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ブックマーク / massneko.hatenablog.com (9)

  • 首里城・2020年1月 沖縄県那覇市首里当蔵町 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。末吉宮跡から丘を降り、再び上がると首里城公園入口の交差点に出た。 ガイダンス施設の前を通り過ぎた先に守礼門が立つ。 西向きに立つので、順光の後ろ側も。 守礼門の近くには、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)がある。国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所で、人が通る門ではない。 1519年に築造された、琉球を代表する石造建造物とのことで、この門だけで世界遺産を構成する9つの構成要素の一つとなっている。 その先のY字路を右へ。 そこには、首里城の城郭内へ入る第一の正門、歓会門(かんかいもん) 中国からの冊封使(さっぽうし)に歓迎を表す名前だった。 くぐった先には瑞泉門(ずいせんもん) 石段の脇の龍樋からは、今でも水が湧いている。ブラタモリで出たところ。 その上部の石垣の、美しい曲面。 さらに漏刻門(ろうこくもん)をくぐって振り返って。 眺めのよい記念写真スポットとなって

    首里城・2020年1月 沖縄県那覇市首里当蔵町 - 墳丘からの眺め
  • 「出雲と大和 特別展:日本書紀成立1300年」 @東京国立博物館・上野 - 墳丘からの眺め

    昨年から楽しみに待っていた「出雲と大和」展は、期待していた以上に素晴らしい内容でした。その一部を紹介します。 日書紀の編纂が完成したのが西暦720年で、今年が1300周年とのこと。 主に天皇の事績を記録した正史ですので、古墳時代のボリュームが結構多いことになります。 出雲はその中で主役ではありませんが、天皇の時代より前の神代の時代での舞台となり、また両時代のつなぎ目においては、大和に政治権力を譲る代わりに祭祀を司る役割を得るという「国譲り」を行います。 その「国譲り」が行われた時代は、弥生時代後期から古墳時代の初め頃になるのでしょう。 譲るという表現や、譲る代わりに得た役割の重要性を思うと、出雲が強大な力を持っていたことが推測されます。 出雲は、鉄資源の供給元の朝鮮半島とをつなぐ日海沿岸の拠点、内海ルートを掌握していました。古墳時代に入って大和から全国へ広がった「前方後円墳」の規格には

    「出雲と大和 特別展:日本書紀成立1300年」 @東京国立博物館・上野 - 墳丘からの眺め
    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2020/02/05
    撮影禁止なんですね~
  • 大学セミナーハウス(前編)  東京都八王子市下柚木 - 墳丘からの眺め

    昨年12月には、吉阪隆正(よしざかたかまさ)が手掛けた東京郊外の名建築も見学した。 朝日カルチャーセンター主催の「屋外教室」に参加して。 総勢20名ほどのツアーで、講師は建築家の矢原奈欧氏。「東京レトロ建築探訪入門」というタイトルで見学会は毎月開催されている。 https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/75af3c9f-188e-9d95-c7c7-5d98106563b6 京王線の北野駅に午前10時集合。そこから路線バスで17分、降りて数分歩く。 野猿街道の野猿峠の信号から枝道へ。 その先で左に折れて広い敷地に入る。 丘の上に特異な形の館がそびえたつ。 上り階段だが、足早になる。 屋根下の三角の奥に、こちらを見つめる目。見つめられなくても建物の存在感に圧倒されるが。 この三角庇の下が受付玄関になる。 公益財団法人・大学セミナーハウスは、一般

    大学セミナーハウス(前編)  東京都八王子市下柚木 - 墳丘からの眺め
    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2020/01/06
    よ、酔いそう笑
  • 「窓展:窓からはじまるアートと建築の旅」 @東京国立近代美術館・竹橋 - 墳丘からの眺め

