幕末の薩摩藩は、現在の鹿児島県あたりです。 活火山の桜島から降りそそぐ火山灰のため、土地は保水性が悪く痩せていて、稲作に適しません。 平安時代に薩摩の土地を与えられた島津氏の先祖は、低い米の収穫高にたいへん苦労します。 島津氏の家臣や領民を養うためには、北方の稲作に適した豊かな土地を得る必要がありました。 もちろん、そこには他の勢力がいます。戦って土地を奪い取るしかなかったのです。そのため、島津氏は自然に武力に力を入れるようになりました。 1万足らずの兵で20万の明の兵に勝利した朝鮮での戦など、島津氏には多くの武功があります。 幕末には、当時、世界最強といわれたイギリス軍にも負けません。 このように戦に強い薩摩が生まれたのは、厳しい環境のなかで生まれた「現実主義」のおかげだといわれています。 この「現実主義」の薩摩藩で生まれた剣術流派のひとつに「薬丸自顕流」があります。 「明治維新は薬丸流