中世の大和国では、奈良の興福寺が事実上の守護として君臨し、在地の国人領主である武士は興福寺・春日大社の衆徒、国民として組織されてその傘下にありました。 しかし、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての戦乱で、国人たちは寺社領を蚕食して勢力を蓄え、興福寺の制御から外れて独自の動きを取るようになります。 南北朝時代以降、大和で特に大きな力を持つようになった国人が、筒井氏、古市氏、箸尾氏、十市氏そして越智氏でした。 越智氏は大和源氏の一流を称して高市郡越智(現高取町)を本拠に、吉野南朝の主力となって勢力を伸ばし、15世紀末の戦国時代初め頃までは大和における幕府(北朝)方主力として勃興した筒井氏をしばしば圧倒した国人です。 そんな越智氏の本拠・越智谷に残る越智氏ゆかりの旧跡を、前回は越智氏の足跡とともにご紹介しました。 今回ご紹介するスポットは、越智氏の築いた中世山城、貝吹山城です。 15~16世紀に