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東京新聞:福島原発事故 その時私は [3・12]双葉病院長 鈴木 市郎さん(77)
◆置き去りにされた 救助の遅れ 亡くなった高齢者50人 地震で停電になったが、すぐ復旧すると思って... ◆置き去りにされた 救助の遅れ 亡くなった高齢者50人 地震で停電になったが、すぐ復旧すると思っていました。原発が危ないと知ったのは翌十二日の早朝。「急いで避難しろ」と大熊町の防災無線の放送があった。町役場に助けを求めるとバスが来て、患者二百九人と全職員が乗り込みました。 残されたのは患者百二十九人と私一人。職員には「残ってくれ」と言いたかったが、津波で家が流された人もいた。「自分は最後の一人を送るまで残る」と笑って見送った。すぐに後続のバスが来ると思ってました。 ところが午後に1号機が爆発した。役場を見に行くと、人の気配がない。「置いていかれた」と思った。 近くに系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」があって、入所者九十八人と職員二人も取り残された。電話もテレビも使えません。不安でしたが、夜になって自衛隊員が来て「明日には車を手配できる」と言ってくれました。 一晩ならなんとかなる。でも
2012/03/13 リンク