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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (17)

  • 『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』森岡督行 (ビー・エヌ・エヌ新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「"日の対外宣伝グラフ誌"の、美しい宣伝グラフ誌」 タイトルにある1931年から1972年は満州事変から札幌オリンピックに重なる。東京・茅場町で古書店を営む森岡督行さんが、この間に刊行された"日の対外宣伝グラフ誌"から106点を選んで、時代の流れに対応させながらそれぞれの表紙と中ページの写真を載せてコメントを添えた。 "対外宣伝グラフ誌"と聞けば、日工房の『NIPPON』(1934-1944)や東方社の『FRONT』(1942-1945)など戦時下に国策で編まれた雑誌ばかりが頭に浮かぶが、鉄道省国際局発行の観光案内や、国の主要輸出品としての羊毛、真珠、自転車、ミシンなどの業界団体が作るカタログ、今では版元の所在がわからないが不思議な国ニッポンを伝えた雑誌まである。戦前、国際観光局で対外宣伝を担当していた井上万寿蔵が残した言葉、「露骨な外交工作や政治宣伝がなんらの

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/11/26
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  • 『ぼくらの昭和オカルト大百科―70年代オカルトブーム再考』初見健一(大空出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 ノストラダムスの大予言。ネッシー。ツチノコ。ユリ・ゲラー。スプーン曲げ。UFO。あなたの知らない世界。心霊写真。コックリさん。口裂け女。これら実にいかがわしいトピックが日全土を座巻した時代がありました。 70年代です。 70年代は「オカルトの時代」でした。エロ・グロ・ハレンチ・インチキ・ヤラセの匂いに満ちた時代の空気のなかで、さまざまな「不思議」が次から次へと現われては消えていきました。その多くは文字どおりの「子どもだまし」でしたが、どれもが夏祭りの縁日のアセチレンランプのように、ギラギラと妖しく魅力的に輝いて見えました。 70年代キッズでなくても、漫画『ちびまる子ちゃん』を読んだことがある人なら、その空気を感じとることができるはずです。「ノストラダムスの大予言」が怖くて眠れなくなったり、毛布にくるまって心霊番組を見たり、丸尾君とツチノコ探しをしたり、まる子は高い頻

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/11/26
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  • 『ケータイ化する日本語 ― モバイル時代の〝感じる〟〝伝える〟〝考える〟』佐藤健二(大修館書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ケータイ作法のポリティクス」 以前、週刊誌の中吊り広告に、「(笑)という記号をメールで多用する女性は結婚しない可能性大」というような見出しがあって何となく気になっていたのだが、結局読むのを忘れてしまった。あれはいったいどういう内容だったのだろう。 いずれにしてもおもしろいのは、こういう話題が涌いて出るほどケータイの周囲には強烈な「だよね~」の磁場が形成されているということである。ルール。マナー。気配。使用者を拘束する力があるのだ。これこそ文化。しかし、それは通常の対面的な人間関係や黒電話時代の作法意識とは何かが違う、というのが書の著者佐藤氏の考えである。 こんなふうに言うと警戒する人もいるかもしれない。何しろ社会学者による「ことば」をテーマにしたで、タイトルには「ケータイ」。それで「作法」とくると、いかにもお叱りを受けそうな気配がある。しかし、著者はそんな流れに

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/09/06
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  • 『鉄道と国家-「我田引鉄」の近現代史』小牟田哲彦(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「鉄道と政治の切っても切り離せない関係」 面白かった、そして考えさせられた。というのが書の感想だ。 著者の小牟田哲彦氏については、アジア圏の鉄道について書かれた良質なルポルタージュで名前を知っていたのだが、書についても、ありがちな感動物語や偉人伝に陥ることなく、冷静な社会科学的分析がなされていて一読に値する著作になっている。 評者も、鉄道についていくつかの文章を記してきたことがあるのだが、その根幹にあったのは、日における鉄道が、政治や経済の文脈でばかり語られることが多く、むしろ日常生活や文化に対して及ぼした影響についてあまり顧みられていないという問題意識であった。 だからこそ、意図的に鉄道と文化のかかわりについて論じてきたのだが、書を読んで思い知らされたのは、今日に至ってなお、日の鉄道が政治とは切っても切り離せない関係にあるという事実であった。 鉄道と政治

