「一人一人の人間が、その他大勢の遺体の一つになった」。長崎での被爆体験を川上博夫さんが振り返る=加東市南山 70年以上、身元が分からなかった「黒焦げとなった少年」の写真。長崎市長が国際司法裁判所で原爆の被害を訴えた際に掲げたことでも知られる=1945年8月10日、山端庸介さん撮影(山端祥吾さん提供) 2016年、長崎の被爆者らの間で、あるニュースが話題になった。長崎原爆資料館に展示され、被爆の悲惨な実相を伝える写真「黒焦げとなった少年」の身元が浮上したという。知人から伝え聞いた兵庫県加東市の川上博夫さん(85)は、それが旧制瓊浦(けいほ)中の同級生だったと知り、言葉を失った。長崎に原爆が投下された73年前の8月9日、普段通り登校した少年は、素性が分からなくなるほど無残な姿で亡くなり、川上さんは学校を休んで命を拾った。わずかな差で分かれた生死をどう受け止めるべきか、川上さんは今も問い続ける。
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