先日公開された記事に、『「話せばわかる」だなんて、やっぱり嘘だった』という記事がある。 たしかにそうだよなぁ、話したってわかんないやつはわかんないもんなぁ。話にならないやつだっているもんなぁ。 納得すると同時に、「だから論破って意味がないんだな」と改めて思ったので、それについてわたしなりにちょっと書いておきたい。 だいたいの場合、話してもムダである 記事の中でとくに感銘を受けたのは、この部分だ。 広島カープと巨人のどちらが優れているかは宗教論争のようなものであり、ロジックやファクトで討論して決められるものではない。民主党と自民党、仏教とキリスト教も似たようなものだ。 だから相手がどんなに論理が破綻した事をいってたとしても、ロジックを用いた知能による暴力を加えて、自尊心を傷つける事はできる限り避けるべきだ。 それは道端であった人が、変な雰囲気がしていたら殴ってよいという事にならないのと同じ事