受注生産、電子書籍、頒布じゃなくて販売、と同人禁止事項のロイヤルストレートフラッシュかよと鼻血が出そうになってしまった。 頒布と販売とかいう言葉遊びは置いといて、電子書籍はギリギリわからんでもないけど受注生産の何が悪いのかさっぱりわからん。
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80年代にチョロッとブームになっていたおもちゃ「チクタクバンバン」。単純なゲームですが、みんなで遊ぶと思わずエキサイトしてしまいます。 あの「チクタクバンバン」の目覚まし時計を分解してみたら、中には見覚えのあるモーターが……。ミニ四駆のモーターと同じ型じゃん!?ということで、面白半分でハイパワーなモーターと入れ換えてみました。 ※『デイリーポータルZをはげます会』のサポートによって制作させていただきました。 1975年群馬生まれ。ライター&イラストレーター。 犯罪者からアイドルちゃんまで興味の幅は広範囲。仕事のジャンルも幅が広過ぎて、他人に何の仕事をしている人なのか説明するのが非常に苦痛です。変なスポット、変なおっちゃんなど、どーしてこんなことに……というようなものに関する記事をよく書きます。(動画インタビュー) 前の記事:オレ的最強の調味料はマルちゃんの粉末ソースに決定! > 個人サイト
頂き物のお土産が意外においしくて、商品名と感想とtwitterでつぶやいたら、その企業の公式アカウントから「ご購入ありがとうございました!」というリプライが飛んできた。見た瞬間に背筋がぞっとなって投稿を削除、アカウントをブロックした。 まず自分が買ったものではないし、わざわざ地方まで買いに行くほどのものでもない。お土産でしかないものに対してわざわざ感謝されても困る。感想も「おいしかった」程度の雑なものでしかなかったし、感激するほどのものではないのに、わざわざエゴサして、リプライして……なんて手間を取らせてしまったのがきつかった。 どんなことをつぶやいても公式アカウントに補足されるリスクがある時代、例えば「まずかった」と感想を言ってみたり、「詳しくないけど食べてみたww」なんてつぶやきが手軽にできなくなりつつあるのが怖い。「おいしくなるよう努力します!」なんてリプライが飛んできたら?それを書
私の好きなカプ(以下AB)で活躍している絵師(Zさん)が同人誌を出した。 それがまじでやばい。 というかZさんがまじでやばい。 二次創作しないでくれ。 ZさんはABでは古参の絵師で一昔前の絵感が否めないけどすっごい人気がある人だ。 フォロワーも余裕で4桁。 何故そんなに人気があったかというとAB界隈はZさん以外あまり絵の上手い人がいなかったから。 でも原作でABの絡みが多くなってくると徐々に描く人が増えて来てZさんよりも上手い人がいっぱい出てきた。 Zさんは一次でも漫画を描いているらしいんだけど「私一次でも活躍してるんですよ」マウントがすごい上に、性格もちょっと強めなのでそれも相まって人気がみるみる低迷していってしまった。 フォロワーは相変わらずの4桁だけどファボやリプの数は目に見えて減っている。 残った親しいフォロワーはみんなZさんの信者みたいな人達ばかり。 他の人がどんどんABの本を出
寝言は寝て言え。 誰かをいじめることと、それを傍観することが同じなわけないだろ。 百歩譲って『いじめを見て見ぬふり』が悪いことだとしても、いじめること自体とはまったく別の問題だろうがよ。 ここから追記うーん、正直むしゃくしゃして勢いで書き込んだ増田にこんなに言及やブコメが付くとは思わなかったよ。 『いじめを見て見ぬふりはいじめと同じ』も『そんなわけないだろ』も手垢の付きまくった議論だと思ってたからな。 それはそうと、トラバやブコメを見て大分冷静になったので、今の考えをまとめるためにも追記したい。 まずこのエントリを書いた理由は、その時点でいじめに限らず『沈黙は加担』みたいな論調に少なからず頭にきていたからだと思う。 「いい子ぶりたいならお仲間の悪行をなんとかせえよ」みたいなことを言われて、「何で見ず知らずの他人の始末を俺が付けにゃならんのだ…」的な心境だった。 でもトラバやブコメを読んで、
