阪急ブレーブスの黄金時代の遊撃手だった阪本敏三氏が3月22日に、パーキンソン病のため、兵庫県内の病院で死去していたことが分かった。78歳。すでに告別式は家族だけで執り行われた。 ◇ ◇ ◇ 阪本夫人の泰子さんからは「ずっと元気だったのに、本当に急なことで、なかなか気持ちの整理がつきませんでした。野球との出会いには感謝してます。寺尾さんのインタビューが最後の取材になりましたね」と告げられて恐縮した。 京都生まれの阪本さんは、平安高から立命大に進学した。当時の関西6大学野球連盟では7季連続の“盗塁王”に輝いた韋駄天(いだてん)ぶりだった。 ノンプロの河合楽器を経て、66年ドラフトで阪急入り。時の監督は名将・西本幸雄さん。インタビューの中で阪本さんは、初めて西本さんと会ったシーンを鮮明に覚えていた。 「わたしには怖いイメージが強かったので、入団したときに恐る恐るあいさつしたんです。ところ