ブックマーク / kaerusanu.hatenadiary.org (3)

  • 「面白さ」はいくらで売れるか? - かえるの開発工房

    情報には適正価格が無い 情報はいくらでもコピー出来る。だから、原価を割り込まない値段であればいくらでも安くすることは出来る。だから、よくあるオンラインゲームで一番最初に考える馬鹿な考えは、競合より安くするということである。 では、アイテムを安くしたとしよう。売れる数が増えたとしよう、ただ売上が安くした分だけ減ることになる。たしかにユーザの払いやすい価格帯というものは存在して、そこに合わせることで一時的に売上は伸びるかも知れない(大抵売上は純減するだけだけど)。だが、それはゲーム寿命を縮めるだろうし、ゲーム価値自体を縮小させるだろう。 我々は何を売っているのか? そもそもゲームというのは、何を売っているのだろうか?シナリオ?バトルシステム?キャラクター?面白さ?体験?あなたは、ゲームソフトを買うとき、オンラインゲームお金を払うとき、何にお金を払っているのだろう。何を期待して、どこに価値を感

    「面白さ」はいくらで売れるか? - かえるの開発工房
  • ゲームは、なぜつまらなくなったか - かえるの開発工房

    最近はゲーム自体やっていないので、微妙ですが大枠の話として捉えてください。 懐古ではなく、昔のゲームと今のゲームの比較 昔のゲームはよかったと、ファミコン、スーパーファミコンの世代の人はいう。それに対して、PS、SS以降しか知らない人たちは、懐古しているからだと言う。そうなのだろうか。過去の思い出として美化してしまっただけなのだろうか。ゲーム自体に飽きてしまっただけなのだろうか。でも今、昔のゲームをやっても十分面白い。なんで? 「リアリティの追求=面白い」という呪い 「リアリティの追求=面白い」という呪いがこの元凶なのだと考える。最初のころのスペックの小さい、ゲーム機では自然とリアルのそのままの落とし込みなんて無理だった。だから、自然とモデル化を行い、ゲームとしてのゲームになった。例えば、昔はマス目のあるシミュレーションが普通だったし、時間もリアルタイムではなく、ターン性などを取るのが普通

    ゲームは、なぜつまらなくなったか - かえるの開発工房
    Nao_u
    Nao_u 2011/01/31
    これは今読み返すと2006年くらいの風景だなぁ、という感覚が
  • 強い思考と弱い思考 - かえるの開発工房

    思考できる人は少ない 結構前から考えていたのだけれど、自分自身を編集できるような「強い思考」というのは、かなり難易度が高いと思う。かなりの人は、自分のことを自分補正をかけてしか見ることが出来ないし、思考した結果の産物を自己評価出来る人はかなり少ないと思う。 自分自身の思考を客観的に評価することができて、優れたものを優れたものとしてみるのは、自己がきちんと固まらない状態だと苦痛だと思う。しかし、内部、外部認識のズレをなくさない限り、成長はそこで止まる。いかなる、啓発書を読もうとも、優れた師がいようとも、自分自身しか自分を成長させることはできない。 一度ついた認識を再認識する難しさ 人の第一印象の占める割合は大きいという。7割から5割は第一印象がそのまま決まるのだと言う。これはどういう事かというと、人間の認識コストが割と高いので、一度した認識を再認識したときに呼び出してそのまま使うのだ。なので

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