もちろん自分は面白い人間なんかじゃない。 でも面白い人間であるってことを証明しないと誰も口を利いてくれないから必死にそれを証明しようとしてきた。 たとえば学校生活やSNSにおいて、つまらない人間だと思われれば友達やフォロワーが減っていき社会に居場所がなくなる。 このお友達文化は企業で働こうがフリーランスになろうがどこまでも続いてきて「あいつは会話する価値がある程度には面白い」と思ってもらえないと交渉や頼み事すら難航するように今の社会は出来ている。 コミュニケーション至上主義、なんて名前を造語症の人間ならでっち上げるんだろうか? とにかく今の社会では自分が面白い人間であることを証明し続けることが発言権や人権を確保するための必須事項となってしまっている。 生まれつき面白い人間であるなら悩むことなど無かったのだろう。 息を吸ってそれを言葉として吐き出すだけで面白い人間として社会に居場所が出来る。
勝手にファンをやっているブクマカが一人いる。 いつも世の中をその文体で気持ちよくぶった切ってくれる人だ。 あの人に比べればそこらのブクマカなんて比べ物にならない。 というかあいつらダボハゼもダボハゼだ。 左右どっちも、政治思想に合わせたコメさえすれば、毎度おなじみの人から簡単にスターがもらえる。 たぶんいちいち内容なんて見ちゃいないのだ。 しかし、容易くもらえるものに大した価値はない。 あの人はめったにスターを配らない。 全くやらないわけではないが、見る限りめちゃくちゃレアだ。 だからこそ狙う価値がある。 一つでももらえたら、もうその時点でブクマカなんか卒業していい。 どういう基準で配ってくれるのかは全くわからないが、とにかく今日もブコメを書く。
Daft Punk 〜 トーマ・バンガルデルがいなかったら今の自分もいない。それくらい感謝しています。 ぼくはDaft Punkの熱心なファンではありませんでした。もちろん嫌いじゃありませんでしたが熱狂するほどはのめり込めなかった。 なぜならDaft Punkはオリジネイターというよりは元ネタからの引用がとても上手な「うまいことやる人達」という印象が強かったから。1stから2ndにかけてはああなるほどとは思いつつも熱心には聴いてなかったしもちろん影響も受けませんでした。 80年代の終わり頃からシンセサイザーやリズムマシン、サンプラーをシーケンサーで稼働させるいわゆる「打ち込み」を10年間延々とやり続けてアーティスト活動も辞めて編曲家に転身しつつあった90年代の終わり〜2000年代の頭にかけて、突然シンセサイザーに飽きた時期がありました。 ちょうどその頃浜崎あゆみ女史チームからお声かけいただ
ここには年に1回くらい殴り書きしてるんだけど、史上最大に気持ち悪いおじさんの自分語りになってしまった。というか長すぎ。誰が読むんだ、これ。 自分は33歳、妻と未就学児1人の計3人で、人口100万人以上のそこそこの地方都市に暮らしている。 会社は子会社系のSIer。新卒で入った。これがまあ、ネットでよく馬鹿にされるような典型的な時代遅れの会社だった。 正直、入社時は「エンジニアとして働く」「会社の安定性」の両方が満たせそう、ぐらいの浅はかな考えだった。で、実際のところ大企業である親会社の盾もありまあ、安定していた。競争原理が働かず仕事は嫌でも降ってくる。給料は年功序列で上がっていき、昨年の年収は大体月20時間の残業で600万だった。世間的にはそこまで高いとは思わないんだけど、この会社の外での自分の市場価値を考えれば高いと思っている。 一方でエンジニアとしてはそりゃもうひどい環境だった。10年
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