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歌麿・写楽を見出した江戸の敏腕プロデューサー! 蔦屋重三郎ってどんな人?|【北斎今昔】もっと知りたい、浮世絵の「今」と「むかし」
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浮世絵版画は、絵師・彫師・摺師の三者の共同制作により生まれます。そしてその企画から制作、販売まで... 浮世絵版画は、絵師・彫師・摺師の三者の共同制作により生まれます。そしてその企画から制作、販売までをトータルでプロデュースしていたのが、現在の出版社に当たる「版元(はんもと)」の存在でした。「浮世絵の黄金期」と呼ばれる天明・寛政期に、喜多川歌麿と東洲斎写楽という二大スターを生み出したのが、版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)、通称・蔦重。一体どんな人物だったのでしょうか。 吉原文化発信プロジェクト・メディア戦略部長 蔦屋重三郎(1750〜97)は、吉原遊廓(新吉原)に生まれ育ちました。吉原は、人々を非日常へと誘ってくれる魅力的な場所であり、流行の発信地でした。しかし各所に競合が登場し、高級志向の吉原遊廓の人気には次第に翳りが見え始めます。そんな中、重三郎は吉原で本屋を開業。初めは義兄の引手茶屋の軒先を間借りした、ごく小さな本屋(おそらく貸本屋)でした。 山東京伝『箱入娘面屋人魚』寛政3(