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ブックマーク / www.nippon.com (12)

  • 地域を立て直す書店の役割-広島県庄原市東城町「ウィー東城店」

    一見、どこにでもある郊外型に見えたその書店は、まるで「よろず相談窓口」だった。高齢者が気軽に相談をもちかけ、子どもたちが笑顔を取り戻す不思議な場所には、書店だからこそ、人々が集まりたくなる理由があった。 店長は「地域のおいっ子」  広い敷地に駐車スペースはたっぷりと25台。書店の一角に小さな美容室が見えた。駐車スペースの奥には大きなコインランドリー。金曜日の朝、何台ものランドリーマシンがクルクルと忙しく働いている。ランドリーの隣には、玉子の自動販売機と精米機が並ぶ。 100坪の店内は明るくすっきりとしていた。半分を書籍が占める。次いで大きいのが化粧品コーナー。奥にエステルームがある。続いて文具、CD、タバコ。レジカウンター前には雑貨コーナーとコーヒースペース。 雑貨コーナー 文具は11真っ直ぐに、書棚のは整然と並ぶ。コーヒーを作る水場は磨き上げられてピカピカだ。 仕事の休憩だろうか、

    地域を立て直す書店の役割-広島県庄原市東城町「ウィー東城店」
  • コロナ危機で活躍、国民の憧れとなった注目の台湾「天才」IT担当大臣はどんな人か

    2020年2月、米国の外交政策研究季刊誌『Foreign Policy』に「世界の頭脳百人」にも選ばれた台湾・デジタル担当政務委員(大臣)の唐鳳(オードリー・タン)が、最近の新型コロナウイルスの騒動のなかで、マスクの在庫が一目でわかるアプリのプログラムを開発し、日でも一気に知名度が高まった。幼いころから天才と称され、中学中退と同時にビジネスの世界に飛び込み、アップルのデジタル顧問となって「時給=1ビットコイン」の契約を結んだ。若くして成功を収めた唐鳳は33歳でビジネスからのリタイアを宣言。2016年から蔡英文政権に招かれて35歳の史上最年少大臣となり、政治の世界に入った奇才は、台湾コロナ危機でも活躍し、世界や日にも衝撃を与えている。 日テレビ番組が相次いで紹介 最近、日テレビ番組は相次いで台湾の天才IT大臣、唐鳳の特集番組を組んでいる。古色蒼然とした日の大臣たちとまったく違っ

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    MyPLB 2020/03/07
  • 13坪の「小さな総合書店」が18年間生き残った理由-福岡「ブックスキューブリック」

    ルポ『だれが「」を殺すのか』で、ノンフィクション作家佐野眞一氏が書店業界の構造問題を明らかにし、出版不況の現実を読者に突きつけたのは、2001年だった。同じ年、福岡では大型書店の出店ラッシュがピークを迎える中、逆風に立ち向かうように、わずか13坪の書店が誕生した。18年が過ぎ、その書店は今も元気にを売っていた。 だれが「」を殺すのか  同書によると、取次と呼ばれる問屋からの「自動配」に頼る屋が増えた結果、金太郎飴状態になったことを始め、いくつかの複合的な理由により年間千軒以上もの書店が廃業に追い込まれた。「自動配」とは、書店に届けるのラインナップや冊数を取次が書店の意向を反映せずに決める配方法のことだ。 また、一方で、大型書店が全国展開する流れが加速した。例えば福岡市では、1990年代後半、商業の中心地区天神に丸善、リブロ、八重洲ブックセンター、ジュンク堂が相次いで出店し、

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    MyPLB 2020/01/23
  • 台湾飲食業界で成功するためには〜なぜ日系拉麺店の撤退が相次ぐのか(上) コスト編

    台湾発のタピオカドリンクが日で大ブームとなり、今年の夏はどこに行ってもタピオカタピオカ、タピオカという状況だ。台湾の有名店や日の飲業も競って参入し、有名人気店がオープンとなれば行列必至。そんなタピオカの発祥地・台湾では、今年7月から8月にかけて、ミシュラン掲載店として知られる北海道の梅光軒や沖縄の新麺通堂、つけ麺チェーン店三田製麺所など日の有名ラーメン店が相次いで営業終了を発表し、現地で大きなニュースとなっている。撤退を発表したこの3つのブランドは台南で複数店舗を経営していたため、全店同時に営業終了というのは社会的に大きなインパクトを呼び起こしたのである。 皮肉なことだが、台湾タピオカブームで沸く日とは対照的に、台湾では台湾に進出した飲店の撤退ラッシュが起きているのである。稿では、(上)で主に意外に低くない台湾でのコスト面から、(下)では主に経営戦略面から、日の飲業におけ

