2009年9月24日のブックマーク (4件)

  • 八ッ場ダム問題、雑感: 極東ブログ

    八ッ場ダムは必要か。都民としてそう問われるなら、私は不要だと思う。そう思う理由は、小河内ダム(参照)がほぼ不要になっていると言ってもよい現状を知っているからだ。 もちろん水源の問題は都民に限定されない。とりあえず都民ということで言うにすぎないが、都民の水の八割以上は利根川水系に拠っている。ここに至るまで「東京サバク」時代などを挟みいろいろ難しい経緯があったが、現在はよい解決を得ている。 小河内ダムは、水道専用として竣工時世界最大規模の貯水池をなす、東京市から東京都へ戦争を挟んで推進された国家プロジェクトだった。だが、よって、比較的に短期間に重要性を失った。さらに経済成長の低迷と少子化、農業の衰退が水需要の低下に追い打ちをかけた。 小河内ダムの意味がそれでまったくなくなったわけではない。東京渇水時の水瓶としての意味はある。ただ、そうしたバックアップ体勢を更に必要とするかといえば、現状を見て、

  • 東京03 が 2 本目で「 953 点」だった理由 - テレビの土踏まず

    「キングオブコント2009」の審査方法はシンプルなものでした。 ・審査員は準決勝で敗退したお笑い芸人 100 人 ・「100人×10点=1000点満点」 ・8 組が 2 回づつコントを披露しその合計点で優勝が決定する そんな中、東京03 が 2 目のネタで「 953 点」を叩き出している。 終わってみれば唯一となる「 900 点台」でした。 それまで 700 点台、800 点台が続出していたため、これはものすごく飛び抜けた高得点に思われました。 こうなってしまうと、自然と噴出してきちゃうのが、「高すぎだろ」「ハイハイやらせやらせ」「いやガチだとは思うけど、ちょっとどうなんだろうか…」「そもそも審査員に問題が…」みたいな変な言われ方です。いかにも「その高得点には価値がない」みたいな。 でも、ちょっと待って! 「むしろその段階で出るべくして出た妥当な点数だよ」 という気がぼくはとても強くして

    東京03 が 2 本目で「 953 点」だった理由 - テレビの土踏まず
    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2009/09/24
    2回の合計点で優勝を決める理由がそこにある。
  • 八ッ場ダム、とめどなく溢れる思考停止報道

    前原国土交通大臣が八ッ場ダムの視察に向かった。 これと前後して洪水のように溢れるテレビ報道は、どれもステレオタイプな表層をなでるばかりのもので、「ここまで造ったのにもったいない」「住民の怒りはおさまらない」などと繰り返している。私たちが10年にわたってこのダムの問題点と向き合ってきたのは、「造ること自体がもったいない」「住民の意志は踏みにじる」旧建設省河川局以来の国の姿勢そのものだった。 政権交代によって危機に陥った国土交通省のダム官僚たちが煽っているデマを何の精査もせずに垂れ流しているテレビ番組を見ていると「思考停止社会」も極まっていると感じる。まず代表的なデマは「工事の7割はすんでいて、あと3割の予算を投入すればダムが出来る」というもの。これは4600億円の予算をすでに7割使用したということに過ぎなくて、工事の進捗率とは何の関係もない。嘘だと思ったら、国土交通省河川局に聞いてみるといい

    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2009/09/24
    得失がよくわからないから「功を焦る前原国交相」を軸に語られているような気がする。
  • 草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ

    間もなく最終回を迎える「草野☆キッド」は「さよならスペシャル」と題し、草野仁の人生を自ら語り振り返っていた。 その中で彼が長く司会を務めた「THEワイド」での「オウム報道」について、当事者ならではの臨場感あふれる語り口で話していた。 長くやりました昼の番組の「THEワイド」っていうのはですね、他のどんなニュース番組にも、あるいはどんな情報番組にも負けなかったと思うのは、やっぱり「オウム報道」なんですね。 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きるんですが、伏線は当然その1年前の松サリン事件です。 すぐに取材を開始して、当時、みなさん覚えてらっしゃるでしょう? あの近くに住んでいた河野義行さんが怪しい、と。 でも、そこに使われて、何人かの命を奪ったのが化学兵器のサリンである、と。 そういうことが分かった瞬間、これはもう、河野さんの(個人でできる)レベルじゃないから、河野さんは疑いの対象

    草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ
    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2009/09/24
    メディアは真実を明かすことはできても、悪事を直接止めることはできないのか。