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2021年10月1日のブックマーク (4件)

  • 日本の偉人 河村瑞賢 生誕400周年記念サイ

    河村瑞賢は、元和4(1618)年に東宮村(現:南伊勢町東宮)で生まれました。13歳で江戸へ出たのちは、車力として生計を立てていましたが、川に流されたお盆のお供え物の野菜を集めて、漬物を作って販売した話は有名です。 明暦の大火(1657年)をきっかけに材木商として財をなしたのちは、幕府や諸大名からの依頼により、多くの公共事業に携わりました。 東廻り・西廻り航路を整備し、船の航行の仕組みを整えて、当時の物流を劇的に改善したことをはじめ、畿内では大規模な治水事業、新潟では用水敷設や銀山開発などの事業に取り組みました。現場に赴き、自分で考えて問題を解決することにより、様々な事業を成功させたと伝わります。瑞賢は当時を代表する豪商であるとともに、様々な社会インフラ整備のプロジェクトリーダーとして活躍しました。 これらの功績により、晩年には旗として武士の身分を与えられましたが、元禄12(1699)年、

    日本の偉人 河村瑞賢 生誕400周年記念サイ
  • 大丸の歴史

  • 歌麿・写楽を見出した江戸の敏腕プロデューサー! 蔦屋重三郎ってどんな人?|【北斎今昔】もっと知りたい、浮世絵の「今」と「むかし」

    浮世絵版画は、絵師・彫師・摺師の三者の共同制作により生まれます。そしてその企画から制作、販売までをトータルでプロデュースしていたのが、現在の出版社に当たる「版元(はんもと)」の存在でした。「浮世絵の黄金期」と呼ばれる天明・寛政期に、喜多川歌麿と東洲斎写楽という二大スターを生み出したのが、版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)、通称・蔦重。一体どんな人物だったのでしょうか。 吉原文化発信プロジェクト・メディア戦略部長 蔦屋重三郎(1750〜97)は、吉原遊廓(新吉原)に生まれ育ちました。吉原は、人々を非日常へと誘ってくれる魅力的な場所であり、流行の発信地でした。しかし各所に競合が登場し、高級志向の吉原遊廓の人気には次第に翳りが見え始めます。そんな中、重三郎は吉原で屋を開業。初めは義兄の引手茶屋の軒先を間借りした、ごく小さな屋(おそらく貸屋)でした。 山東京伝『箱入娘面屋人魚』寛政3(

    歌麿・写楽を見出した江戸の敏腕プロデューサー! 蔦屋重三郎ってどんな人?|【北斎今昔】もっと知りたい、浮世絵の「今」と「むかし」
  • 出社率の低下に柔軟に対応 「社食のクラウド化」サービスとは ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

    コロナ禍以降、テレワークの普及により社員堂などの運用を見直す企業が増えている。健康経営の一環や、人材定着のための従業員へのベネフィットとしても事補助の注目が高まっている。事補助の新しい姿を追った。(取材・昆梓紗) 柔軟に変化できる「クラウド化」 「テレワークの普及により社の『クラウド化』を検討する企業が増加している」―置き配型の総菜などを提供する「オフィスおかん」を運営するOKAN(東京都豊島区)の沢木恵太CEOはこう話す。従来の場所や提供内容が固定化された社ではなく、社員の働き方の変化に合わせてサービス内容を柔軟に変更できる事補助の形が求められている。 同サービスは、1つ100円の総菜が置かれた冷蔵庫をオフィスに設置し、社員が好きな時に好きな数を購入できる。サービス開始当初は中小規模やスタートアップ企業の導入が多かったが、最近では大企業や製造業での導入も増えてきた。 さらに、

    出社率の低下に柔軟に対応 「社食のクラウド化」サービスとは ニュースイッチ by 日刊工業新聞社