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まつもとゆきひろに関するNeanのブックマーク (11)

  • もしOSに断絶があればRubyは死んでいた可能性が高い、まつもと氏がRuby25周年で講演

    Post author:sider Post category:Uncategorized Reading time:4 mins read Post published:2018-02-26 もし過去のOSに断絶があったら、Rubyが絶命していた可能性はかなり高い。25年のRuby開発の歴史を振り返りつつ、そんな意外な見方を示したのはRubyの生みの親として知られる、まつもとゆきひろ氏だ。 日生まれのプログラミング言語「Ruby」(ルビー)が25歳の誕生日を迎えた。Rubyが生まれたのは1993年2月24日のこと。それからちょうど25年目となる2018年2月24日に、Ruby25周年記念イベント「Ruby25(ルビー・トゥエンティーファイブ)」が、Rubyアソシエーションおよび日Rubyの会の後援で東京の品川インターシティーで開催された。 基調講演を行ったまつもと氏は、25年を振り返

    もしOSに断絶があればRubyは死んでいた可能性が高い、まつもと氏がRuby25周年で講演
  • Ruby誕生25周年を祝うイベント「Ruby25」開催。まつもと氏にサプライズでお嬢様ふたりから花束贈呈

    まつもと氏「これまでたくさんのRubyのイベントがありましたが、私自身が開催しようと言ったことはありませんでした。ただ、Rubyの4分の1世紀はエポックメイキングなことだと思ったので、やってみたいねと言ってみたら、あれよあれよと立派なイベントになり、大変ありがたく思っています」 「ソフトウェアの誕生とはなんでしょう? ソフトウェアには物理的実体はない、概念上の存在です。じゃあ、Rubyはいつからあるのか? 私の中でRubyはいつ生まれたのかと考えると、おそらく、Rubyという概念が生まれたとき、それは名前が重要なので、Rubyという名前が生まれたときではないかと思います。 私は昔からプログラミング言語に関心があって、とうとうプログラミング言語を作ろうと考えたときに、会社の先輩とどんな名前にしようかと相談しました。名前というのは重要で、名前をつけた日こそがRubyの生まれた日ではないかと思い

    Ruby誕生25周年を祝うイベント「Ruby25」開催。まつもと氏にサプライズでお嬢様ふたりから花束贈呈
  • 「IT奴隷化に反旗を翻そう」 VASILY技術顧問 まつもとゆきひろ氏インタビュー | VASILY DEVELOPERS BLOG

    まつもとゆきひろさんが弊社の技術顧問に就任する事となりました。せっかくなので、「ベンチャーの重要性」「世界での勝ち方」「SIerのヤバさ」「モルモン教とエンジニアリング」など、まつもとさんに色々聞きたかった事をぶつけてみました! VASILY Officeにて 質問 我々は、小さい会社ながらも技術によって世の中にインパクトを与えようと頑張っています。 他にもそういった会社が増えていますが、思う所など教えてください。 まつもと その逆は大企業とかだけど、関わっている人が多くなればなるほど、辛くなりますよね。 僕はビジネスマンじゃないので、エンジニアが幸せかどうかしか分からないけど、自分で決められないエンジニアは不幸なんですよね。 この技術の方が絶対いいのに、「上司が説得できないから従来のやり方で頑張りましょう」みたいな空気で腐りながらやるのは、エンジニアにとっては不幸なんですよね。 小さ

    「IT奴隷化に反旗を翻そう」 VASILY技術顧問 まつもとゆきひろ氏インタビュー | VASILY DEVELOPERS BLOG
  • まつもとゆきひろのハッカーズライフ:第7回 言語の重要性その2 (1/2) - ITmedia エンタープライズ

    世の中にこれだけたくさんの言語があるのに、さらにまた新しい言語を作ろうと思いつく時点で、すでに相当INSANEでしょう。しかし、言語を変化させることはあらゆるもののありかたを変化させることでもあります。つまり、言語のデザインは、究極の自由なのです。 当のハッカーの定義 しばらく前の話になりますが、VA Linux Business Forum 2005においてOSS Roundupという討論会に参加しました(関連記事参照)。これは、わたしを含むオープンソースに深くかかわっている5名のパネリストがオープンソースに関して自由に語る形式のものです。この中で「ハッカーとは何か?」という話題が登場しました。一番定義が緩いのは「オープンソースプログラマー」の肩書でテレビにも出演していらっしゃる小飼弾氏で、「(民主主義社会では)あらゆる人はハッカーである」と定義しておられました。それはまた極端な。 で

