MUFGのシステム統合のプロジェクト運営に関する資料を見たんだけど、ハチマキとか寄せ書きとかが成功の秘訣なんすか……(;´Д`) http://t.co/xip5USnDLf
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週刊アスキーは創刊したばかり……と思っていたが、もう17年以上経っていたのね(EYEーCOM時代を入れるともっと経つけど)。週刊アスキーが創刊したころは良く憶えている。私もまだ福岡におり中州で働いており(水商売・飲食店ではない)、会社に行く途中のファミリーマートでよく立ち読みをしていた。岡田斗司夫の連載が印象的だったな~。当時は、自作マシンのWindows 98を使っていた。当時のケースはつい最近まで使っていたが、今週にはそれも捨てる。 東京に出てきてから、週刊アスキーは時々買うようになった。キオスクでも売られており、電車移動で暇なときに購入していた。当時は、電車内で雑誌を読む人を見かけたが、今ではその数が一気に減った。というか、ほとんど見ない。 アスキーは読んでいて面白いのは、連載漫画・記事で、特集はあまり役になった記憶がない。 で、今週発売された週刊アスキーの紙版最終号を買ってみた。「
2015-05-29 人間ドックを受けることが必須に 家族会議 今週火水は、相馬の母の四十九日の法要のため、相馬に帰りました。今年2月に渋谷への引っ越しの報告のために実家に帰ったときは元気そうだったのに、末期癌の進行と亡くなって四十九日は本当にあっという間でした。 火曜の夜に開かれた家族会議では色々なことを話し合ったのですが、私に関しては放蕩ぶりと健康面の心配が話題になりました。そのため父から、東京に戻ったら必ずちゃんとした病院で人間ドックを受けること、まずその日付が決まったら連絡し、結果が出たらそれを加工することなくコピーしてすぐ実家に送ることを厳命されました。父から「俺より先に死ぬことは許さん」と言われました。あとは私の借金の話とか。 コミュ障の私と幼稚園児の姪 私は3人兄弟の長男で下は妹2人なのですが、妹2人は結婚して子供が出来ていて、2人の姪と1人の甥ができていました。私はコミュ障
吾妻ひでおと高橋葉介。濃すぎる作品と息の長い活動で熱狂的なファンを多く持つ2人の作家が2015年、復刊ドットコムからそれぞれ過去作品の短編集を出版した。長年のファン同士であるという2人は、帯にもコメントを寄せ合っている。 コミックナタリーでは作品集の発売を記念し、2人による対談をセッティング。お互いの作品に対する思いや、マンガ界に長く存在感を示し続けられている理由についてたっぷり語ってもらった。 取材/唐木元 文・撮影/安井遼太郎 こいつ、ちょっと頭おかしいなって ──吾妻先生は、高橋先生がデビューされたときからの読者だそうですね。 吾妻 僕は昔、マンガ少年(朝日ソノラマ)で「美美」っていうのを連載してたんですけど、ちょうどその頃、同じ雑誌で高橋さんが「江帆波博士の診療室」でデビューして。 高橋 そうですね。 吾妻 確か1977年の8月号で、僕もその号に「美美」を描いてたんだけど。そこに高
給料はナシ。 休日もナシ。 トイレもナシ。仕事内容は、生きること。食べるのも、食べられるのも、あなた次第。 2003年に、サントリーという会社が水を育むためにつくったこの森であなたも一緒に働きませんか? サントリー天然水の森とは サントリー天然水の森とは 採用情報 採用情報 採用試験 サントリー「天然水の森」が 人類以外を採用する理由 工場で汲み上げる地下水よりも 多くの水を生み出す森を育む。 という目標を掲げ、2003年から 私たちは森をつくり始めました。 2020年にはその2倍の森を育むという約束をしています。 そして、その森を守るために、 人類以外の動植物たちは、 欠かすことのできない存在です。 「天然水の森プロジェクト」は、 これから五十年、百年先を 見すえて続いていきます。 この活動や動植物たちのことを少しでも 知っていただければ嬉しいです。
※2015-06-03追記しました。→ http://anond.hatelabo.jp/20150603111637 「なになにさんいらっしゃいますか?」 「申し訳ございません、ただいま別の電話に出ております。終わりましたらこちらからお電話差し上げるようにいたしましょうか?」 「電話、すぐ終わりそうですか?」 知らんよ! わからんよそんなの! この質問する人なんなの? 俺がその電話出てんじゃないし、誰と話してるか知らないし、耳そばだてて聞いてるわけじゃないし、いつ電話終わるかなんてわかるわけないでしょ!
ハイレゾとか音のよいmicroSDカードのブラインドテストをやったら、わりと好評だったので、またいい企画があればやりたいな~と、ダラダラ考えていたある日。オーディオ編集部の野間が、会社の会議室でお米を炊いていた。会議室においしそうな炊きたてご飯の匂いが充満している。 オーディオやAVの専門出版社なので、メーカーさんが商品を持ってきてくれて、会議室でスピーカーを鳴らしたりなどということは、たまにある。だがこれまで、会議室で米を炊いている場面に出くわしたことはなかった。 一体何事かと野間に尋ねてみると、「中村製作所さんが『炊飯器用の電源トランスってどうかと思って、ちょっと作ってみた』というから、お借りしてお米を炊いてみたの。よかったら食べてみて」という。 …いや、ちょっと待って? 余計混乱してきた。 中村製作所さんのことは、もちろん知っている。オーディオ用の絶縁トランスなどを作っているメーカー
1970年神奈川県生まれ。デザイン、執筆、映像制作など各種コンテンツ制作に携わる。「どうしたら毎日をご機嫌に過ごせるか」を日々検討中。 前の記事:焼き鳥屋さんなのに本格的なタイ料理が食べられるお店 > 個人サイト すみましん 釣りの写真を中心に活躍するカメラマン、津留崎健さん。「釣り師なら一度は撮られたいカメラマン」として釣り人の間では有名な人らしい。僕は釣りをやらないので知らなかったのだが、最近も「絶景日本の釣り」という写真集を出していて、その写真がナショナルジオグラフィックに掲載されたりもしている。 釣りをやらない僕がなぜ釣り雑誌の取材に行くことになったのか。僕も不思議なのだが、知り合いの編集者からムービー撮影を頼まれたのだ。釣りの知識ゼロ、という無防備な状態でカメラを持って取材に同行することになった。 取材内容は「響灘、玄界灘の釣り」。福岡空港で津留崎さんと合流し、小倉、唐津、串浦、
女性漫才コンビの代表格だった「今いくよ・くるよ」の今いくよ(いま・いくよ、本名里谷正子〈さとや・まさこ〉)さんが、28日午後5時58分、胃がんのため大阪府内の病院で死去した。67歳だった。昨年9月に胃がんが見つかったが12月に復帰、闘病しながら活動を続けていた。通夜、葬儀は近親者のみで営まれる。後日、お別れの会を大阪市内で開く。 いくよさんは京都市出身。高校時代のソフトボール部のチームメートだったくるよさんに誘われてお笑いの道に進み、70年に今喜多代(いまきたよ)さんに弟子入りした。80年代の漫才ブームでは貴重な女性コンビとして人気を集め、84年には上方漫才大賞、86年に上方お笑い大賞を受賞。細身の体と濃いメイクでおなじみで「どやさ!」のギャグを持つ相方のくるよさんとのコンビネーションで笑わせ、テレビやラジオの番組でも親しまれた。 胃がんによる入院を経て、昨年12月3日に京都の劇場で復帰。
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