鎌倉市は、同市由比ガ浜三の長谷小路周辺遺跡の発掘調査で、古墳時代中期~後期(五~七世紀)に男性を埋葬した箱式石棺墓と、子どもを埋葬した土壙墓(どこうぼ)が出土したと発表した。
地域密着のサービスを心がけてきたと語るダイシン百貨店の塩沢紀行副店長=4月26日、東京都大田区山王で(木口慎子撮影) こだわりの品ぞろえと送迎など地域に根差したサービスが全国でも話題になった、東京・JR大森駅近くの「ダイシン百貨店」(東京都大田区山王)が八日に閉店する。総合ディスカウントストアグループを率いる「ドンキホーテホールディングス」が買収し、六月末に「MEGA(メガ)ドン・キホーテ」として生まれ変わる予定。昭和の名残を伝える街の「顔」がなくなることを惜しむ声もある。 (荘加卓嗣) 閉店を控えた四月末、商品もまばらとなった売り場に、常連客が訪れていた。高齢層が目立つ。三十年来の常連という区内の女性(67)は「重いものも配送してくれるから、男手がないわが家では助かった。ダイシンの看板が無くなるのは寂しい」。他にも「食堂は安くてボリュームがあり、おなかいっぱいになった」(区職員)など周辺
完成から二十七年が過ぎ老朽化が懸念される横浜美術館(横浜市西区)=写真=の大規模改修計画が、当初の想定より五年ほど遅れていることが市などへの取材で分かった。二〇二〇年東京五輪に間に合わせるため一九年度までに工事を終える予定だったが、他の施設の改修を優先したという。美術品の収蔵・収集などに影響が出る可能性があるが、市は計画の遅れを公表していない。 (志村彰太) 横浜美術館は一九八九年の横浜博覧会に合わせ、みなとみらい地区に開館した。建物は鉄筋コンクリート八階建てで、日欧の近現代芸術作品を収集、紹介している。一四年度の入館者数は五十三万人。 外見上はきれいな現代建築だが、市文化振興課は「不具合も出てきている」と話す。四~七階の収蔵庫は満杯に近づき、拡張が必要。収蔵できる限界量を市は試算していないが、近年では毎年三百点ほど収蔵数を増やし、昨年は計一万一千点を超えた。
JR東日本横浜支社は来年一月九日、引退する南武線の205系の車両を、「ありがとう運転」と題して臨時列車として運行する。社員が写した車両の写真も南武線の主な駅で展示。いずれも利用客への感謝の気持ちを込めて、最後の雄姿を楽しんでもらう。 同社は昨年十月から南武線で205系にかえて新型のE233系電車を導入。引退した205系は今年四月からインドネシアのジャカルタ首都圏鉄道会社に譲渡してきた。譲渡される車両が今月上旬に最終運転を迎えた際には、「電車をお降りの際はお忘れ物のございませんように。また、この電車との思い出もお持ち帰り頂けたら幸いでございます」などと粋な車掌アナウンスが流れ、インターネットなどで話題になった。 今回の臨時列車は、九日午前十時四十三分に川崎駅を出発。快速運転で武蔵小杉駅や武蔵中原駅などに停車し、同十一時八分に登戸駅に到着する。「南武線ありがとう205系」と書かれた特別なヘッド
東日本大震災による天井崩落事故で多数の死傷者を出し、閉館した東京都千代田区の九段会館が取り壊されることになった。一九三四年に軍人会館として建設され、三六年の二・二六事件では戒厳司令部が置かれた歴史を持つ会館だった。老朽化もあって震災後の営業再開はできず、「帝冠様式」と呼ばれる特徴ある建物が姿を消す。取り壊し後は、民間資本による新たなビル建築が予定されている。 (新開浩) 会館は鉄筋コンクリートづくり地上四階、地下一階。「帝冠様式」の外観は、洋館ながら日本の城のような屋根が特徴だった。戦後は一時、連合国軍総司令部(GHQ)に接収された。土地と建物が国に返還された後、五三年から日本遺族会に無償で貸し出され、同会がホテルや事務所を運営してきた。 震災が発生した二〇一一年三月十一日、専門学校の卒業式の最中に天井が崩落。女性講師二人が死亡し、約三十人が重軽傷を負った。日本遺族会は翌四月、ホテルの営業
来年五月三十一日で約六十年の歴史に幕を下ろすことが、十日明らかになったさいか屋川崎店(川崎市川崎区)。川崎の顔として広く親しまれてきた老舗百貨店の閉店のニュースに、買い物客からは「寂しい」と惜しむ声が上がった。 (上條憲也) 横須賀市で創業したさいか屋は、川崎店を一九五六年に開店。業績低迷から、二〇〇九年に私的整理の手法である「事業再生ADR」を使って経営再建に着手した。 川崎店は土地建物を売却し、売却先から借り受けて営業を続けるとともに、一〇年には大型洋服専門店などのテナントを入れるなどして収益アップに努めてきた。しかし、JR川崎駅西口に大型商業施設「ラゾーナ川崎プラザ」が開業するなど、近年は近隣商業施設との競争も激化していた。 歳暮や中元などの購入で三十年以上、川崎店を利用しているという川崎区の無職平田正憲さん(73)は「昔に比べて客が少なくなったのに、よく営業していると応援していたと
