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2009年7月16日のブックマーク (3件)

  • 「世の中難しい」というウソに騙されない方法:日経ビジネスオンライン

    鍼には刺すだけでなく、触れるだけの鍼、出血させるための鍼など症状や患者の体調に合わせ、さまざまな種類がある(ページ下の写真参照)。それらの対象であるツボや経絡は、目に見るような“実体”はないが、「確かにある」という“実感”をともなう。寄金丈嗣さんは、ツボの存在と技術体系を「妄想」だと表現しつつも、その有効性は認めている。 前編では、「ツボを有する体」とは、感覚的には捉えられるが、質的には不可知の存在であるという話があった。だが、体に限らず当は私たちの生きる世界も不可知だ。 では、私たちが現実だと感じていることと妄想の違いは何か。“現実を当に生きる”とはどういうことか。引き続き寄金さんに尋ねた。 寄金丈嗣(よりかね たけつぐ) 1963年東京都生まれ。87年鍼灸師・按摩マッサージ指圧師の資格を取得。鍼灸を柱に据えた伝統学術の出版企画会社・六然社主宰、ジャーナリスト。高校時代よりフリーラ

    「世の中難しい」というウソに騙されない方法:日経ビジネスオンライン
  • 言語の文脈的意味を考えるつぶやき - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    まとまりがなくて自信がない文章だけど面倒なので出しちゃう 言語行為論の哲学的貢献は、言語は記述に関係すべきという(道徳的説教と変わらない)哲学の傲慢を批判したことであり、その延長で言語と現実との関係はそれに関与する人間によってこそなされるとする主張だ。言語と現実との関係にも二つあって、オースティンが提示したのは言葉の記述役割を相対化する語用論的関係であって、文脈主義による意味論的関係とは分けないといけない。ところで、言語行為論は論理実証主義との対抗関係で成立しているが、言語行為論的な批判をそのまま日に持ってきて主張してもむなしいところがある。つまり、日では逆に言語と現実との関係が無責任であることの方が問題なのだ。言語行為論の普遍的意義は(歴史的意義とは別に)認めるべきだが、いい加減に特殊な文脈で意義を持つ輸入品をそのまま日で使おうとするような愚はやめてほしいと思う(日には記述至上主

    言語の文脈的意味を考えるつぶやき - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 違星北斗は同化を強く指向したか - 我が九条

    Mukkeさん(「」)経由。 あー,このひと,アイヌコミュでも大活躍してるなー。「アイヌとして,日人への同化を強く志向した違星北斗さんという素晴らしい方」(原文ママ)という表現を見た時には殺そうかと思ったよ。 多分「このひと」が依拠したのは違星北斗の次の文だろう。 吾人は自覚して同化することが理想であって模倣することが目的ではない。 あるいはこれか。 「日臣民として生きたい願望」であるのだ。 この文は違星北斗が創刊した雑誌『コタン』創刊号の中の違星北斗の「アイヌの姿」という論説の一部である。しかしこれはまさに「都合のいい所を切り出した」だけのものであるのは、「アイヌの姿」の文章を読むだけでも「このひと」の言う「アイヌとして、日人への同化を強く志向した違星北斗さんという素晴らしい方」というのが全くの嘘であることが分かる。 私は小学生時代同級の誰彼に、さかんに蔑視されて毎日肩身せまい学生

    違星北斗は同化を強く指向したか - 我が九条