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ブックマーク / someru.blog74.fc2.com (8)

  • Hang Reviewers High / 耳をすませば

    最近TSUTAYA DISCASのレンタルDVDを借りているという話は何度か書いているが、見るヒマがないので取りあえずXvidにエンコードしてハードディスク内に保存している。だがしかし、動画ファイルになっていても、ヒマがなければ見られないものはやっぱり見られないのである。 仕方がないので風呂で見ることにした。最近はわざと自分で忙しくしているので、時間を有効に使おうという気持ちも大きくなってきている。それで、何でも風呂でやろうとしているのだと思う。昔ならこんなところで、さも時間が惜しいかのように映画を見るなんて、とても嫌だったはずだ。だが今の僕は「だったら見ない方がいい」という判断こそを消極的なものとして退けようとしているのだ。 こうして僕は、Xvidの動画ファイルを携帯動画変換君でMP4にエンコードして、ゲームボーイアドバンスSPに挿したPLAY-YAN microで見ることにしたのだ。風

    Imamu
    Imamu 2010/07/09
    「現実とは存在するだけで彼女を物語から引き離そうとする手強い相手である。作家になるということは、その劣勢から、彼女がついに自分で新しい物語を紡ぎ出すということなのだ。その瞬間こそが感動的なのである」
  • Hang Reviewers High / デトロイト・メタル・シティ

    「デトロイト・メタル・シティ」というマンガを僕は世間で面白いと言われているほどに好きではなくて、だから映画にもさほどの興味がなかったが、ほとんど偶然に見に行ったところ、まったく想像を超えて非常に面白い部分があった。 この原作マンガを僕がさほど面白いと思わないのは、ギャグマンガとして、お話の中にあるギャグのリズムパターンが一定でありすぎるからだ。これはもう単純に好き嫌いの問題なのかもしれないけれど、まず「面白さ」の根源が常時、ズレたお笑いとして見た「デスメタルの凶暴性」と「渋谷系のオシャレさ」、そして何らかのマンガなどのパロディという要素に還元されてしまうところに、読んでいるうちに飽きを感じてしまう。ひとつひとつのネタが面白くないというわけではないのだけれど、冷静な見方をしてしまうと大きな笑いの要素としてはメタルとオシャレとパロディに絞られてしまう。しかも「エアレイプ」とか「ベルリンの金色の

    Imamu
    Imamu 2008/09/01
    「「あらゆる音楽が誰かに夢を与えうる」という題目の下に等価なものとして並べてしまわれる」「膨大な消費材の海に自分が愛する何かや他人が愛する何かがあるのだ、という形でのみ等価に位置づける」
  • Hang Reviewers High / 新現実 Vol.1

    先日、SFマガジン6月号で連載が終了した宇野常寛「ゼロ年代の想像力」の連載分をすべて一気読みした。彼の展開する議論には、僕にとって賛同できるいくつかの部分と、そうでないいくつかの部分がある。それについて、まず一点を僕が思う状況を整理しながら考えてみたい。 彼の主張は、まず「90年代の『引きこもり』」があり、2000年代前半に「エヴァ」的感性の延長線上、あるいは残滓であるセカイ系があり、そしてゼロ年代においては 社会の既存のルールが壊れていることは「当たり前のこと」として受け入れ、それを自分の力で再構築しようといこうとする という、「DEATH NOTE」の夜神月に象徴される「決断主義」が来るという一連のフィクションの流れがあったという。 僕は現在、彼の言う「決断主義」のようなものがゼロ年代のフィクションとして大きく特徴付けられるという主張に異論がない(なお参考までに記しておくと、彼の主張は

    Imamu
    Imamu 2008/06/05
    (ゼロ年代)(ファウスト)(セカイ系)『「ほしのこえ」に代表されるようなセカイ系の物語とは相反するはずの「木更津キャッツアイ」は、物語論のレベルで同列に並べることができている』
  • Hang Reviewers High / 相対性理論「シフォン主義」

    「オルタナティブ」「ミクスチャー」「アブストラクト」などの言葉を「ジャンル」として認めたときから、音楽の世界では既にすべてのジャンルが相対化されていた。もっと前、その前から、DJではない、単なるリスナーが、そしてミュージシャンが、レコード箱を漁って音楽のシーケンシャルな進化を退けたときから、そうなっていた。「レア」とか「グルーヴ」という言葉で価値は順位づけられていたが、「オルタナティブ」や「ミクスチャー」以降の世界では、それすら意味を持たなくなった。サブカルチャーの分野では、おそらく、音楽には最も速く、早く、すべては相対化された。ファッションは、長きにわたって音楽の動きを観察し、それをモードとして採り入れ続けたが、やがてそれがすべてが等価になるということを意味するのだということがはっきりする頃から、それをやめたのだ。 相対性理論がなぜよいのか、ということについてずっと考えている。相対性理論

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    Imamu 2008/06/01
    (相対性理論)「木訥としてマンガそのもののような遠未来サイキック少女ものストーリー」「この詩を書いているのが~ボーカルの女の子じゃなくて、全然そうじゃなくて、ベースの男の子なんだ、というところだ」www
  • Hang Reviewers High / hon-nin列伝 セキララなオンナたち