安倍晋三首相は二十日の衆院予算委員会で、教育改革に関し「教育基本法は(第二次大戦後の)占領時代につくられたが、衆参両院で自民党単独で過半数をとっていた時代も手を触れなかった。そうしたマインドコントロールから抜け出す必要がある」と意欲を示した。 安倍晋三首相は二十日の衆院予算委員会で、戦後に長く教育基本法を見直さなかったことを「マインドコントロール」と表現し、教育改革に意欲を示した。 首相は第一次安倍内閣で掲げていた「戦後レジーム(体制)からの脱却」とのうたい文句について「あえて使っていないが、捨てたわけではなく、変わらない」と強調。「憲法や教育制度を私たちの手で変えていくことこそが、戦後体制からの脱却になる」と力説した。 憲法については「(戦後の)占領時代につくられ、時代に合わない仕組みもある。不磨の大典ではない」と述べた。政府・自民党は今国会で、自治体の教育委員会のあり方を見直す関連法改
自分ではがした作品の一部の紙を手にする中垣克久さん=18日、東京・上野公園の東京都美術館で(淡路久喜撮影) 東京都美術館(東京都台東区上野公園)で展示中の造形作品が政治的だとして、美術館側が作家に作品の撤去や手直しを求めていたことが分かった。作家は手直しに応じざるを得ず「表現の自由を侵す行為で、民主主義の危機だ」と強く反発している。 (大平樹) 撤去を求められたのは、神奈川県海老名市の造形作家中垣克久さん(70)の作品「時代(とき)の肖像-絶滅危惧種」。竹を直径一・八メートル、高さ一・五メートルのドーム状に組み上げ、星条旗や日の丸をあしらった。特定秘密保護法の新聞の切り抜きや、「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止」などと書いた紙を貼り付けた。代表を務める「現代日本彫刻作家連盟」の定期展として十五日、都美術館地下のギャラリーに展示した。 美術館の小室明子副館長が作品
東急東横線渋谷駅の地下化を契機に「渋谷の顔」も表情を変える。壁面広告がスクランブル交差点を見下ろす東急百貨店東横店の西館。さまざまな幅の窓がバーコードのように並ぶ南館。フランス建築界の巨匠ル・コルビュジエに学んだ建築家坂倉準三(1901~69)の設計だ。東横店は高層ビルに生まれ変わり、戦後のモダニズム建築は姿を消す。 (小形佳奈) 壁面広告がスクランブル交差点を見おろし、西館の建物横から東京メトロ銀座線が飛びだしているかのような景色が広がる。巨大広告に掲載されることが、スターを夢見て上京する若者の目標にもなった。 東口バスターミナルに面した南館を含め、「多くの人が『渋谷駅』とイメージしているのは、東急東横店の外観」。JR、東急など複数路線が乗り入れる複雑な構造を近著「迷い迷って渋谷駅」で紹介する昭和女子大の田村圭介准教授(建築計画意匠)が話した。 東横店のうち、最初に解体される東館は、東京
人気アニメ「名探偵コナン」などの背景画を手がける制作会社「スタジオ・イースター」(東京都杉並区)の社員3人が同社を相手取り、不払いの残業代や慰謝料など3500万円の支払いを求めて東京地裁に提訴し、裁判が行われている。アニメ大国といわれる日本の制作現場で過酷な労働が蔓延(まんえん)していることは以前から指摘されてきたが、司法の場に持ち込まれるのは珍しい。現在のような状況が続けば、労働力の安価な海外への発注が進み、国際競争力が失われると危惧する声も上がっている。 (井上喜博) 訴えなどによると、二十代の女性社員は週六日の勤務で、締め切り前には七時間の残業を強いられながらも残業代は支払われず、会社からは「アニメ業界に残業代という考え方はない」といわれたという。また三十代の男性社員は、原画などをスキャナーでパソコンに取り込む作業に従事し、多いときには一日千枚以上を任されて頚椎(けいつい)症となった
