜか橋本さんが推奨するのは「労働者の規制」のようだ』「ほかの人が当たり前のようにして享受している社会的制度」
  • macska dot org 差別についての、ごく基本的な考え

    最近別ブログ *minx* のほうで関わった論争に関連して、差別についてのわたしの基的な考えを明らかにしておく必要があると思ったので簡単にまとめてみます。ていうか、以下に書くことはほとんど以前某掲示板で書いたことの再掲なので、お馴染みの読者もいるはず。ただし、最近の論争もそうなのだけれど、差別について議論する際に常にわたしがここで書く通りの意味で「差別」という言葉を使っているわけではない(相手がある議論では、相手に定義を合わせることもある)ので、そのあたりは分かってね。 まず差別という語を goo を通して『大辞林』で調べてみると以下のように書いてあった。 (1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 「いづれを択ぶとも、さしたる—なし/十和田湖(桂月)」 (2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また

    macska dot org 差別についての、ごく基本的な考え
    Imamu
    Imamu 2010/07/20
    『偶発的な巡り合わせによって起きる「単なる不当な扱い」と、社会的な構造が関係する「差別的な扱い」』「社会的属性をもとに、社会構造と共鳴し循環するようなかたちで不平等な扱いをすることが「差別的」になる」
  • 「インターセックス」から「性分化・発達障害」へ - macska dot org

    BBC のプロデューサから電話。英国で昨年放映したシリーズで、子どもにビデオカメラを渡して自分自身や周囲の人との会話を撮影させる『My Life As A Child』というドキュメンタリがあるのだけれど、それのインターセックス版を作れないかという相談。大人が編集するとはいえ、ナレーションを付けたりせずに子どもが撮ったままの映像で子ども自身の「現実」を映し出すというコンセプトは素敵だけれど、インターセックスに限って言えばかなり無理。 多分 BBC では、周囲から扱われるのとは別の性で扱われたいと言っている子どもとか、男の子にも女の子にもなりたくないと思っている子どものことを想像していたんだろうけれど、それならインターセックスの子どもでなくてそういう子どもを捜せばいい。その子がたまたまインターセックスということはあり得るだろうけれど、身体的にインターセックス「だから」性自認も非典型的だという

    「インターセックス」から「性分化・発達障害」へ - macska dot org
  • 北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争 - macska dot org

    だんだんネタの鮮度がさがってきて最初ほど面白くないという噂もある北米社会哲学学会報告、今回はともにキャサリン・マッキノンの思想とフェミニズム法哲学に関連した発表二件について。「Toward a Feminist Theory of the State」などの著作を読んでマッキノンの主張を理解している人は別として、彼女の主張を「反ポルノ、反売買春」の文脈だけで見聞きして、そのおかしな主張(ごめん)がどういう理屈で成り立っているのか不思議に思っている人には、簡単なマッキノン入門編になるかも。あと、フェミニズム法哲学の弱点を乗り越えるものとしてアクセル・ホネットの承認理論を元にした「承認の法哲学」なるものも登場する。 第一の発表は、ポートランド大学哲学学部の Jeffrey Gauthier による、売買春の法的・倫理的な扱いに関して哲学者が取り得る立場の分析。とくに Gauthier は、対照

    北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争 - macska dot org
    Imamu
    Imamu 2008/10/02
    「性規範的/性無規範的」「市場重視/公正重視」保守主義/リバタリアン/ラディカルフェミニスト/D
  • macska dot org >> Blog Archive >> フェミニズムにおけるポルノグラフィ否定論と肯定論の意外な近さ

    先日、反ポルノグラフィ論者で男性問題研究者のロバート・ジェンセン氏(テキサス大学)が、ポルノグラフィと男性性の問題について書いた近著『Getting Off: Pornography and the End of Masculinity』に関連した講演のためポートランドを訪れたので、積極的なポルノ肯定論者とまではいかないものの「反・反ポルノ論」程度にはこの論争にかかわってきたわたしも参加し、じっくり話を聞いてきた。その結果感じたのは、肯定派・否定派のどちらの側でも、相手の意見をきちんと聞く余裕のある人は、かなりの部分同意できるというか、同意できない部分に関しても「自分が絶対正しくて、相手は絶対間違っている」みたいに決めつけずに済むのではないかということだった。詳しく報告してみたい。 そのまえに、ジェンセンとかれのについて一応。かれはもちろん、宗教的・性道徳的な立場からの反ポルノ論者ではな

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    Imamu
    Imamu 2008/06/27
    (ポルノ論争)(ドウォーキン・マッキノン)(差別的な表現and言論の自由and検閲・規制)「一般的ポルノグラフィ」-「一般的なポルノ消費者」/『対抗言論を掲げ議論を通してそれを言論の自由市場から駆逐』
  • macska dot org, 性的指向というレトリックと「性の序列化」

    前回 tummygirl さんのちょっと古いエントリーにコメントさせてもらったけれど(その際は、文意を少し読み違えた部分があったようでごめんなさい)、そうしているうちに tummygirl さんと HODGE さんとのあいだでちょっと面白い議論が起きているのでよその議論にちょっとだけ割り行ってみます。議論の流れは、ここからはじまって、それへの反論、そして再反論その1・その2、再々反論、再々々反論といったところ。 さて、割って入ると言ってみたけれど、だいたいわたしは tummygirl さんと同じ立場なので、実は議論の筋に付け加えることは特になかったりする。時と場合と相手によっては「同性愛/異性愛/両性愛」といった「性的指向」を「SM」その他の「性的嗜好」と区別することが有効な戦略で有り得ることは確かだけれど、それは同時に「性的嗜好」による差別や性の序列化を正当化する論理になりかねない(と

    macska dot org, 性的指向というレトリックと「性の序列化」
    Imamu
    Imamu 2008/02/23
    「ペドフィリアという性的指向を認めた上で、彼らの欲求を実際の子どもが介在しない形で満たすように導くしかない」『選択可能』/『選択した覚えがない』
  • macska dot org » Blog Archive » 「加害者は決して完全悪ではない」こそ反DV運動の教訓

    以下に報告するのは、以前から何度か話題のソースとしている某秘密主義ジェンダー研究系メーリングリストで過去数日にわたって続いたドメスティック・バイオレンス(DV)についての議論について。わたしと意見をたたかわせた相手の中心的な人はDVについての著書もある男性の学者なのだけれど、リストのルールによってリスト外での引用不可とされているので名前を伏せ、直接の引用は避けることにする。わたしは学術的な議論は公に開かれているべきだと思うのでこのメーリングリストには非常に不満があるのだけれど、貴重な情報源でもありルール違反を理由に追放されては困るので、「名前を出さない」「直接の引用はしない」というところまで妥協しちゃっています。 議論の焦点は、DVにおいて「加害者完全悪論」は良いか悪いか、そしてDVを通常の暴力と同様に犯罪として処罰することがDV解決に繋がるかどうかという点。「加害者完全悪論」というのは、

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    Imamu
    Imamu 2006/12/03
    「加害者を~モンスター~「他者」として扱うことは解決に繋がらない」「公権力による日常的な暴力を正当化・深刻化することに」「合意も納得もしていない不公平な扱いを「自己決定」の美名で容認するのはおかしい」
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