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/08/31
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  • 『東京シャッターガール』桐木憲一(日本文芸社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「プリコラージュとしての東京」 「東京とは何か?」「それはどんな街か?」と聞かれても、答えに困ることだろう。 そこにはいくつもの特徴があるし、あるいはまた、人によっても感じ方が異なっているからだ。 よくある旅行ガイドの類いを開いて見ても、そこにはいくつものスポットが紹介されている。東京スカイツリー、六木ヒルズ、渋谷、原宿、お台場、そして浅草や上野といったところだろうか。いわばそこには、「東京」という一つの言葉に収斂されない、「複数の東京」が存在している。 さて、書『東京シャッターガール』は、そんな「東京の複数性」をフィルムに焼きつけていく少女を描いたマンガだ。 だがマンガといっても、大きな物語に基づいたストーリー性があるわけではなく、一話あたり6ページ程度の短編が集められている。こうした形式は最近のマンガではよく見るものだが、むしろ書では、登場人物のキャラ設定で

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    Kitajima_Gaku 2012/08/31
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  • 『Bitch』Elizabeth Wurtzel(Anchor Books) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「バッドガールの作り方」 ニューヨークを捨ててサンフランシスコに帰ってしまったカメラマンが、僕にこう言ったことがある。 「新しい社会への反抗の仕方を考え付いた奴は、すごい金持ちになるよ」 そのカメラマンはバロウズやギンズバーグなどのビートニクたちを撮ってきた男で、パンク(つまりイギリスのセックス・ピストルズ)以降、社会に「反抗」にする新しいスタイルが生まれていないというのだ。 なるほど、と僕は思った。確かに、「反抗」の新たなスタイルを築き上げた者はお金が流れ込んでいくだろう。 しかし、考えてみればビートニク、ロスト・ジェネレーション、パンクなどは男の「反抗」の仕方で、女性の「反抗」の形態は六〇年代の中で現れたフェミニズムくらいしかないといっても間違いではなさそうだ。「Ms」を創刊させたグロリア・スタイナムだってもうだいぶ歳をとっているし、女性からの新しい声が上がっても

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    Kitajima_Gaku 2012/08/06
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  • 『青い絵具の匂い―松本竣介と私』中野淳(中公文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 昭和23年に三十六歳で逝った松竣介との交流をめぐる、著者の戦中・戦後史である。 著者と竣介との出会いは昭和18年、「新人画会展」というグループ展に出品されていた作品がきっかけだった。この在野の展覧会は、美術展といえば戦争画一色となっていた当時、時局の風潮に屈せず、描きたい絵を描こうという作家たちの集まりによるものだった。 朝日新聞の一面に大きく藤田嗣治、中村研一、宮三郎ら有名画家たちの戦争画の写真が掲載され、戦争画展開催の報道が連日つづいて、厖大な観客が動員された。その是非は別として、現存作家による美術と大衆がされほど融合した例は稀である。混雑した美術館の会場では主要作品の脇に「天覧」と大書され、私たちは当然のこととして戦争画を脱帽して見ていたのである。そうした大作の描写の迫真性やユニークな構想に当時は素朴に驚嘆したものだった。 ただ私自身は戦争画を制作する能力な

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/07/31
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  • 『岡崎京子の仕事集』岡崎京子著 増渕俊之編(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「中高年でも入門できます」 ご多分に洩れず、筆者も『リバーズ・エッジ』を起点に〝岡崎めぐり〟を始めた男性読者の一人である。いや、小学生の頃はそれなりの漫画読みとして鳴らしたつもりだが、中学から入った寮が「漫画禁止」&「見つかったら即没収」という野蛮な環境で、その後の6年間のブランクのために漫画の読み方をすっかり忘れてしまったのである。大人になってから、勧められるままにいくつものタイトルを手にとってみたものの、どれも今ひとつなじめなかった。まさに失われた漫画的青春である。 岡崎京子の作品はそんな漫画音痴にたいへんやさしかった。筆者は漫画のコマをつい読み過ぎる癖があるのだが、うろうろしていても「別にいいよ」と言われている気分になる。コマの流れの拘束がきつくないというのか。その一方で、セリフや展開に毒があってひねりが効いているので、活字偏重になりがちな目でも作品の中に入って

