タグ

神話と皇族に関するLouisのブックマーク (2)

  • 三笠宮の「建国記念日批判」から議論する、神話と歴史と記念日の話

    http://mainichi.jp/articles/20161027/k00/00e/040/162000c 昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父、三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午前8時34分、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で心不全のため亡くなられた。宮内庁が発表した。明治以降に亡くなった皇族としては最も長寿の100歳だった。 (略) 古代オリエント史の研究者として知られ、東京女子大などで講師として教壇に立った。著書に「古代オリエント史と私」などがある。歴史学者の立場から、神武天皇の即位の日とされる2月11日の祝日「紀元節」(48年廃止)を建国記念日として復活させることに反対の意思を表明したこともあった。 リンク 毎日新聞 訃報:三笠宮さまご逝去100歳=天皇陛下の叔父 - 毎日新聞 昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父、三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午

    三笠宮の「建国記念日批判」から議論する、神話と歴史と記念日の話
    Louis
    Louis 2018/02/12
    「神武 三笠」でツイート検索したら三笠宮を国賊扱いしてる人が結構いてびっくりした
  • 【小畑三秋の歴史よもやま(3)】考古学では裏付けられぬ「神武東遷」…神武天皇はなぜ九州から大和へと向かったか(1/4ページ) - MSN産経west

    「都の地を求めて東へ行こうと思う」。初代・神武天皇が高千穂(宮崎)から大和(奈良)へ向かった「神武東遷」。古事記で有名なこの神話を色鮮やかに描いたのが、洋画家の絹谷幸二・大阪芸大教授だ。天高く飛翔する神武天皇の作品は、新たな時代の幕開けを思わせる。一方、考古学的にアプローチすると、「東遷」ではなく大和から九州へ〝西遷〟のような流れがあったという。2月11日は神武天皇即位の日とされる紀元節を引き継いだ「建国記念の日」。節目の日を前に、国の成り立ちを考えてみた。守られてなお開かれた都 「神武天皇は、九州より気候が穏やかな大和へ、コメ文化も携えてきたと思うんです」。絹谷さんは古事記編纂(へんさん)1300年にあたる一昨年、神話をテーマに多くの作品を手がけ、八咫烏(やたがらす)に囲まれて東遷する神武天皇も描いた。 大和は田植えや稲刈りの時期、九州のように大雨や台風に悩まされることも少ない。山からの

    【小畑三秋の歴史よもやま(3)】考古学では裏付けられぬ「神武東遷」…神武天皇はなぜ九州から大和へと向かったか(1/4ページ) - MSN産経west
  • 1