    11月中旬の雨の日、窓をテーマとした展覧会へ行きました。 窓を、或いは窓から描いた絵画や撮った写真、窓の素材であるガラスそのもの、建築物など、ジャンルを超えた115点で構成され、マチスやボナール、ロスコやデュシャン、アジェやコルビジュエの作品も。 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/windows/#section1-1 途中の廊下にあった”窓年表”が、とても興味深かった。 窓と美術(日/世界)・窓の技術・建築の3分類で古代から現代までプロットされる。 日の最初を飾るのは、家形埴輪! 群馬県赤堀村茶臼山古墳出土の切造家(大型住居) 実物は上野の東博で、群(住居・倉庫群)で見られます。 このあたりの作品を実際に見たかったなあと。 マチスは、みぞえ画廊の「窓辺の女」と愛知県美術館の「待つ」が。福岡市美術館のマーク・ロスコは素敵でした。 部屋に開けた

    「窓展:窓からはじまるアートと建築の旅」 @東京国立近代美術館・竹橋 - 墳丘からの眺め
  • 特別展「人・神・自然~ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界」 @東京国立博物館 東洋館・上野 - 墳丘からの眺め

    先日考古展示室を訪ねた折、東洋館で開催されていた特別展へ立ち寄りました。 エントランスには、薄布に印刷されたポスター。 豪華絢爛なコレクションの主は、カタール王族のシェイク・ハマド・ビン・アブドラ・アール・サーニ殿下。 展は、5000年前~1000年前に世界のさまざまな地域で作られた、人や神、動物などを表した像や器、装飾品で構成されています。 展示室入口の壁に表示されている写真は「スターゲイザー」 紀元前3300年~2500年頃(前期青銅器時代)にアナトリア半島西部で作られた大理石製の女性像。 手のひらに乗るほどの大きさですが、非常なインパクトがありました。 展示室内は撮影禁止。 出展数117点、展示室は一部屋とこじんまりとした規模でしたが、一点一点が放つパワーが強く、「特別展」という冠がふさわしく感じられました。 公式サイトにいくつか画像がありますが、実物を目の前にされることをぜひおす

    特別展「人・神・自然~ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界」 @東京国立博物館 東洋館・上野 - 墳丘からの眺め
    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2019/12/29
    出雲と大和。どんな世界を見せてくれるでしょうね
  • 備中国分寺五重塔 岡山県総社市上林 - 墳丘からの眺め

    中国分寺跡は、南向きの緩やかな斜面にありました。 周囲の環境が整っているせいか、五重塔が描くスカイラインがとても美しかったです。 ここも国指定史跡。 国指定史跡 備中国分寺跡 所在地:岡山県総社市上林 指定年月日:昭和43年(1968)2月15日 天平13年(741)、聖武天皇は仏教の力で戦乱や疫病などの災いから国を守るという鎮護国家の考えにもとづき、国分寺と国分尼寺の建立を全国に命じました。これが「国分寺建立の詔」です。備中国では、この場所に国分寺、約500m東に国分尼寺が建てられました。 備中国分寺跡では、昭和46年(1971)の発掘調査によって、南門跡、中門跡、築地土塀跡、建物跡、井戸跡が確認されました。南門跡、中門跡には一部礎石が残存しています。寺院を構成する建物を伽藍と呼び、当時の金堂、講堂、塔は、現在の国分寺境内の場所にあったと考えられますが、詳細は不明です。周囲にめぐらされ

    備中国分寺五重塔 岡山県総社市上林 - 墳丘からの眺め
    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2019/12/02
    小学校が四天王寺さんの近くで、毎年、五重塔の絵を描いていたのを思い出す。最初はいいけど、上の方になるほどバランスが崩れるんですよ(笑)
  • 特別展 埴輪の世界 @兵庫県立考古博物館・兵庫県加古郡播磨町大中 - 墳丘からの眺め