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/07/19
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  • 『原理主義の終焉か-ポスト・イスラーム主義論』私市正年(山川出版社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 2012年6月30日、エジプト大統領選に当選したムハンマド・ムルシ氏が、正式に大統領に就任した。ムルシ氏は、穏健派イスラーム団体のムスリム同胞団が擁立し、自由な選挙で選ばれた初の文民大統領である。この報道を聞いた人の多くが、「イスラーム主義」の勝利と理解したかもしれない。しかし、著者私市正年は、「イスラーム主義運動は、一九八〇年代末に頂点に達し」、その後「ポスト・イスラーム主義」の時代に入ったという。 まず、この「イスラーム主義」などのことばを、著者がどのような意味で使っているのか、つぎの文章で確認しておこう。「イスラーム主義(イスラーム原理主義)運動とは、現代においてイスラーム法(シャリーア)にもとづく国家を建設しようとする政治運動(多くは社会運動、文化運動をともなう)をさし、シャリーアにもとづく国家建設を主張しない広い意味での政治運動(トルコのAKP[公正発展党]

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/07/09
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  • 『小説的思考のススメ―「気になる部分」だらけの日本文学』阿部公彦(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 ―小説の寺子屋― 著者の阿部公彦氏は、書評空間における仮想クラスメートとして、ずっと気になる存在だった。過去5年間、月に2(も)という一貫したペースで書評を続ける難行を涼しい顔でこなしているように見えるからだ。しかも、書き方が清々しい。大学で教鞭をとっているわりには、賢しらな言葉や専門用語を散りばめるでもない。活きがいいのに、踊り過ぎてもいない。何よりも読み方が面白い。異様に感覚的でありながら、緻密なロジックが控えている。感性から読むベクトルと理性から読むベクトルが、行儀良く出逢う。結果、紹介されたを読んでみたくなる。 その阿部公彦(以下、呼び捨て御免)が、今春新刊を発表した。タイトルには、「小説的思考」などという禍々しい言葉に続いて、カタカナで「ススメ」が付され、文学指南と文学コマーシャルという書の勘所が、すまし顔でドッキングされている。小説について論じるので

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/07/06
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  • 『ナチスのキッチン-「食べること」の環境史』藤原辰史(水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「台所にも歴史がある」で、書ははじまる。「違うんじゃないの?」と思いつつ、読み進め、著者が言わんとすることは、「台所にも歴史がある」という下手な社会史ではないことがわかった。著者藤原辰史は、台所の歴史だからこそ、人間の質がみえるのだと言っているように思えた。 書は、台所の近現代史である。「対象とする地域は、戦争に二度敗れ、東西に分裂したが、一九六〇年代にどちらも消費社会を実現した現代史の激震地、ドイツである。時代は、十九世紀中頃から一九四五年までの百年、そのなかでもとくに両大戦そのものと、それに挟まれた戦間期を扱う」。「そして、書が最終的にクローズアップしていくのはナチ時代(一九三三~四五年)」。ナチスは、「家事や台所の合理化を推進した」。 著者は、「台所の歴史を眺めるアングルをつぎの三点に整理する」。「第一に、台所を労働管理空間としてとらえる見方である」。「

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/07/02
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  • 『安部公房の演劇』 高橋信良 (水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 比較演劇学者による安部公房論である。演劇は安部公房の仕事の大きな柱で、ついには自分で劇団を主宰したほどだったが、演劇人としての安部公房を論じた単著はナンシー・シールズの『安部公房の劇場』くらいしかなかった。シールズのは実見した舞台や安部公房へのインタビュー、安部スタジオの取材にもとづく貴重な記録だが、安部演劇全体に目配りしたものではない。安部公房の演劇への係わりを総体として論じたとしてはおそらく書がはじめてだろう。 書は三部にわかれる。まず「Ⅰ 叙事という名の抒情」で「安部システム」と呼ばれる安部公房が編みだした独自の俳優訓練を解説した後、「Ⅱ あわせ鏡の世界」で小説の戯曲化としてはじまり「友達」へと結実していく前期を、「Ⅲ おかしくて恐い世界」では自ら演出を手がけるようになって以降の後期を語る。 いきなりだが「Ⅰ 叙事という名の抒情」ははなはだ難解である。わ

