http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d8c7.html大阪大学の大竹文雄教授が、1年ほど前の週刊東洋経済に寄稿していらっしゃった(面白かったのでとっておいた)のですが、ちょっと要約します++++++++++++++++++++市場競争とセーフティネットという、経済学者が考える標準的な組み合わせは、日本人の常識ではないようだ。「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人はより良くなる」という考え方にあなたは賛成するだろうか。PEW研究センターと言う米国の調査機関が2007年に各国で意識調査をしている。 日本では49%しか、この質問に賛成していない。米国 70% カナダ 71% スウェーデン 71% イギリス 72% 韓国 72% イタリア 73% 中国 75% スペイン 67% ドイツ 65% フランス 56% ロシア
わたしの悩みは、会社の人たちが仕事でメールを使ってくれないことである。けっこう重要な伝達であっても口頭で指示がくることがほとんどだ。よってすべてこちら側でメモを取って復唱しないといけないし、なにより口頭なので記録が残らない。トラブルが発生したさい、言った言わない問題に発展する場合も多く、対策として、伝えられたことを箇条書きにまとめたメールを送り返して記録を残すようにする*1など、ほんらいであれば相手がやるべき仕事をこちらが引き受けるかっこうになってしまって実にめんどうである。これはどうにかならないものかしら。 それでも、伝達があるていど的確であれば、口頭でもかまわない。「やってもらいたいことは3つ。これとこれとこれ。期日はいつまで。よろしく」といったぐあいであれば、まちがいも起こりにくいし、こちらとしてもわかりやすく、すぐに取りかかれる。しかし、なんでも口頭で伝える人というのは、おおむね「
解雇規制を取り払ったら、転職できる考え方の人とそうでない人の格差が開くだけで日本経済にとっていいことなんてほとんどないと思う。(ちなみに僕は転職できない方の考え方でした。)解雇規制が「間違った正義」であり、いわば「日本経済のガン」であることに、日本人は早く気づくべきだ。この鎧(よろい)から解放されれば、雇用も出てきて、格差も減り、労働者の意欲はむしろ増して、日本経済は活力を取りもどせる。http://mojix.org/2009/01/20/kaikokisei_wrong_justice ■では問題。「英語のクラスを受け持っている塾講師がいる。A君は英語の他に数学も教えることができる。B君は英語のみを教えることができる。この二人の塾講師の給料はどちらが高いか?」 「A君でしょ、当然。だって2教科教えられるんだから」→転職市場では生きづらい考え方です。仮に「日本」的としましょう。 「同じで
「学会語が難しい!」という話をたまに聞くので翻訳(意訳?)してみました。他にもたくさんあった気がするんですがとりあえずこれだけ。 「太字」=学会語(ふつうの字)=日本語 「大変興味深い発表をありがとうございました」(お前の発表に興味深いところは特になかったので具体的に言及しないよ)「非常に示唆に富むお話でした」(具体的にどんな示唆が得られるかさっぱりわからなかったよ)「膨大な資料を駆使していて大変な努力の跡が伺えるのですが…」(努力すりゃあいいってもんじゃないよ)「非常に丁寧にまとめられていて、大変勉強になりましたが...」(「まとめ」なんて誰だってできるよ)「単なる用語の確認ですが…」(お前の用語の使い方、間違ってるよ)「単なる質問ですが、XXXの定義を教えてください」(お前、もう少していねいに言葉を使えよ)「最初のほうで聞き漏らしてしまったかもしれませんので、リサーチクエスチョンについ
英語ができない語ができないたった1つの決定的な理由は「単語力」だそうな。 単語力。これ以外に英語ができない本当の理由は実はない。他の理由はすべておまけ。たとえば耳力ってのは、結局は単語知ってるってこと。知ってる単語が聞き取れないことはあっても、知らない単語が聞き取れることはない。そこを勘違いしちゃあいけない。 no title その英単語がなぜ覚えられないか?の答えは「英語で覚えていないから」。 より大事なのは、一つの文を英語で作れること。そのためには、「均等に」1000語知っていることよりも、「よく使われる」単語を、「より多彩」に使えるようになるのが先決。 例えば、"prepare"という言葉を、「準備する」と覚えちゃ駄目。"get ready"と覚えないと。そのためには、getを「深く」知らなければならない。このgetにsetを加えると、8割ぐらいの動詞は、動詞そのものではなく (ge
