資料1、2によれば、賢治は1916(大正5)年3月、盛岡高等農林学校第2学年の修学旅行で関西を訪れ、帰途伊勢神宮参拝後、3月29日に鳥羽から蒲郡に汽船で渡っています。賢治が乗船した汽船については次のように推測されています。 【資料1】『〈新〉校本宮澤賢治全集 第16巻下〔1〕補遺・資料 年譜篇 109頁 「3月29日(水) 日の出を拝み、鳥羽より400トンの汽船にのり蒲郡に渡る。」以下脚注「6時00分発鳥羽蒲郡線汽船に乗船したとすると、東海道本線上り一八列車に乗り継いで三島に19時05分着となる。」 【資料2】『〈新〉校本宮澤賢治全集 第十六巻下〔2〕補遺・資料 補遺・伝記資料篇』 「鉄道関係 時刻表」217頁 「二十九日には、鳥羽発6時30分の鳥羽蒲郡線汽船にて蒲郡着12時00分、これに接続する、13時20分発の東海道本線上り一八列車にのって三島着19時05分。」 (鳥羽発の時間が異なっ
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