    台湾飲食業界で成功するためには〜なぜ日系拉麺店の撤退が相次ぐのか(上) コスト編
  • どうすれば作家デビューできるの?——日本と台湾で異なる文壇事情

    有名な作家は今でも「近代の文豪+村上春樹」 2019年2月、『独り舞』中国語版の宣伝で久しぶりに台湾に帰った。その際、台湾を代表する書店「誠品書店」を何店舗か回った。若者が書店内の床に座ってを読んでいるという日ではあり得ない光景を懐かしくいとおしいと思いながら、びっくりすることがもう一つあった。店頭の新刊コーナーを見ると、まるで1、2年前の日の書店にタイムスリップしたかのようだった。 というのも、約1年半~2年前に日の書店の店頭で平積みになっていたベストセラーの多くが、台湾の書店でも並んでいたのだ。北野武『アナログ』、東山彰良『僕が殺した人と僕を殺した人』、村上春樹のインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』、塩田武士『騙し絵の牙』、辻村深月『かがみの孤城』、川口俊和『コーヒーが冷めないうちに』……まさかあの文体模写『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』まで中国語版に

    どうすれば作家デビューできるの?——日本と台湾で異なる文壇事情
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    MyPLB 2019/05/27
    台湾の文学賞は大きく「学生文学賞」「地方文学賞」「全国的な文学賞」に大別/学生文学賞「文学創作の習慣を広める」ことが主な目的/私自身、レベルを問わないなら30回くらいは受賞したが、デビューには至らなかった
  • ごみ収集の現場から眺めた日本社会

    地方自治を専門とする筆者は「現場主義を貫く」というスタンスで、東京都新宿区で9カ月にわたってごみ収集の作業員として働いた。その体験を通じて、ごみ清掃の仕事の奥深さを知ることになる。 9カ月ごみ収集の現場を体験 大学院生の時に寄勝美先生(※1)がごみ収集車に乗って清掃行政の研究をされたと教わり、いつか自分もそんなリアリティーあふれる研究をしてみたいと思うようになった。その後偶然にも東京都新宿区の清掃の現場に入れてもらえる機会を得て、迷わず飛び込んでいった。2016年6月から17年3月までの約9カ月間、断続的に新宿東清掃センターに通い、ごみの収集業務に従事した。 そこでは、プレス車(清掃車)での可燃ごみ収集、軽小型車での狭小路地のごみ収集、独居老人宅への訪問収集、ごみの無法地帯である新宿2丁目の巡回と回収、不燃ごみから可燃物を取り出す破袋選別作業、不適切排出者への清掃指導、小学校での環境学習

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    MyPLB 2019/01/16
  • 台湾少年工の心に生き続ける日本

    台湾出身の父と日人の母の間に生まれた一青妙(ひとと・たえ)さんは知人を通じ、かつて日の軍事工場で働いた台湾少年工らの存在を知る。 同窓会からの招待状 今年のゴールデンウィークの少し前、知り合いの台湾人の藍(らん)さんからファクスが届いた。5月に「台湾高座(こうざ)会」があります、台湾からたくさん人が集まりますよ、一緒に参加しませんか、というお誘いだった。 メールで「寄席にはあまり興味がないので…」と答えた私。藍さんは、台湾高座会は、戦時中に戦闘機の製造のため日に派遣された台湾の少年工たちで作る「同窓会」であることを教えてくれた。 「高座」は神奈川県の旧高座郡を指す。現在の神奈川県相模原市、大和市や会が開かれる座間市など旧陸・海軍による、国家防衛の一翼を担う施設が多くあった場所だ。台湾高座会へご一緒することを藍さんに約束し、せっかくなので台湾少年工のことを少し調べてみた。 戦闘機の製造

    台湾少年工の心に生き続ける日本
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    MyPLB 2018/05/12
    「台湾は親日だから」で片付けてしまっては惜しい。その後ろには台湾高座会のような存在があり、いろいろな歴史があって、つらいことも苦しいこともあったが、みんな時間の経過の中で消化されていき、今日があること
  • 九份、このままではいけない

