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ブックマーク / thir.hatenadiary.org (4)

  • 表現規制の問題ではなく、「宣伝手法」の妥当性が問われている−−『まどか☆マギカ』劇場版について - Thirのノート

    http://togetter.com/li/386912を見て。 根底としてのコミュニケーション不全 劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』において、「子供が見て悲しい思いをした」という件、そこからつながる表現規制問題がTwitterを賑わせている。ただ、Twitterでは、「残虐な描写があるから見せるべきではない/分かるようにすべき」という議論が非常に多い。あるいはそれを超えて、「世の中とは理不尽なものであるから、理不尽な映画/理不尽な映画を見てしまうというシチュエーションも経験すべき」というような精神論まで飛び出す始末である。最初に言っておく。これは表現規制の問題ではない。 「残虐な描写があるから見せるべきではない」という態度は、あくまでも「大人一般が子供一般に対してどのような態度をとるか」という話であろう。そしてこの話は、「この程度では残虐ではない」「少しばかり残虐でも良い」という具体的

    表現規制の問題ではなく、「宣伝手法」の妥当性が問われている−−『まどか☆マギカ』劇場版について - Thirのノート
    Louis
    Louis 2012/10/10
    『虹色ほたる』『ももへの手紙』など一般向けアニメ映画も増え、ある種アニメ映画が市民権を得た事による事故のような気がする。劇場にふらっと来て、ポスターで興味を持った家族連れがいる可能性もあるわけだし…。
  • てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート

    ちょうど一年前、私はてんかん患者の社会的地位についてなぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノートにて記した。 そして今回の事件においては、てんかん患者への運転免許取得規制が格的に議論されようとしている。はっきり言って、私はこの規制に断固反対である。それが事件の被害者を侮蔑した行為であるとののしられてもまったく構わない。というのも、免許規制はてんかん患者にとって単なる「運転ができなくなる」以上の意味を持っており、それは彼らの社会的地位をさらに差別に晒すものであることは間違いないためである。 なお、てんかんと免許の「安全性」については、先のクレーン事故と織り交ぜて語られているhttp://ameblo.jp/moonsun3/entry-11220131531.htmlに詳しい。 「クローズ」——仮面をかぶる生き方 てんかんに限らず、慢性精神疾患やエイズなど告知によっ

    てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ - Thirのノート
  • 「誰かが犠牲にならなければならない」ものは、システムとして欠陥がある - Thirのノート

    原発に関して、「誰か(具体的には復旧に当たっている東電社員や自衛隊員)が命や健康を犠牲になれば、原発自体は全く危険なものではない」という言説が散見できる。即ち「危機的な状況に陥っても、復旧作業を行えば何も地域全体が危険にさらされることはない、もちろんその復旧作業には危険が伴うが」と。 しかし、そのような、「緊急時には誰かが危険を伴う作業をしなくてはならない、あるいは命を犠牲にする覚悟を持たなくてはならない」ようなシステムは、そもそもシステムとして自己犠牲を内在化しており、その点においてこのシステムは全体として欠陥である。ゆえに、現時点において(あくまでも現時点において)原発というものが、いざというときにそのような犠牲を必要とするのであれば、そのようなものは消えてしまえばいい。 そして犠牲者は英雄となり、英雄となるという事実があることで犠牲は社会において再び要請される。映画「ハルマゲドン」で

    「誰かが犠牲にならなければならない」ものは、システムとして欠陥がある - Thirのノート
    Louis
    Louis 2011/03/15
    犠牲を生まないシステムは幻想だと思っています、むしろ犠牲になる者の選別が不明確(もしくは理不尽)なものに欠陥を感じます。ノブリス・オブリージュ。
  • あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート

    ニコニコ大会議であった例の件について。例の件について存じない方は、とりあえず「2008-07-04」を読んでくださいな。 いじめの構造 いじめというのは、ある一人の人物を他の大多数の人間が「見下す」ことで、虐める側の人間が「虐める側」としての共通意識・仲間意識を持つものである。つまり、虐める側は虐められる一人の人間を「外部」として定義することで初めて集団性・内部性を保つことに成功するのである。 ここで出てくるのが、「生け贄にされた一人」の問題である。いじめの構造上、彼は彼が有している感情の如何に問わずその集団の外にはじき出されている。いじめについては他にも様々な問題があるが、ひとまず「集団の内部と外部」という構造が見て取れる点だけを、今回は問題としてみる*1。 さて、ここで件のエントリに戻る。 ニコニコ大会議の場合 衝撃を受けた。すごい。すごいことだ。 あまりにも斬新すぎるコミュニケーショ

    あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート
    Louis
    Louis 2008/07/07
    こういう文字の羅列を見ると、サトリは生き辛いだろうなと思った
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