    吉田豪については今さら僕が説明するまでもないがとても面白い仕事をしているライターで、中でもインタビュアーとしては非常に素晴らしい仕事をいくつもこなしている。僕も最近なぜかよくインタビューをするんだけど、吉田豪みたいにやるのがベストだよなあと思いながら、できないでいる。悔しい。吉田豪のインタビューが面白いのは、やはりタレントを買い漁り、またメディアなどでの発言を偏執的な情熱でチェックして、インタビューイが完全に忘れていたような濃厚でダークなエピソードを切り出すところだ。東郷健や楳図かずお、角川春樹などにインタビューしまくった「人間コク宝」は読んでいないが、往年のアイドルに現役時代の暴露話を聞いた「元アイドル!」が大好きだった僕としては、「hon-nin列伝 セキララなオンナたち」はすごく面白い。 このは荻野目慶子や土屋アンナ、麻生久美子などに話を聞いているが、僕の周囲ではなぜか麻生久美子

    Imamu
    Imamu 2008/05/01
    (吉田豪評)『彼は基本的にあらゆる芸能人を人間として扱っていないと思う。人間じゃないもの、超人として扱っている。または、プロレスラーとして扱っている』
  • Hang Reviewers High / クイック・ジャパン74

    沖縄に行ったり仕事をしたりと忙しい間に、Quick Japan Vol.74が発売されたのだ。このは何とPerfumeについての特集号で、僕も文章を書かせていただくことができた。依頼されて、そういう機会はもうないかもしれないと思ったので、すぐに引き受けた。語り尽くせない色々な経緯があって、できあがったのはこういうものである。 【FEATURES.1】 Perfumeアイドル」の意味を回復する3人 ■2007.9.17 新曲「ポリリズム」発売記念イベントレポート ■誌独占!Perfume10,000字インタビュー!! アイドルとして、テクノとして、どんな楽しみ方をされてもいい ■私がPerfumeを好きな理由。 ピエール中野(凛として時雨)/大谷ノブ彦(ダイノジ)/ 後藤まりこ(ミドリ)/サエキけんぞう/辛酸なめ子/SPECIAL OTHERS/ 西脇彩華(9nine)/掟ポルシェ(

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    Imamu 2007/10/17
    (Perfume)面白ひ。「アイドルを誰もが見捨てている。我々がここで正しく捉えなければならないのは、アイドルソングに対して期待しない風潮を作り出しているのが、作り手と聴き手の両方」七里さん/宇多丸さんの引用あり
  • Hang Reviewers High / 鈴木亜美 joins キリンジ「それもきっとしあわせ」

    鈴木亜美の最近の活動については人と意見が分かれて、僕は聴く前にかなり否定的だった。 僕はヒットチャートとは一線を画するようなミュージシャンがアイドルをプロデュースした仕事を、そんなに嫌いじゃない。むしろ好ましい。しかし、この企画はよくないと思った。最初にこの企画を知ったのは雑誌広告である。そこにあった鈴木亜美の写真には人形然とした演出が施されており、それを見たからこそ、僕はげっとなった。その広告はアイドルというものを批評的に表現しているわけだった。この批評性が、よくある陳腐なものだからいけないということではない。そうではなくて、ならばこの操られる人形というポジションにいるのは間違いなくアイドルでなくてはいけないだろう、ということだ。ここに今の鈴木亜美は来ないだろう。僕はそう考えたのである。まず今の鈴木亜美をアイドルの立場にあてがうのは勘違いも甚だしい。2007年において鈴木亜美が何かを象徴

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    Imamu 2007/04/06
    アイドルorボーカリスト。2007年では『鈴木亜美が何かを象徴しているにしても、いわゆるアイドル性ではない』『アイドルと与えられる楽曲が相互を補完しあいながらリスナーに感動を抱かせる、アイドルポップスの本質』
  • Hang Reviewers High / AKB48「制服が邪魔をする」

    AKB48にはほぼ興味がなかった。しかし秋元康の仕事を僕はかなり評価しているため、AKB48についても「スカート、ひらり」などはいいと思っていた。デビュー当時のAKB48は「アキバ系」のブームの流れから導き出されていた。これは過度に清楚さと処女性を強調しつつ少女に対する性的な幻想を味付けとして使うという80年代アイドルのパロディ的存在でありつつ、現在のオタク文化が持っている保守的な女性観との一致を正しく指摘したものだと思っていた。だが、最近このグループのリリースを意識して見ていなかったうちに、どうも様子が変わってしまったようである。PVを見ればより明らかだが、「制服が邪魔をする」は推定少女の焼き直しと言っていい。 「女性としての性を求められるが故にハードな現実を生きる制服少女」という90年代的なキャラクター性は、パロディとして現在について批評的な視線を投げかけるものではない。つまり僕は「渋

    Imamu
    Imamu 2007/02/07
    面白ひ。「80年代アイドルのパロディ--保守的な女性観」//「推定少女の焼き直し」(90年代的なキャラクター性)//Berryz工房(「社会性をアイドルに持たせようとしない」)
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