    まつもとゆきひろのハッカーズライフ:第7回 言語の重要性その2 (1/2) - ITmedia エンタープライズ
  • [動画]Ruby設計者まつもとゆきひろといろいろ語りたい - @IT情報マネジメント

    プログラム言語Rubyアジャイルソフトウェア開発の連携が生み出す新たな可能性を縦横無尽に語り合う。全6回シリーズの第1回。まつもとゆきひろ(ネットワーク応用通信研究所)がRubyの来歴を語り、平鍋健児(チェンジビジョン)がアジャイル開発とRubyの接点を模索する。角谷信太郎(永和システムマネジメント)が両者の橋渡しをする。 なぜ、「まつもとゆきひろ」か? 「RailsによるアジャイルWebアプリケーション開発」は一風変わった書籍である。RubyによるWebアプリケーションフレームワーク、Ruby on Rails解説の決定版である書は、書名に「アジャイル」を冠しながらも、文では具体的なアジャイルソフトウェア開発手法への言及がほとんどない。その理由は「アジリティ(agileであること)はRailsの構造の一部」であり「フレームワーク自体にアジャイル宣言の原則を語らせるように」執筆したと

    [動画]Ruby設計者まつもとゆきひろといろいろ語りたい - @IT情報マネジメント
  • 【日経BP技術賞】「Rubyが評価されたのは,技術や機能ではなく“感性”」,大賞受賞のまつもと氏語る

    Rubyがプログラマに受け入れられたのは“感性”の部分」。2007年4月6日,2007年(第17回)日経BP技術賞の表彰式が行われ,「プログラミング言語Ruby」の開発で大賞を受賞したまつもとゆきひろ氏が受賞のあいさつを行った。 審査委員長の田中昭二氏(国際超電導産業技術研究センター副理事長)によると,今回の日経BP技術賞の特徴は,ソフトウエアが初めて大賞を受賞したことだという。「ソフトウエアはITの中核であるにもかかわらず,これまで日では世界に普及するようなソフトウエアが生まれてこなかった。Rubyは日発の立派なソフトウエアであり,Web 2.0時代の定番言語だ。我々はまつもと氏に感謝しなければならない」と田中氏は語った。 まつもと氏はあいさつの冒頭で,今回の大賞が「初の個人受賞」「初のオープンソース・ソフトウエアの受賞」「1993年から14年間も開発されてきた古い技術の受賞」と異

    【日経BP技術賞】「Rubyが評価されたのは,技術や機能ではなく“感性”」,大賞受賞のまつもと氏語る
  • 「Ruby」まつもとゆきひろの「自由はこう手に入れろ」 / 叱られ隊長・黒幕Q嬢の懺悔の部屋/Tech総研

    今や世界に知られるオープンソースのプログラミング言語「Ruby」。 シンプルで利便性に富んだこの言語を開発したのが、まつもとゆきひろさんです。 「我らがクレイジー☆エンジニア主義」で、まつもとさんのプログラマとしてのルーツを取材したのですが、「Ruby」を開発したのは、サラリーマンプログラマ時代。その当時のお話がとても興味深い! 世界のプログラマから高い評価を得たことで、オープンソースソフトウェア開発で、最も成功した日人とも言われるまつもとさんが、どう会社から「自由」を得たのか? 今回はそんなこぼれ話をお伝えします。 ■■同僚が力を認めてくれれば、自由でいても大丈夫 黒幕Q :会社の業務をやりながら、「Ruby」開発をしてたんですか? まつもと:「Ruby」の開発を始めた1993年は、ちょうどバブル崩壊で      景気が冷え込んだ時期だったんです。      僕は、ソフトハウスで社内シ

    Nean
    Nean 2007/03/03
    《考え抜くことですね。それこそ、脳味噌から汁が出るくらい(笑)。》
  • ITmedia エンタープライズ:まつもとゆきひろ――第3回:僕の存在価値はそこにある (1/4)

