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ブックマーク / anatema.hatenablog.com (6)

  • Stanley Brouwn - anatema’s diary

    コンセプチュアル・アートの黎明期に活躍したスタンリー・ブラウンStanley Brouwnは興味深い作家だ。 名前は知られているが、現物を観るチャンスは限りなく少ない。国内では絶望的だ。 60年代、70年代の主要な国際展に参加していてもカタログの人のページにはいつも名前の下に「作家の意向により作品の記録は掲載できません」とあるだけで作品が掲載されることはなかった。記録画像もないのである。 その代わり彼は主にの体裁をとったマルチプル作品を出版した。一般的には、距離と方角を扱う脱物質化の作家と紹介される。 ブラウンの作品はどういうものかというと歩くことで空間をリアライズさせることである。 作品としての基形は以下のようなものである。 1m   1step   1foot 上の文字がその長さの線と一緒に添えられている。それが彼の作品の基形だ。 さて、これは何を言っているのか。大雑把な言いか

    Stanley Brouwn - anatema’s diary
  • Seijiro Murayama Toshiya Tsunoda - anatema’s diary

    この作品はリリースするまでずいぶん時間がかかってしまった。 3年前の夏、村山のほうから私への打診があった。マイクをスネアの中に入れて録音してみたい、ということだった。最初は村山のソロ作品のつもりでいたが、話していくうちにプロジェクトになった。 その翌年の春に舞岡に行き、そこで2日間録音を行った。CD解説にあるように村山の操作によって叩かれることのないスネアの録音は終わったが、そこから問題が表れた。 アルバムにするために構造が必要になった。私たち自身はのんびりした陽の下でスネアにその空間の大気が染み込んでくれたようなことで満足しているのだが、アルバムにするとなるとそう単純にはいかない。 そこからメールでのやり取り(村山はフランス在住である)や、実際の話し合いで骨格が作られていった。この構造も解説にあるので省略するが、ここで何をしたいのかということのみを書いておきたい。これは私見である。村山は

    Seijiro Murayama Toshiya Tsunoda - anatema’s diary
  • パレルモの国旗 - anatema’s diary

    ブリンキー・パレルモはコンセプチュアルな作家というよりは遥かにペインタリーな仕事をした。一見するとミニマル絵画に見えるかもしれない。しかしミニマルの動向にありがちな工業的な手段や機械的なパターンの規則性それ自身を主張させるような使い方は一切しない。 パレルモの作品について書き出すと長くなるので、あのドイツの国旗の色を使った作品について書いてみよう。 あの作品はクネーベル等と共に米国での展覧会に向けて作られた。現在NYのDia:Beaconに所蔵されている。 私は最初、国旗の色彩、赤、黄、黒を使った連作には面白みを感じなかった。 パレルモの使う形と色彩の詩的なバランスの妙からしたら、何か明白すぎるような、理屈っぽいところで作ったものに思えたからだ。 しかし時間がたつにつれて、あの国旗の作品が気になりだした。他の作品より強く見えるのだ。そこからあることに気づいた。 あの色彩はドイツ国旗であり何

    パレルモの国旗 - anatema’s diary
  • 音盤を聴く会/レコードの日 - anatema’s diary

    11月3日(祝)15時〜16時30分まで 音盤を聴く会 主にコンセプチュアル・アーティストの音盤など。脱線あり。 解説・映像:角田俊也 Charge 500yen + 1ドリンク・オーダー ループライン 千駄ヶ谷http://www.loop-line.jp/top.html コンセプチュアル・アートと聞くと倦厭されるかもしれませんが、コンセプチュアルの音源は決して眉間に皺がよるような、難解なものではありません。そこには音楽とは別の鑑賞対象が存在します。それはむしろ、随筆や映画のような印象を受けることでしょう。そして人生に一服の清涼剤のような効果を与えます!巷で言われるような「聴く必要のない」ものではありません。まずは私自身が愛聴しているものを一緒に聴いてみませんか。参加者全員に貴重な音源を収録したサンプルCDRを差し上げます。 (予約をお早めにいただけると助かります) 予約 info@l

    音盤を聴く会/レコードの日 - anatema’s diary
  • インスタレーション - anatema’s diary

    2001年頃。或る展覧会で私はインスタレーションを発表した。 その作品は自分なりに日常空間起る現象を考えた結果として、その当時は気に入っていた。 しかし展示期間が終わる頃、ふと気づいて愕然としたことがあった。 それは近代美術館の展示案内に使われたクレーの絵だった。 その絵で得られることは私が作ったインスタレーションと似ていた。 絵画! 絵画空間をなめてはいけない! それは平面の凹凸ではない。 連綿と続いた絵画の歴史によって出来上がった土俵のことだ。 サッカーにしろ野球にしろ、そのゲームの基盤は一夜にしてできないのと同じで、 絵には現実の空間の厚みを押し殺した独自な意味の空間があるのだ。 それは最初から洗練されている。 それに比べたら自分のインスタレーションは惨めだった。 物の花の前の造花だ。 日常空間で起っているものをわざわざモデルにして、現実空間に干渉させてどうするのか。 インスタレー

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  • 息を合わせる - anatema’s diary

    肺や心臓を傷めるのは辛い。それは生命の危機に直結する。最近そういうことと少し関わりがあったので気づいたことがある。 私は時々何か人がしゃべってるだけの録音が聞きたくなる。 気に入ってるものは独のEdition BlockがディストリビュートしているArthur KopckeのWAS IST DASという作品。カードボードに収まった簡素な冊子と、その冊子を読み上げる年老いた?作家の声のCD。これが独語で一体何を言ってるのか分からない。よく聞くとテープレコーダのノイズも混ざり音質は決して良いとは言えないが、なぜか安堵感が漂う。大きな声になるとそれが部屋に響くのが聞こえる。どんな部屋に居るのか。どういう人生を送ったのだろうか。時折自動車の音がかすかに聞こえる。声を含めた全体の響きの柔らかさ。その声質から語られる内容は想像できない。どこかに住んでいた知らない人の声。内容が分からなければそこまでだ。

    息を合わせる - anatema’s diary
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