広永 益隆(ひろなが やすたか、1968年3月5日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 現役通算34本塁打ながら、節目のメモリアルアーチや珍しい記録を伴う本塁打が多いことから「メモリアル男」、「記憶より記録に残る男」と呼ばれた。 来歴・人物[編集] 徳島県立徳島商業高等学校への在学中には、「四国屈指のスラッガー」として名を馳せながら2年時の春から甲子園球場の全国大会に4季連続出場。2年時には「3番・右翼手」だったが、3年時には「3番・投手」として甲子園球場のマウンドに立っていた。 1985年のNPBドラフト会議で、南海ホークスから3位指名を受け入団。外野手として指名されたため、入団後は野手に専念。南海時代の3年間で一軍昇格はなかった。 ホークスの経営権と本拠地の移転に伴って球団名が「福岡ダイエーホークス」に変わった1989年に、プロ4年目で初めて一軍に昇格。4