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ブックマーク / masao-hate.hatenablog.com (7)

  • 現実の女性がもつ、男性への多様な嗜好性を指摘した好著「草食系男子の恋愛学」 - 世界のはて

    系男子の恋愛学 作者: 森岡正博出版社/メーカー: メディアファクトリー発売日: 2008/07/16メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 106人 クリック: 2,311回この商品を含むブログ (119件) を見るid:kanjinaiとしてブログも書かれている、森岡正博氏の「草系男子の恋愛学」を読んだ。好著。 このでは、「女性は男性に対し、必ずしも『社会的能力』や『男らしさ』を求めるわけではなく、『安らぎ』や『癒し』を第一に求める女性も非常に多い」ということが、繰り返し書かれている。これが、こので森岡氏が主張したいことの核心なのだろう。 この主張をベースに、「男らしい男=デキる男=モテる男」という理解が一般的で、男性自身もそう思い込みがちな恋愛において、「癒し系」の「草系男子」たちが、いかにして内面化した劣等感を克服して恋人を得、その女性と良い関係を維持していくかという

    現実の女性がもつ、男性への多様な嗜好性を指摘した好著「草食系男子の恋愛学」 - 世界のはて
    Imamu
    Imamu 2008/07/30
    『恋愛は、家父長的なものを存続させるのに都合が良いシステムとして、社会に組み込まれいる』『恋愛において男性は、女性の保護者のように振舞うべきであり、女性から被保護者のように扱われてはならない』
  • 俺はオタクカルチャーに感謝している。オタクにならなければ猟奇的殺人者になっていたから…… ? 秋葉原通り魔事件の報道を観て思う - 世界のはて

    秋葉原通り魔事件のニュースを、TVやネットで観て周った。予想通りというか、使用されたダガー、秋葉原という犯行場所等から、ゲーム等のオタクカルチャーに原因や因果関係を求める発言をいくつか見かけた。 彼・彼女等は、オタクカルチャーがなくなれば、こうした犯罪が無くなるとでも思っているのだろうか?もしそうだとしたら、少し待って欲しい。ここに、オタクカルチャーのお陰で犯罪者にならずに済んだ人間がいるからだ。 オタクコミュニティ内における成功体験が、『脱オタ』推進にも影響した一例 http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/case02_1.htm ↑は、数年前に書いた僕の生い立ちだ。思春期の間、ずっとコミュニケーションの問題に悩み続けた僕が、20代の初めにゲーセンのコミュニティに所属することで、かろうじて他者との繋がり

    俺はオタクカルチャーに感謝している。オタクにならなければ猟奇的殺人者になっていたから…… ? 秋葉原通り魔事件の報道を観て思う - 世界のはて
    Imamu
    Imamu 2008/06/12
    ダメ人間で且つオタクにすらなれなかったらどうすりゃいいんだろ(オタクコミュニティに上手くアクセスできなかったらどうするりゃいいんだろ)
  • かっ、勘違いしないでよね!別にアンタに好かれたくてオシャレしてるわけじゃないんだからね!! - 世界のはて

    という気持ちで一杯のはてな☆ツンデレGirls達が、激しい論争を繰り広げている昨今のはてな村界隈なわけですが。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/nogamin/20070510/p2 女性も男性も(異性愛者であれば)、異性愛の権力の場にとらわれないファッションの空間にいることはできないというのは、どうなのかなー、と思います。 id:nogaminさんには悪いけど、自分がどういう動機でオシャレをしていても、他者がそれをどう評価するかを完全にコントロールすることができない以上、「異性愛の権力の場」からは誰も逃れられないと思う。 でも、「すべてのオシャレは男受けである*1」とか「男は女のためにしかオシャレしない?」とか言われれば、それも間違っていると思う。 自分の内面や主観に限定すれば、異性受けを狙わない純粋な趣味としてのオシャレというのは、あり得る。自分の好きな

    かっ、勘違いしないでよね!別にアンタに好かれたくてオシャレしてるわけじゃないんだからね!! - 世界のはて
    Imamu
    Imamu 2007/05/11
    偉い人がファッションはファッショ(ファシズム)であると言いました。コメント欄が面白ひ。『異性愛的消費の視線が結果的に個人にもたらす効果を軸にファッションを語ることは弊害の方が大きい』
  • 世界のはて - なぜオタは、自分やその同族をメタ視しては、勝手に自己嫌悪に陥りますか?