    今の九份に愛着を感じない「妙さん、九份を案内してください」「一青さんと九份に行きたい」 こんな言葉を掛けられるたびに、私は暗い気持ちになる。なぜなら、人を案内できるほど、私は今の九份に愛着を感じていないからだ。 九份の街は、台湾の新北市瑞芳区の山間部にあり、中心都市の台北駅から車で1時間弱の場所にある。台湾旅行のパンフレットには、大抵、メインストリートに連なる赤ちょうちんと急な石段の九份の街並みの写真が掲載されている。スタジオジブリのアニメ「千と千尋の神隠し」のモデルになった場所だと信じられており(実際は違うらしいが)、日人の間で九份の知名度は、台湾を象徴する観光地と形容していいほど、不動の地位を築いている。 ところが、私は、現在の九份がどうしても好きになれない。 友人や日の親戚を連れ、九份に行くたびに、がっかりさせられる。 「没有(ない)」「趕快(早くして)」「不知道(知らない)」「

    九份、このままではいけない
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    MyPLB 2018/05/12
    夕暮れから夜にかけての景色//明け方の九份は、朝靄(あさもや)とともに、幻想的で静寂に包まれ/同じ金山として一時代を築き上げた隣街の「金瓜石」はだいぶ様子が違う/観光地としては金瓜石の方がずっと価値がある
  • 海外鉄道インフラ整備の最前線に立つ土木技師 阿部玲子

    世界各国で鉄道建設が相次ぐ中、日土木技術や品質・安全管理のノウハウを携えて、国際的に活躍する女性がいる。これまでにインドの地下鉄工事現場監督などを務め、今はアジア諸国を飛び回る阿部玲子氏だ。 阿部 玲子 ABE Reiko オリエンタルコンサルタンツグローバル軌道交通技術プロジェクト部長、インド現地法人社長。1963年、山口県生まれ。大阪府で育つ。山口大学工学部卒業。89年に神戸大学大学院工学研究科修士課程を修了し、鴻池組に入社。95年からノルウェー工科大学(現・ノルウェー科学技術大学)大学院に留学。留学を終えた後、台湾高速鉄道(台湾新幹線)トンネル工事を担当。2004年にパシフィックコンサルタンツインターナショナルに移る。2007年からインドに駐在し、首都ニューデリーなどの地下鉄建設工事に従事。会社の事業譲渡に伴い、2008年からオリエンタルコンサルタンツグローバルに所属。2014

    海外鉄道インフラ整備の最前線に立つ土木技師 阿部玲子
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    MyPLB 2016/07/06
  • 日本の難民受け入れに関する誤解 | nippon.com

    は「難民に冷たい」か? 日が難民の定住受け入れを決めたのは、1978年。インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)で相次いで成立した社会主義政権を拒否する約150万人(UNHCRによる)が難民化し、諸外国から受け入れを求める強い圧力を受けてのことだった。78年に3人、79年には2人だったが、その後は受け入れ態勢が急速に整備され、これまでに家族の呼び寄せを含めて1万1319人を受け入れ、この制度は終焉した。 難民とは「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいるものであって、その国籍国の保護を受けることができないかまたはそれを望まない者」(1951年難民の地位に関する条約第1条)を指す。庇護を求められた場合は、人道的見地に立って、これを受け入れることが国際的な義務である

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  • ようやく普通の法律になった労働者派遣法

    厚生労働省 今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会 第1回(2012年10月17日)資料「労働者派遣制度の現状」より。ピンク色の項目が各改正時の追加分 しかし、その「専門的業務」の主たる中身は、派遣法制定当時は結婚退職することが多かったOLと呼ばれる事務職の女性たちが担う「事務的書記的労働」(法制定に尽力した労働経済学者、故高梨昌氏の言葉)であった。「ファイリング」という職業分類表にも登場しない「業務」が最大の派遣専門業務となったのは、法律と現実の間の論理的隙間を埋めるものであり、後には事務職なら最低限のスキルとなる「事務用機器操作」が専門業務としてその隙間を埋めた。 このごまかしが世間で通用したのは、OLは新規学卒から結婚退職までの短期雇用という暗黙の了解の下に、派遣労働者でOLを代替することは常用代替ではないと認識されていたからであろう。男性正社員の終身雇用さえ維持できれば、OLが

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  • nippon.com | 日本情報多言語発信サイト

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