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ブックマーク / shinsho-plus.shueisha.co.jp (4)

  • 学校の先生もテレビも「西成を差別と偏見の目で見ている!」と憤る生徒たち - 集英社新書プラス

    大阪府立西成高校。「西成」という、差別や貧困など社会問題が凝縮される場所にある同校で2007年、全国のどこにもないオリジナルな授業がスタートした。<反貧困学習>だ。西成高校の生徒たちに否応なく覆いかぶさる「貧困」という現状に、正面からアンチを突き付ける<反貧困学習>の目的はただ一つ、「貧困の連鎖を断つ」こと。 数年途絶えていた<反貧困学習>が今年度より、“バージョン2”として再開されると聞き、2022年5月より、西成高校で取材を開始した。 1学期の<反貧困学習>はシングルマザーの貧困の構造を学んだ生徒たちが、参議院選挙を前に、主要9政党に「シングルマザーに関する質問状」を送り、それぞれの回答を読み込み、どの政党を支持するかの選挙も行った。その一部始終は既に、お伝えした。 2学期のテーマは、自分たちの足元を考える「西成学習」だ。「西成学習」とは一体、どのような内容で構成されているのか、生徒た

    学校の先生もテレビも「西成を差別と偏見の目で見ている!」と憤る生徒たち - 集英社新書プラス
  • 日本人はなぜ「人権」という言葉が苦手なのか - 集英社新書プラス

    私たちの行動は日々、人権によって守られている――そう言われても、ピンとくる人は少ないだろう。しかし、国際人権の基準を日常生活や社会問題に照らし合わせると、それが途端に見えてくる。エセックス大学人権センターフェローであり、国連の人権機関を使って世界に日の問題を知らせる活動をしている藤田早苗氏は著書『武器としての国際人権 日貧困・報道・差別』でそのことを明らかにした。 記事では、法学者として人権、ジェンダー法を専門にしながら、幅広いメディアで活躍する谷口真由美氏と藤田氏が対談。日における「人権」のイメージの問題から、国際人権という概念を広めていくための取り組みについてまで、語り合う。 『武器としての国際人権』(集英社新書) 人権のなのになぜ「武器」という言葉を使ったの? 谷口 20年ほど前になりますが、早苗さんがまだエセックス大学の学生だったころ、部屋に泊めさせてもらったことがあり

    日本人はなぜ「人権」という言葉が苦手なのか - 集英社新書プラス
    Louis
    Louis 2023/01/28
    「レストランで、昼食を食べながら出版社の編集者と打ち合わせをしていたんですよ。今、私が作っている人権の本の構成について話していたら、隣に座っていた60代くらいのご夫婦の男性が突然怒鳴ってきたんです」
  • 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第2回】 – 集英社新書プラス

    M-1が始まった年にコンビ結成。08年には優勝まであと一歩というところで苦杯をなめるも、そのタイトルに挑み続けた「裏・M-1の申し子」、ナイツ。ネタを書く塙は、M-1特有の性質に加え、関東芸人にありがちな、ある「癖」が優勝を難しくしているという。芸人にとって、M-1王者とは何を意味するのか。これから優勝できそうな関東芸人は、誰なのか? 関東芸人の悪い癖 ──去年、M-1で優勝した結成15年目のとろサーモンなんかも、もうベテラン漫才師のようでした。 塙 めちゃめちゃうまいですよね。2015年にM-1が5年振りに復活し、参加資格を従来の結成10年以内から結成15年以内に延ばしたことによって、経験値の高いやつがごろごろいるようになった。競馬で言えば、3歳クラシックから、古馬のレースになってしまったようなもんです。だから、昔ほど強い武器を持っていても通用しなくなっちゃいましたね。それ以上に経験値が

    関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第2回】 – 集英社新書プラス
    Louis
    Louis 2018/09/01
    「関東のライブハウスでは、2軍ではホームランを打ちまくってるけど、1軍にくると通用しないバッターみたいのがすごく多い。1軍のお客さんは、そんな甘いボールは投げてくれないよ、ってことなんです」
  • 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第1回】 - 集英社新書プラス

    今年も8月1日から、いよいよお笑い界の最大の祭典「M-1グランプリ」の予選が始まった。M-1の13回の歴史の中で、関西出身以外の芸人が優勝したのは、04年のアンタッチャブル(関東出身)、07年のサンドウィッチマン(東北出身)、09年のパンクブーブー(九州出身)の3例だけ。そこで関東芸人の聖地・浅草を拠地にし、漫才協会の副会長を務めるナイツの塙宣之に、「関東芸人M-1必勝法」を探ってもらった。インターネットで調べた様々な知識を披露するも、どれも微妙に間違っている塙に土屋がツッコむ「ヤホー漫才」で一躍有名になったナイツは、M-1が始まった年、01年にコンビを結成し、以降、M-1に出場し続けた。そして3度、決勝の舞台に立ち、08年には最終決戦にも進んだ。優勝こそ無いものの、芸歴をM-1とともに歩んだ彼らは、「浅草の星」にして、まさに「裏・M-1の申し子」とでも呼ぶべき芸人でもある。 大阪はブラ

    関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第1回】 - 集英社新書プラス
    Louis
    Louis 2018/09/01
    塙宣之「いきなり全否定みたいなところから入りますけど、そもそもですね、M-1は吉本興業がお金を出して、自分のところのタレントを売り出すために作ってくれた階段なんですよ」
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