ブラジルの日系人社会では、太平洋戦争で日本が降伏した後も、勝利を信じる「勝ち組」が多数派を占めた。敗北を認める「負け組」を襲撃、多数の死傷者を出し、三万人を超える日系人が逮捕されている▼分断された移民社会の悲劇を描くブラジル映画『汚(けが)れた心』が、東京や名古屋などで公開中だ。退役軍人の命令により、心優しい写真館の主人が同胞を殺す狂信者に変貌する。その姿を伊原剛志さんが熱演している▼現実を直視せよ、と言う友人に主人公は吐き捨てるように言う。「日本の勝利を信じられない奴(やつ)は日本人じゃない。お前は心が汚れている。非国民め」▼勝ち組は数千人が集団自決したサイパンの捕虜収容所にも存在した。下嶋哲朗さんの労作『非業の生者たち』に教えていただいた▼憲兵に指示され、十七歳の時に男性二人を殺害した男性の証言がある。「男は国賊だ、殺すことは天皇陛下のためだ、祖国のためだ」。そう信じていたという回想に
東京都国立市のJR国立駅からまっすぐに延びる桜とイチョウの並木道。昭和初期、住民が植樹したのが始まりで、「自治」のシンボルでもある。元市長の上原公子さん(63)は在任当時、建物を並木と同じ高さまでに制限する条例を定めた。そのことがもとで今、市から三千万円払えと訴えられている。 (小嶋麻友美) アトピー性皮膚炎だった娘のため、自然を求めて三十年前に移り住んだ。真っ黄色なイチョウ並木に一目ぼれした。環境や食の安全などを考える生活者団体を立ち上げ、赤ん坊を抱えての市民運動から、市議に。だが議会での活動に限界を感じ、二期目の出馬はしなかった。 市民運動に戻ったとたん、駅前の高層ビル建設と景観をめぐる住民たちの闘いが始まり、上原さんも裁判に加わる。一九九九年、市長選に出馬し「市民がつくってきた街が壊される。これは自治の問題です」と訴えた。並木の倍以上の高さのマンションの計画があらたに市役所にもたらさ
◆置き去りにされた 救助の遅れ 亡くなった高齢者50人 地震で停電になったが、すぐ復旧すると思っていました。原発が危ないと知ったのは翌十二日の早朝。「急いで避難しろ」と大熊町の防災無線の放送があった。町役場に助けを求めるとバスが来て、患者二百九人と全職員が乗り込みました。 残されたのは患者百二十九人と私一人。職員には「残ってくれ」と言いたかったが、津波で家が流された人もいた。「自分は最後の一人を送るまで残る」と笑って見送った。すぐに後続のバスが来ると思ってました。 ところが午後に1号機が爆発した。役場を見に行くと、人の気配がない。「置いていかれた」と思った。 近くに系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」があって、入所者九十八人と職員二人も取り残された。電話もテレビも使えません。不安でしたが、夜になって自衛隊員が来て「明日には車を手配できる」と言ってくれました。 一晩ならなんとかなる。でも
電気の購入先を東京電力から、電力自由化で生まれた特定規模電気事業者(PPS)に切り替える動きが、多摩地域の自治体で相次いでいる。福島第一原発事故後、市営競輪場などでPPSから電気を購入している立川市の取り組みが全国的に注目されたが、厳しい財政事情の下での経費削減策として、導入が進んでいる。 (加藤益丈) 小平市は十三日、市の五十八施設を小中学校二十七施設、市役所庁舎など五施設、健康福祉事務センターなど二十六施設の三つに分け、電気の購入先について、それぞれ条件付き一般競争入札を実施。いずれも四業者が参加し、三件とも日立製作所や東芝などが出資するイーレックスが落札、契約した。
きのうの朝、通勤電車から降りると空気が変わっていた。電車に揺られていた三十分ほどの間に夏の熱気は消えた。やがて空から滴が落ち始め涼しい一日になった。「電気予報」が気になった今年の夏も、暑さの峠はどうやら越えたようだ▼都心でも三六度を超す猛暑日だった十八日、東京電力の最大使用電力は今年最高の四千九百三十六万キロワットに達したが、供給力に占める使用率は90%にとどまった。こんなに余裕があるのかと驚いた▼自動車業界などの「輪番操業」や家庭や個人の節電努力、七月下旬から涼しい日々が続いたことも、消費電力の削減に大いに貢献したが、もともとの電力需要の推計はかなりお粗末だった▼資源エネルギー庁は東京電力の推計を基に、夏のピーク時の需要予測を発表している。そこで示された平均的な「家庭像」は現実離れしている。かなり大型のエアコンが二・六台稼働し、家庭用最大級の冷蔵庫が通常使う電力使用量の倍以上を消費するこ
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