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ブックマーク / next.rikunabi.com (6)

  • まつもとゆきひろ、増井雄一郎の“Ruby”ギークライフ|【Tech総研】

    世界にRubyの存在感を示していきたい──組み込み向けプログラミング言語“mruby”“MobiRuby”を開発するまつもとゆきひろと増井雄一郎が語る想いを、前回の誕生編に引き続き紹介する。

  • ギーク座談会! 嫌いな言語、10年後の姿、幸せって?|【Tech総研】

    こんな企画が通るとは……ギークを集めた飲み会、いや、座談会。人選、言語、コミュニティはどうする? べにぢょが協力してくれました。会場は弊社の入っているビル最上階のレストラン。もう、何でもいいよ。とりあえず飲んで話そうよ! 一同 乾杯!!!!! え おいしいね。ところで、今日は何の話をすればいいの? 編 とりあえず、自己紹介からお願いします。 え では。え~モバツイというサイトを運営しているえふしんです。このメンバーだとLLとか言語系の集まりみたくなってますけど、僕は言語にこだわりはなくて、モノができればいいじゃんと思っています。だから、この場にいるのが若干申し訳ない。エンジニアとしての引け目というか(笑)。 し 引け目を感じてはいませんよ(笑)。柴田と申します。Pythonやってます。仕事としてはWebのサービス系ですね。えふしんさんと近いのかもしれないけど、僕も実は言語へのこだわりってあ

  • グリー伊藤直也が仕掛けるスマートフォン向け開発戦略|【Tech総研】

    SNS企業各社が競合する中、グリーが打ち出す次の戦略とはどのようなものか。この夏、はてなのCTOから転職して話題となった伊藤直也氏に、iPhoneなどマルチデバイスに向けたサービス開発の展望、それに伴う必要な人材像を聞いた。 伊藤直也氏といえばソーシャルメディア業界では知らない人はいないリーディングエンジニアの一人。ニフティでブログサービス「ココログ」の開発に携わり、2004年にはてな転職後は、「はてなブックマーク」を開発。執行役員最高技術責任者(CTO)として、はてな技術戦略の中枢を担った人物だ。今年8月末、自身のブログで、グリーに転職することを発表すると、即座にTwitterやブログを通してニュースが広まった。 思えば、伊藤氏がニフティという大企業から、当時社員10名のはてな転職したときも、ニュースになった。これからのソーシャルメディアについての確かな展望を描きながら、自分が仕事

  • 堀江貴文 エンジニアは誇り高くあれ|【Tech総研】

    東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程中退。1996年に「有限会社オン・ザ・エッヂ」を設立。2002年に旧ライブドア社から営業権を取得し、2004年に社名を「株式会社ライブドア」に変更。2006年に証券取引法違反容疑で起訴されて一審、二審ともに有罪判決を受ける。現在上告中。1972年福岡県生まれ。 今、非正規雇用の増加やいわゆる「派遣切り」が社会問題になっていますけど、僕が前の会社(ライブドア)で社長をやっていたときは、技術者派遣やSI会社の常駐社員などは一切使わなかったし、逆に自社の社員を派遣することもしなかった。社内ではこうしたシステムを利用するようにかなり説得されたけど、ここだけは頑固に譲らなかった。 唯一、派遣会社を使ったのは受付の女の子たち。いろいろとあって押し切られてしまったのだけど、彼女たちが望めば正社員にしていたし、希望すれば総務や経理に異動もさせていた。ほかに社員でない人と

  • 何故?問い続ける石井裕MIT教授のエンジニア哲学|【Tech総研】

    MITメディアラボで、12年にわたり教授を務めてきた日人がいる。直接手でデジタル情報に触って操作できる「タンジブル・ユーザーインターフェース」の研究で知られる石井裕氏だ。石井氏がエンジニア適職フェアで若きエンジニアたちに語ったメッセージとは。 Tech総研は、2006年春、石井氏に単独インタビューを敢行、その記事を「我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!」に掲載した。2008年1月26日のエンジニア適職フェアでは特別スピーカーとして石井氏を招き、エンジニア魂を根底から揺さぶるようなエネルギッシュな講演をしていただいた。1時間の講演を終えた石井氏の周りには、間近で質問をしようと、エンジニア、研究者、学生らの長蛇の列。その一つひとつに丁寧にこたえる氏の姿勢が印象的だった。 1956年生まれ。80年、電電公社(現NTT)入社。86年~87年、西ドイツのGMD研究所客員研究員。88年よりNTTヒュ

  • 天才かオタクか?未踏ソフト出身者たちは我が道を往く|【Tech総研】

    高校卒業後に中国・上海の華東師範大学に留学。卒業後に帰国し、不動産関連会社にSEとして勤務。退社後はフリーのエンジニアとなり、人いわく「どんな仕事でもやりました」。ウノウ株式会社に勤務。株式会社八角研究所の技術顧問も務める。 日語で書けるプログラミング言語。誰もが考えそうだが誰もが実行しそうにないこの開発に取り組んだのが、酒徳峰章さんだ。きっかけは偶然かつ必然。当時、不動産関係の会社でひとり社内のシステム化を進めていた彼は、顧客管理などの仕事を効率化するためのツールを、さまざまな言語で作っていた。確かに便利だが、どうせならプログラミングを知らないアルバイトさんにも使ってほしい。そこで、データの一括コピーや抽出といった単純作業用にと、日語でのプログラム言語開発を思い立ったのだ。 「誰でも簡単にプログラミングできることが目的で、日語化は手段のひとつでした。ほかにもビジュアルに凝るなど使

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