    前回は常設展だったが、今回は特別展「埴輪の世界」を。 この博物館へ来た主目的は、この展示が見たかったから。 特別展は一部屋だが非常に見ごたえがあった。 入口脇にあった「埴輪編年図」 弥生時代終わり頃の壺形埴輪、円筒埴輪に始まり、古墳時代前期には鶏や家、きぬがさが、中期になって靫や船形が現れ、中期から後期にかけて人物埴輪、そして馬などの動物の形が出てくる。 最初の埴輪は岡山県周辺で現れる。 西江遺跡(岡山県新見市・弥生後期)で出土した特殊壺が載る特殊器台。この特殊器台が古墳時代に円筒埴輪へ発展していった。器台の高さは1mほど。 帯の部分には弧帯文(S字を横にした文様)の透かし孔がある。 (説明部分はキャプションから。以下も) こちらも弥生時代後期、岡山県(倉敷市、女男岩遺跡)出土だが、器台の上に住居がのる「台付家形土器」 こちらも弥生後期、楯築(たてつき)墳丘墓(岡山県倉敷市)から出土した人

    特別展 埴輪の世界 @兵庫県立考古博物館・兵庫県加古郡播磨町大中 - 墳丘からの眺め
    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2019/11/11
    導水施設埴輪ですか。ぜひみてみたいですね
  • 蘇峰公園(山王草堂記念館・古塚) 東京都大田区山王 - 墳丘からの眺め

    今回からのシリーズもキープネタで。 桜咲く前の3月中旬に、大田区山王から品川区西大井にかけて坂道小道を歩いた様子です。 スタートは都営浅草線の馬込駅。駅の南を通る環状7号線に沿って南東へ向かうと、新幹線と横須賀線の二重高架に差し掛かる。 線路沿いの枝道に入って見上げた高架。ダンプ通っているところが環七。 そこから振り返った先に、結構な高低差の階段があった。配達人泣かせ? 最初の踊り場から。さらに3つある踊り場でカーブしていく。 上からの眺め。 その先を右折すると、新幹線をくぐる橋が。 橋の下を横須賀線(湘南新宿ライン)が通る。入り組んだ地形。 橋を渡った南側。 たまたま遭遇した貨物列車。 住宅街を通り抜け、最初の目的地・山王草堂記念館のある公園下に出た。 山王草堂は徳富蘇峰が居宅に付けた名前だった。 場所はここ。 山王草堂は台地上だが、傾斜地の下まで蘇峰公園となっている。 公園脇の坂道。

    蘇峰公園(山王草堂記念館・古塚) 東京都大田区山王 - 墳丘からの眺め
    Kaimotu_Hatuji
    Kaimotu_Hatuji 2019/10/19
    坂、石段、高架下。写真を見てますと、行ったこともないのに、いつかどこかで歩いたような感覚におちいりますね
  • 報国寺 神奈川県鎌倉市浄妙寺 - 墳丘からの眺め

    前回の浄妙寺からバス通りに戻ると、すぐに報国寺入口の信号が見える。 降ってわいたように観光客が増えた。さすが連休晴天日の著名スポット。 ここも入口に市の説明板が。 報国寺 宗派:臨済宗建長寺派 山号寺号:功臣山報国寺 建立:建武元年(1334) 開山:天岸慧広(てんがんえこう・仏乗禅師) 開基:足利家時 足利、上杉両氏の菩提寺として栄えました。開山は五山文学を代表する天岸慧広(仏乗禅師)です。仏乗禅師は、中国より招聘された円覚寺の開山・無学祖元に師事し、のちに中国へ渡って修行した高僧です。開山自筆と伝えられる「東帰集」や、自ら使用した「天岸」「慧広」の木印は国の重要文化財で、鎌倉国宝館に保管されています。孟宗竹の竹林が有名で、竹の寺とも言われています。 堂までの参道左手は手入れの行き届いた美しい庭園になっている。 寸胴型のイチョウ。 対照的に、細い帯のような幹の木。 堂までは無料。左の

    報国寺 神奈川県鎌倉市浄妙寺 - 墳丘からの眺め
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