    過去2回にわたってお届けしてきたまつもとゆきひろ氏へのインタビューは今回が最終回となる。「誰かがRubyを実装し直したとしたら、いまのRubyよりもずっとエレガントで速いものができるはず」と語るまつもと氏は自身の存在価値をどのように見ているのかに迫る。 14年の歳月を経た今も、まつもとはRubyの開発で中心的な役割を果たし続けている。継続することこそが最も難しいといわれるオープンソースソフトウェアの開発において、1人の開発者が長期にわたって中心的な役割を果たし続けている例はそれほど多くない。こうしたことは、成功したから継続しているのだと思われがちだが、実際にはそう単純なことばかりではない。Rubyも、世界的に知られ始めたのは英語の書籍が発売された2000年秋以降で、Ruby on Railsによって広く使われるようになったのはこの2年ぐらいのことだ。その歴史の半分以上の年月は、いわば「下積

    ITmedia エンタープライズ:まつもとゆきひろ――第3回:僕の存在価値はそこにある (1/4)
  • スペシャルインタビュー 世界がRubyを愛する理由 まつもとゆきひろ氏 ネットワーク応用研究所 特別研究員

    にもいろいろ面白い技術はあります。しかし英語のドキュメントがないか,あってもよくわからないものが多い。言語の壁は大きいと思います。 またRubyは,どうすれば自分が気持ちよくプログラミングできるかを追求し,自分が欲しいものを形にしました。実のところ,Rubyで初めて実現されたプログラミング言語の機能というのはありません。これまでに作られたプログラミング言語からたくさんのよいところを選んで,プログラマの感性を信じ,それをユーザーに使いやすい形にした。それがRubyです。 欲しかったのは自分の仕事がすぐに片付く言語です。頭の中で考えたアルゴリズムをメモしたら,それがそのままプログラムとして動いてほしい。プログラムとして動かすためには,コンピュータに教え込むために煩雑な手続きを書かなければならないことが多い。でも,コンピュータのために仕事をしたくない。そうではなくコンピュータは人間のために働

  • ITmedia エンタープライズ:まつもとゆきひろ――第2回:Rubyを開発するということ

    周囲がまつもと氏のまれたぐいまれなプログラミング言語アーキテクトとしての才能に気づき、まつもとがそれに専念できるような体制が自然に形作られつつある――Rubyはいま、そういう状況にあるように見える。今回は、Rubyの開発におけるまつもと氏の考えに迫る。 「リリースマネジメントを譲りました」 オブジェクト指向スクリプト言語「Ruby」の開発は、1993年2月24日に始まった。最初はまつもとが1人で開発していたが、2006年12月現在、大(おおもと)のRubyのソースコードを変更できる権限(CVSのコミット権)を与えられているのは38人となっている。ちなみに、そのうちのおよそ4分の1は海外からの参加だという。 今やRubyは、まつもと1人のプロジェクトではなくなりつつある。いや、まつもとあってこそのRubyという意味では、それは今後も変わることはないだろう。ただ周囲が、まつもとのたぐいまれな

    ITmedia エンタープライズ:まつもとゆきひろ――第2回:Rubyを開発するということ
  • まつもとゆきひろ――第1回:オープンソースという「お仕事」

    オープンソースソフトウェアの開発にかかわっている人のインタビューをシリーズでお届けする「Open Source People」。記念すべき第1回はMatzのニックネームでも知られるまつもとゆきひろ氏の「人となり」に迫る。 連載を始めるに当たって オープンソースソフトウェアを開発しているのはどのような人たちなのか――オープンな場で開発が行われているとはいえ、そこで実際に作業している開発者たちを具体的にイメージできるという人は、案外少ないのではないだろうか。 一般にオープンソースソフトウェアの開発は、誰でも参加できるメーリングリストのようなオープンな場で行われている。そこを覗いてみれば、誰が、どんなことをしているのかということは、それこそ、いつでも誰でも知ることができる。しかし、誰でも閲覧できるからといって、みんながアクセスして読んでいるわけではないのが、インターネットの常でもある。また、開発

    まつもとゆきひろ――第1回:オープンソースという「お仕事」
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