ぼくは友だちがとても少ないのだが、それでもいないわけではない。ほんの数人、親しい友だちがいて、時々一緒にご飯を食べたり、お茶を飲んだりする。 その友だちの一人にMという男がいる。Mはぼくの後輩なのだが、今ではもう友だちのような関係だ。Mもぼくも渋谷の近くに住んでいるので、会う時は渋谷が多い。電話をして、ちょっとお茶でも飲もうよという感じになり、カフェでよくお茶をしたりする。カフェに行く時、ぼくはスターバックスが好きなのだが、Mはタバコを吸いたいので、他の店に行くことになる。スターバックスは禁煙でタバコが吸えないのだ。ぼくはタバコを吸わないのだが、Mと一緒の時は、Mに合わせてタバコの吸える店に行く。ぼくは、近くにタバコを吸う人が多かったので、タバコを吸える店に行ってもそう苦にすることはない。 ある時、それは夜の9時頃だったのだけれど、渋谷で会っていたぼくらは、じゃあお茶でも飲もうかということ
そもそもはてなでホームレス擁護してる連中も批判してる連中も実情を見ないで空論を交わしてる。誰一人としてホームレスと人間として向き合ったことがある奴が居ないのはすぐに分かる。あの歯の抜け落ちた洞穴のような穴から悪臭とともに放たれる言葉を五感で感じ取ったことがある奴はいるのだろうか?空想のホームレス像でアレコレ議論している。本当に馬鹿馬鹿しい。ホームレスにもホームレスコミュニティ的なものがあって、そこが心理的にも物質的にも互助会として非常に上手く機能しているから、「生活保護と家」というのを事務的に一人ずつバラバラにやったのではうまくいかないなんて話を聞くとマジ笑う。さも事情通のようにしたり顔で良くいう。その中に実社会よりもキツいヒエラルキーがあってリンチされたり、婆さんホームレスが売春してたり、縄張り争いしたりしていることは語られない。そして餓死などによって間接的に殺人が行われたりすることも知
どうでもいい京大生ごとき低学歴にまで噛み付かなければ気が済まない低俗な三流大卒学歴コンプ*1がうようよ釣れて大漁だった、あの例の伝説のネタ「没落エリート」がはてな界隈で大センセーションを巻き起こして早1ヶ月。わしゃどうでもいいよほんと。入った学校がたまたま京都にある大学だっただけで、わしはぶっちゃけ全然京大にも京都にも帰属意識とか民族意識的な愛着とか一切感じてないのでどうでもよろしい。せいぜい酒の席でネタにして「ええー!京大卒ぅー?見えなーいぜんぜーん!ゲラwww」とかキャバ嬢らにちやほや言ってもらうが関の山である*2。いちおう就職しようかなーと予定してるんだけどさー*3、わしゃ会社というもの全般について、どうにも適性が見えないわけである。わしは株式会社という組織自体にかなりの不信感を抱いていて、従業員の社会的生命をなんら保証してくれないのをウチの親父ほか数名をリアルな実例として目撃して
雑記iPhoneの話題がすごく多いです。 相変わらず起こるネガティブキャンペーンと、その声を軽く吹き飛ばす絶賛の声。「値段高すぎるだろ」「日本語入力遅いんでしょ?」「次世代PHSが始まってからのw-zero3のがいいよ」「だってsoftbankでしょ?」なんて事を言っていた僕も、「愛のない携帯は携帯じゃない」とか言ってます。ごめんなさい、今適当に考えました。でも、すごく惚れてます。特にマルチタッチスクリーン何かはyoutubeとかで見てても「ほへー」なんて声を漏らしてます。 でも、僕は持ってないですiPhone。さすがに高すぎて手が出ない。というか、そもそも僕は携帯電話自体を持っていません。情報科で機能美ラブな変態プログラム人間*1ですが、携帯電話を使わなくなってからもう一年経ってます。持ち歩くのは手帳と一冊の本です。ちなみにPSPも専ら据え置き機と化してます。 携帯を使わなくなったのは紛
感性を育てる?「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び これを読んで、知り合いのNくんのことを思い出した。Nくんは、美術大学まで行って絵を勉強したオーソリティーなのだが、絵については一種の天才で、子供の頃にこんな経験をしたのだそうである
昔聞いた話なのだけれど、その頃、自分を売り出すことにかなり意識の高い、戦略的な女子アナがいた。その時はまだ若かったのだけれど、スマートさ、クレバーさ、したたかさをすでにして備えた、かなり強い女子アナだった。ぼくはその女子アナ(仮にAとする)に興味を抱いていた。一緒に仕事をしたことはなく、テレビで見るだけだったのだけれど、画面を通しても明らかに異彩を放っていることが分かって、強く惹かれるものがあった。それで、Aと一緒に仕事をしたこともある旧知のテレビディレクターの何人かに「一体どんな人物なのか?」と聞いてみたことがある。するとそのディレクターたちも、Aに対してはぼくと同種の興味を抱いていたらしく、色々見聞きしたり知っていたりすることがあって、それをぼくに教えてくれた。それは、当時のぼくにとってはかなり「面白い話」だった。そこで聞いたAの話は、かなりインパクトのあるもので、ぼくは強いインスパイ
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