『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」 ※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA) 新日本古典籍総合データベース 【原文】 俄かに一天、掻き曇り、只今まで白昼なりしに、真の闇となりて、更に物ゝ何色かも分からずと雖《いへど》も、物に動じ給わぬ御氣性故、御足に任せられて進み給ふに、暗くて定かに知れねども、一方《いつぼう》壱丈《いちぜう》ばかりも有らんと思しき洞穴《ほらあな》の様《やう》なる穴有り。 世の常の者ならバ、是に恐れて立ち帰りもすべきに、義公様御めづ[怖《お》めず]臆せづ、其の穴の内へ入り給ふに、壱間《いつけん》ばかりも行《ゆ》く様《やう》に覚へ給ふに、凡《およ》そ深さ三、四丈程も有るべくと思し召す程に、穴の底へ落ち給ひ、暫《しばら》く御心も付かざりしに、稍《やゝ》二時《ふたとき》計《