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/05/30
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  • 『日本人のアジア観の変遷-満鉄調査部から海外進出企業まで』小林英夫(勉誠出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 著者が書を執筆した思いは、「あとがき」のつぎの文章によくあらわれている。「日とアジアの人々の歴史的「和解」を進めるには、どうすればいいのかという差し迫った問題意識が横たわる。二十一世紀のグローバリゼーションの波を活用しつつ、「ヒト」の流れの活発化に留意し、これをきっかけに「和解」を推し進めることができないものかというのが、書の終章で展開した「解」を生むきっかけであった。簡単にできることではないが、しかし一歩一歩推し進めるための大前提は相互の信頼関係の構築以外にはない。侵略を侵略と認めた上での正しい歴史理解の上で、率直に話し合う場の実現とその拡大は、グローバリゼーションが進めば進むほど、その可能性は拡大するといえよう」。逆に、歴史理解が充分でないと、その可能性は遠退くことになる。そして、この問題が差し迫ったものであるという意識は、とくに日人の若者のあいだでは乏し

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    Kitajima_Gaku 2012/05/30
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  • 東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ : 『三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし』川上亜紀(思潮社)

    →紀伊國屋書店で購入 「散文って窮屈じゃないですか?」 10年前の「グリーンカルテ」を読んで以来、何となく気になってきた書き手である。「グリーンカルテ」は数年前ついに単行となったが、必ずしも多作な人ではないから、新しい作品が出て「あ、出た」と思った。今回は詩集。その冒頭の表題作二篇「三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし」(*と**)がとてもいい。この2つのためだけでも、手に取る価値のある詩集だ。 現代詩の居場所ということを考える。詩は最古のジャンルで云々とあちこちで言われてきたし、筆者もそれは大事なことだと思うのだが、その一方で詩は「古さ」だけに依然して生き延びているわけでもない。今や詩は日陰のジャンルであることが定着した感があるが、それでも人がときに詩で語る必要を感じるのは、散文の「まともさ」に窮屈な思いをするからではないかと思う。 散文は最低限の身支度を調えた言葉である。もちろん

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    Kitajima_Gaku
    Kitajima_Gaku 2012/05/18
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  • 『「世界征服」は可能か?』岡田斗司夫(ちくまプリマ―新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

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    Kitajima_Gaku 2012/05/01
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  • 『股間若衆 男の裸は芸術か』木下直之(新潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 こかんわかしゅう。 まるで男色をテーマにした洒落のタイトルのよう、と、副題には「男の裸は芸術か」。そう、これは男性裸体表現をめぐるいたって真面目な論考なのだった。 きっかけは、著者が赤羽駅前で発見した男性裸体彫刻である。その、ふたりの裸の青年の股間は、なんとも不思議な様子をしていた。からだの他の部分、へそや、鼠径部の窪みや、腰まわりの筋肉などは写実的であるのに、その部分だけはあやふやに、ぼんやり、もわわんと膨らんでいるだけ……名づけて「曖昧模っ糊り」、なんと見事なネーミングだろうか。 かくして著者は「股間若衆」をもとめて旅にでる。駅から駅、街から街、あるいは時をさかのぼり、明治期の美術展覧会場へ。 明治三十四年の第六回白馬会展で、黒田清輝の描いた裸婦像の下半分に布が巻き付けられたいわゆる「腰巻き事件」は広く知られた話。もちろん、男の裸だって取り締まられた。明治四十一

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    Kitajima_Gaku 2012/05/01
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  • 『鉄道旅行の歴史―19世紀における空間と時間の工業化』ヴォルフガング・シベルブシュ著/加藤二郎訳(法政大学出版局) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「時空間感覚の変容を描きだした名著」 書は、ドイツ歴史家ヴォルフガング・シヴェルブシュによる、もはや古典とも言うべき著作であるが、昨年末付けで新装版が刊行され、その内容に鑑みて、今日でも得るところの大きい著作としてここで紹介したい。 そのタイトルは『鉄道旅行歴史』であるが、「何年から汽車の旅行が始まって、次は、何年に新幹線ができて・・・」といったような、いわゆる時系列的で年表形式の歴史を想像して手に取ると、期待外れに終わることだろう。 むしろ書は、ただの鉄道旅行歴史というより、豊富な歴史的資料に基づき壮大なスケールで描かれた時空間感覚の思想史というべき著作なのだ。 19世紀の欧米社会において、鉄道というメディアを媒介に、いかに時空間感覚が変容していったかというのが主たる内容だが、その骨子は次のような記述にまとめられよう。 「時間と空間の抹殺、これが鉄道の働き

    『鉄道旅行の歴史―19世紀における空間と時間の工業化』ヴォルフガング・シベルブシュ著/加藤二郎訳(法政大学出版局) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Kitajima_Gaku 2012/05/01
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