    ・狐の王国 - ハルヒダンスに見る二種類のオタク 上に挙げた記事と、そのブクマコメを見て。 非常に悪い意味で「オタク界隈的」な光景が繰り広げられていると感じた。ハルヒダンスを踊っている連中じゃなくて、2chやらはてぶやらで、このダンスは外向的か内向的かとかってメタ話をしている連中のほうに。 ハルヒダンスそのものよりも、この「同族をメタ視せずにはいられない自意識過剰さ」や「自己卑下の激しさ」こそが、非常に嫌な意味で「オタク界隈的」だと感じる。正直言って、キモい。 僕はオタク文化は基的に好きなんだけど、この文化が唯一キモいと感じる点は、文化をベタに楽しまず、メタ視してギャーギャー言い合い、しかもそのうえ勝手に同属嫌悪や自己嫌悪に陥る連中が多すぎるところですよ。なんでそこで自己嫌悪する?そんなに自分の所属する文化に自信がないの?とか思いますよ、えぇ。 確かにハルヒダンスは「『外向』ではなくて『

    世界のはて - なぜオタは、自分やその同族をメタ視しては、勝手に自己嫌悪に陥りますか?
    Imamu
    Imamu 2007/04/29
    私は逆にはてな的な「メタおたく?」は少数派だと思ってた。逆にベタすぎて(相対化できてなくて)嫌になるパターンが多かった。後、ギャルたちもメタ視(はてなと方向性は違うが)はしているような気がする。
  • 成功や欲望を「たいしたことねーな」と実感できるようになることにこそ、成功体験の意味はあるのかもしれない - 世界のはて

    少し前、僕もとうとう29歳になったんですが、この歳くらいになると、流石に自分の人生に新しい可能性ってもんがなくなってきたなと、ヒシヒシと感じるわけです。 たとえば最近僕はDJの練習中なんですが、今更有名DJになってブイブイ言わすとか、絶対ありえませんから。そうすると、最初から変な夢持ったりせず、淡々と趣味としてこなすようになりますよね。まぁ現実的なんだけど、モチベーションもイマイチだし、自分の中の盛り上がりにも欠ける。そこには若いときと同じような燃え上がるような面白さや楽しさは、ない。 それになんていうかね。もう、見えちゃってるんですよ。たとえその「夢」を達成したとしても、自分がどれだけ楽しくて、どれだけ幸せになれるのかっていうことが。 僕のこれまでの人生で「成功体験」だったと自分で考えていることは、 スコアラーとして全一をとった。 ゲーム製作を志し、ゲーム開発会社にPGとして入社。 脱オ

    成功や欲望を「たいしたことねーな」と実感できるようになることにこそ、成功体験の意味はあるのかもしれない - 世界のはて
    Imamu
    Imamu 2006/12/13
    ビジネス書でよく書かれてる「小さな成功体験」の積み重ねによる自己肯定のお話。
  • 非モテ女が洒落にならない理由 - 世界のはて

    http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20061002/p3 真の非モテ女は当にインビジブルなんじゃなかろうか。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/otsune/20060930/himotefemale おそらく、真のモテない女は、笑いのネタ(はてなのネタ)にならない。 シリアスな悲劇である。ビューティーコロシアムの再現VTR。 http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20061004/p1 たとえば、「女版ラジオクリルタイ」なんて想像できますか、みなさん。ブスが寄り集まって素晴らしい人々へのルサンチマンを語ったり暗い学生時代を振り返ったりするネトラジ。ちっとも笑えない話になるか、やたらハイテンションなお笑いになるか、じゃないでしょうか*2。非モテ男と非モテ女、いまだ

    非モテ女が洒落にならない理由 - 世界のはて
    Imamu
    Imamu 2006/10/17
    面白ひ。『女「恋愛が仕事」/男「金を稼ぐことが仕事」』という価値観から来る帰結
  • フェミニストとメンズリブ(マスキュリスト)が共に主張すべきことは - 世界のはて

    ↑の記事に書いたように、僕は中性的で男社会が苦手なので、「男性性から開放され、オンナのように生きたい」と思うことが時々ある。僕がジェンダーフリーの思想に結構興味があるのは、それが「オトコのように生きたいオンナ」による、女性性からの開放運動であるからなんだろう。 で、僕のような「オンナのように生きたいオトコ」が生き辛さを感じるのは男社会に対してなんだけど、「オトコのように生きたいオンナ」が生き辛さを感じる対象は何かって言ったら、これもやっぱり男社会になるのかなぁ?たぶん。女社会ではなくて。 この非対称性はどこから来るんだろう?って考えてみたんだけど、そもそもジェンダーという規範を作っているのが「社会」であるのだから、それを逸脱した生き方を望む人間が直面するのはどっちにしろ「社会」であり、その「社会」を構成しているものが「男的なもの」である限り、ジェンダー論が常に「男社会」との闘争になるのは当

    フェミニストとメンズリブ(マスキュリスト)が共に主張すべきことは - 世界のはて
    Imamu
    Imamu 2006/06/03
    可愛いものに生まれたかった
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