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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (7)

  • 「やり方」を教えること - ohnosakiko’s blog

    上のトークイベント告知記事を挙げてネットを巡回していたら、とても関連する内容の記事がブックマークを集めていた。 「好きに書きなさい」はタイミングによっては最悪。:島国大和のド畜生 読書感想文で、絵画で、自由研究で、基的なやり方を教えず『自由にやりなさい』と命じるのは、マイナスが大きい。 それは「ほっといても出来る奴を選ぶやり方」であって、それぞれをそれなりのスタートラインに立たせる為の教育では無いのではないか。 作文や美術(図画工作)や自由研究課題でモヤモヤした思い出のある人は多いようで、ブックマークコメントも興味深い。数年に一回くらい、こうした話題をネットで見る。2008年に非常にブクマを集めて話題になっていたのは、この記事だ。 もっと、学校でテクニックを教えてくれればよかったのに - Hatelabo::AnonymousDiary この中の図工の問題については、拙書に書いたので少し

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  • 隠喩から換喩へ、そして‥‥(「文学2.0」読書メモ) - ohnosakiko’s blog

    『日2.0 思想地図β3vol.3』に掲載の「文学2.0 余が言文一致の未来」(市川真人)読了。メインの分析対象として取り上げられている国民的マンガ『ONE PIECE』を読んでいないばかりか、そもそも最近の小説や文芸批評にもほとんど目を通していない私のような者にもわかりやすく、かつ刺激的な論考だった。 主要テーマである「隠喩から換喩へ」は、個人的には既視感があったのだが、そのことで一層テキストが興味深く読めた。これについては後で述べたい。 15章46ページに渡る論考全体の論旨をまとめるのは私の手には余る*1 ので、「隠喩と換喩」を中心に述べられた10章あたりまでを、テキスト参照しつつざっと復習してみる。 1、『ONE PIECE』が少年ジャンプに掲載されたこの15年、20世紀末から21世紀初頭にかけては、「言説とその流通をめぐる環境」が急速に変化したが、明治の一時期にも似たような変化が

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    Itisango
    Itisango 2012/08/09
  • デュシャンの『泉』についての会田誠の発言 - ohnosakiko’s blog

    デュシャン以降も作り続けるという正当性をどう確保したらいいかで、現代のアーティストは頭を悩ませ続けるんですね。 (11日『誰でもピカソ』での発言) アーティストは悩み続けることをアイデンティティとしている、というふうにも受け取れる。 「デュシャン以降」というフレームを前提とした段階で、作り続ける正当性は奪われるのにも関わらず、悩み続けることは、何かを先送りしているということになるのだろう。 だから、私も間違っていたんだと思う。悩むことは避けられないが、悩み続けることから快楽を引き出すのは、ヒステリーと似ている。 悩まないで作れる人は、デュシャンを棚上げできる文脈を、自分の中に作っているのだろう。そういう「強靭さ」あるいは「鈍感さ」こそが、現代のアーティストに必要なものだとされているのかもしれない。村上隆みたいに。会田誠はもう少しセンシティブな人なので、真面目なことしか言えない。 ちなみに、

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    Itisango 2010/06/19
  • 男であることのストレス - ohnosakiko’s blog

    男女論になるとよく「主語が大き過ぎる」という指摘が出る。「男とは」「女とは」という語りによって、現実には多様な男や女を一括りにしている、一般化してしまっているという批判だ。「私はここには含まれない」「こうじゃない人もいる」という意見も時々出る。 そういうことを言われるたびに、「男とは」「女とは」と言っただけで何故「すべての男」「すべての女」を指していると思うのだろうと疑問をもつ。生物学的な意味での男/女に必ず共通しているのは、それぞれ男性/女性の身体を持っている、ということだけだろうにと。 「男とは」を例にとってみよう。「男とは」話で言われるところの「男」は、文脈によって二種類ある。 一つは、「多くの男は」「男の全体的な傾向として」という話だ。大抵は「女の全体的な傾向として」という話と比較するために書かれる。そう書くだけのサンプルや統計資料、それに準ずるものがあり、尚かつ例外はあるに決まっ

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    Itisango 2010/05/28
  • フェミニズムと「女女格差」 - ohnosakiko’s blog

    pollyannaさんの記事に突っ込みを入れたAntiSepticさんの記事(これを含めて3つほど)に結構疑問ブクマが付き(記事への私のコメントはこれとこれ)、異論記事も出た中でつらつらと。 私も含めて大方の人は主旨を素直に読もうとし、AntiSepticさんはおそらく主旨とは別に抉り取ろうとしているものがあるので、その読みのスタンスによって受け取り方が違ったのでしょうか。いずれにせよ、元記事を御人が削除されたので読み返すことができなくなり、残念です。 元エントリの主旨は無自覚だった自分の発見と懺悔にある、と読めました。(懺悔、という表現は誤解を招くかも知れませんが比喩として) 消毒先生へのリプライ。 - 犬とコロリが愉快な仲間たち 私も概ねそのように捉えた。pollyannaさんのようなエリートではなく、子どももおらず世代も旧い私だが、自身のこれまでの経緯と少し重ね合わせて読んだせいか

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    Itisango 2009/07/20
  • あちこちでセクハラの解釈がぐしゃぐしゃになっていて - ohnosakiko’s blog

    かなり混乱しているような気がするので、個人→個人へのセクハラの必要十分条件、その他最低限言えそうなことをメモしておきます。 ■ 相手が「セクハラだ」と言ったらすべてセクハラになるのか。 なりません。セクハラとなるには、以下の2点を共に満たしていることが必要。*1 1. 性に関与していると一般に解釈可能な言葉、行動、表現が見られる。 2. 1を相手が性的に不快なもの、不安にさせるものと感じている。 1は訴えがあった時、事実関係を確認し、第三者によって判断される事柄です。言葉に限って言えば、容姿年齢服装(性的魅力と関わるもの)だけでなく、セクシャリティの傾向、恋愛経験、結婚離婚経験、子どもの有無について言及することも、セクハラとなる場合があります。しかし「性」とはかけ離れた言葉、行動、表現であれば、ハラスメント効果があっても「セクハラだ」という訴えは無効です。 2は当事者同士の関係、環境、文

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    Itisango 2009/02/18
  • レポートコピペ問題の問題 - ohnosakiko’s blog

    小中学生の読書感想文に、ネットのサイト「〜児童、そして生徒のための〜自由に使える読書感想文」からのコピペが増えており、中には市の読書感想文コンクールで上位に入ってしまったものまであって、先生たちが頭を抱えている‥‥というニュースを昨日やっていた。 このサイトは2004年からあるもので、学校提出に限り著作権フリー(パクリ、コピペOK)としており、パクリがバレた時の反省文の書き方にまでリンクが張られているという親切設計。去年の夏休みにはアクセスが65万件とかで話題になっていたので、ニュースで取り上げられるのも初めてではないだろう。 読書感想文を書くのが苦手な子は少なくないらしい。国語の時間に、書いたものを何度か添削してもらうという経緯があればまだしも、いきなり夏休みの宿題で出たら困る子は多いかもしれない。「自由に使える読書感想文」はそういう小中学生の悩みに応えるもの。これは使っちゃうわなぁと思

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    Itisango
    Itisango 2009/02/07
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