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ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (4)

  • コメント削除のジレンマ - 我が九条

    マキャベリの『君主論』において、なかなか含蓄深い言葉がある。 古今東西多くの賢人たちは、想像の世界にしか存在しえないような共和国や君主国を論じてきた。しかし人間にとって、いかに生きるべきかということと、実際はどう生きているかということは、大変にかけ離れているのである。 だからこそ、人間いかに生きるべきか、ばかりを論じて現実の人間の生き様を直視しようとしない者は、現に所有するものを保持するどころか、すべてを失い破滅に向かうしかなくなるのだ。 なぜなら、なにごとにつけても善を行おうとしか考えない者は、悪しき者の間にあって 破滅せざるをえない場合が多いからである。 ネットイナゴ対策の基は「気に入らないコメントは削除」である。当然削除された側は「気に入られなかった」だけであり、そのコメント自体が不適切であったかどうかは問題ではない。そこの管理人とは所詮縁がなかった、ということだ。コメントを削除す

    コメント削除のジレンマ - 我が九条
    NOV1975
    NOV1975 2007/10/26
    最近ネットイナゴは藁人形なんじゃないかとおもうことがある。
  • 扇動されやすい人 - 我が九条

    現在鎌倉時代の講義*1をやっている。一昨年にもやったが、今年もやっている。なぜだかテスト一発勝負はダメ、という大学で、そのくせ数百人を一つの教室に詰め込むから、講師としてはどうやってテスト以外の評価をするべきなのか、よくわからない。そこで適当な時期に小レポートを書かせている。 一昨年宝治合戦のところでレポートを書かせた。宝治合戦とは、鎌倉幕府の有力御家人であった三浦泰村が北条時頼に滅ぼされ、鎌倉幕府の政治上の大きな画期となった合戦である。一般には得宗専制への道と評価される事件だが、永井晋氏の『吾鏡を読み直す』という著書の該当箇所を読ませて、レポートを書かせた。永井晋氏は、従来の時頼黒幕説ではなく、時頼は三浦氏から安達氏への外戚の交代をスムーズに行いたいと思い、三浦泰村にも事を荒立てるつもりはなかったのだが、時頼派の強硬派安達景盛と三浦氏の強硬派三浦光村に引きずられる形で合戦に至った、とい

    扇動されやすい人 - 我が九条
    NOV1975
    NOV1975 2007/05/24
    「俺は世界の隠された真実を知ったぞ!」っていう中2病が続く大学生たち。政治側からちょっとあれな話が出てきたらすぐ騒ぐ人たちにも通じる何か。なんでも陰謀論なんて想像するのは簡単だけどね。
  • 学級運営 - 我が九条

    毎日新聞の記事より。http://www.excite.co.jp/News/society/20061124030100/20061124M40.125.html 要するに「なれ合い型の学級でいじめが生まれやすい」という話。管理型となれ合い型というのは教師の教え子への接し方によるものだそうで、有無を言わせず従わせる指導タイプと言い分を尊重する援助タイプがあり、指導タイプに偏ると管理型、援助タイプに偏るとなれ合い型になる、という。子どもの言い分は確かに尊重せねばならない。しかし尊重しすぎると学級崩壊に陥る。そこの線引きが難しい。 私は一年間の授業の最初にルールを示す。そのルールを守ることを生徒に求める。このルールは教室の秩序を維持するために必要なルールである。何よりも他人の邪魔をしない。授業進行の妨げをしない。以上である。それ以外は生徒の自由。と言っても以外と生徒に残された自由は少ない。そ

    学級運営 - 我が九条
    NOV1975
    NOV1975 2006/11/26
    もはや塾はある目的をもった人だけが集まると場所ではなく、ほとんど学校第二部だね。学校ですべき生徒の統制の取り方をしている。塾講師と学校教師の違いは親や社会のプレッシャーの違いだと思っているのだけど。
  • 間違っている論理展開 - 我が九条

    間違っている論理展開によって人びとは容易にだまされる。ここでは具体例を挙げて間違っている論理展開について考えたい。人をだます時には論理展開の約束事を破って己が望む解を導き出す。そしてそれは一見論理的であるだけに容易にだまされてしまう。この稿をそうするに当たっては以下のエントリを参照した。「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか。非常に勉強になったので私自身のメモのために自分流に事例を置き換えて考察したい。 まずは間違っている帰納的論理展開。帰納的に論理を展開し、解を導き出すには「適切な事例の選択」が必要である。以下は恣意的な事例選択により、間違った解を導き出した例。 うらやましいほど優雅に生きた平安貴族も、じつは短命でした。貴族の代表である歴代天皇の寿命を見てみると、平安前期には54歳だったのものが、中期には44歳、後期には33歳とじつに

    間違っている論理展開 - 我が九条
    NOV1975
    NOV1975 2006/11/06
    なんか武士のくだりは誘導を感じる。論旨には同意。
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