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ブックマーク / njmnjm.blogspot.com (85)

  • 荻野吟子と塙保己一

    日も仕事帰りに同僚と雑司が谷霊園を散策した。夏目漱石、小泉八雲、永井荷風、泉鏡花、あるいは金田一京助など、多くの有名人が眠る場所で、歩くたびに発見がある。 今日は偶然にも日で最初に女性で医師免許をとったという荻野吟子の墓を見つけた。折しも、先週あたりに学生から国学者についての質問を受け、色々調べているうちに塙保己一に行き当たり、塙保己一が『令義解』をまとめたおかげで日でもかつて女性で医師になった者のいたことが荻野吟子にも分かり、男社会が今以上に行き届いて女が社会で窒息しかねないなかで、私も医者になるとエンパワーされるエピソードを見かけたところだった。 同僚が冗談で「導かれましたね」などと言う。こないだ来たときも、漢字御廃止之儀を授業で扱った直後に前島密の墓に出会ったのだった。

    Nean
    Nean 2020/10/05
    あ。
  • PDF画像を使う(TeX on Win8.1)

    たぶんXP時代に構築したTeX環境を、Win8.1導入にあたってゼロから構築しなおしました。これまでは構築が面倒なのでフォルダごとコピペしてPathだけ通すという荒業で乗り切ってきました。それでも動くんだからなんだかどうも。 気分刷新ということで、奥村先生の( [改訂第6版] LaTeX2ε美文書作成入門: 奥村 晴彦, 黒木 裕介)では最近のスタンダードであるというLiveTeX2013を。長いこと使っていたWin32TeXとはおさらばなのであります。新しい技術を読み進めていくのは気持ち良い。 で、新しい環境を作ってみて今のところ最も苦労したのが、画像処理関係です。これまでeps形式で処理していたのが最近はPDFがモードであると。そのありがたさに期待してしまったのは、たまたまいままとめている論文が画像の一覧リストを大量に含んでいるからなのですね。\subcaptionを使う云々は別エン

    Nean
    Nean 2014/04/30
  • subfigure環境で多量の画像を表示する(TeX on Win8.1)

    古い論文手直し中。修士の最初のころ(90年代後半)はMS-Wordで書いていた。先輩が使う書式を見よう見まねで書いていたころです。形式的な書式を含むアカデミックライティングなんて授業は多分なかった。研究倫理は口伝と経験値ですかね。研究科で持っている研究誌が登竜門だったわけですが、そこで編集委員から受ける指導がアカデミックライティングの指導だったのかもしれない。物心つかない大学院生が剽窃で息の根を止められるのを、少なくとも2回は目にしました。 さて昔語りのWord文書をTeX文書に置き換えているわけですが、もうほとんどリライトです。大昔のアホな語りっぷりもあるので骨子ごと変わりつつある気がします。山のような漢字画像データをどうやって見せようかこの数日苦労していましたが、ひとまずの解決案。\subfigure環境を使うことにしました。 並べ方 A4印刷を想定しています。自分の場合は、一行に7個

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    Nean 2014/04/30
  • 専門書の翻訳はきっと大変

    翻訳という行為はほんと大変だろうなと思う。とりわけ専門書の場合は、専門家でない限り記述の意図するところを十全に理解して翻訳することなど極めて難しいだろう(いや専門家だってそうだ)。なかでも専門書は注釈を縦横無尽に駆使しているわけで、それを一つ一つあたって解釈して翻訳にあたっている訳者なんて存在するのだろうか?…とここまで書いてみてどのレベルの質を求めるかということで考えれば、翻訳の沙汰も金次第なのかもしれない。 niji wo mita: 未知の文字の推定法で触れたマイケル・D.コウ『マヤ文字解読』の記述に引かれ、原注に載っていたGelb,Ignace J.1952 "A Study of Writing", University of Chicago Press.を取り寄せてみた。 僕が『マヤ文字解読』で興味を持った記述は、ざっと説明すれば、世界の文字は統計的に20-30の種類が使われて

    専門書の翻訳はきっと大変
    Nean
    Nean 2014/02/09
  • 有線回帰

    うちだけな訳はない、と思ってググってみると同じように困っている方がちらほらいらっしゃる(→拙宅無線LAN問題(1・電波干渉):まだ買ってますか。:So-netブログ)。集合住宅の2.4GHz帯が混みまくりの干渉しまくりについての案件。 一昨年くらいからうちのマンションも相当ひどい。一度フリーソフトで電波干渉具合を見てみたら平日朝8時台の上り西武新宿直前っつーか、いくつものチャンネルがかぶりまくっていて、こりゃあ無理だ感がアホでも分かる状態だった。wifiルータは空いてるチャンネルを探しに行ってはどこもだめ、を繰り返しているようで、しょっちゅうブツブツ接続が切れる。自治会のない賃貸マンションの家主有志で「チャンネルをみんなで分け合おう」運動を一瞬思いつくも、そもそもパイがねえと来た。 一方、5GHzはどうかというと平日昼間の山形新幹線グリーン車ばりにスッカスカです。またルーター買い直し(これ

    Nean
    Nean 2014/02/09
  • I Kill Giants

    ケンニイムラ(イラスト), ジョーケリー(原著), 柳亨英 (翻訳)『I Kill Giants』(→amazon)。アメリカの作家さんが描いたものの邦訳。 これは良かった。家族をテーマに寓意で描く、というと日ではあんまりないかもと思う。山岸凉子とかかな。『夜叉御前』『鬼来迎』とか。ちょっと違うか。少女の成長を描いているのに、日でよく見るジュヴナイル的センチメント(「あたし」の成長)ではない。人生をサバイブできる意味での自己の成長譚(「私」の成長、と仮に名づけてみた)になっている。まあ、これは感動しないほうがおかしいんじゃない? 「外務省主催・第5回国際漫画賞では最優秀賞受賞を獲得」だそうな。描き手が受賞することよりも、賞を出した外務省のほうが試されてるんじゃないか、とも思います。だってね。もうお家芸的な高みから審査できないでしょ、これは。

    I Kill Giants
  • サクみ・ふわみ

    昨年のパン作りで購入していた小麦粉の消費に精を出すべく始めたピザ作りは、パンに比べればすごく簡単だった。パン作りのときに懸念だった「ふくらまなさ」はドライイーストの予備発酵さえ行っておけば全く問題がなかった(ということはパンもうまくいくのかもしれない)。焼き加減のクリスピーな感と、小麦自体の旨味が感じられて、これは行ける。 購入した全粒粉の袋に書いてあるレシピに愚直にしたがって作っただけのピザ。強力粉と半々にしてある。麦の旨さって全粒粉のほうが感じられるとか言うのだけど、どんなだろと思って検索をかけたトップから読んでいくと、やはり全粒粉のほうがアミノ酸系の旨みや甘みの成分が高いのですね。続けてで、読んでいくと不思議な日語に遭遇(米粉や小麦粉のことなら熊製粉株式会社)。 ●パン・菓子/口溶け、歯切れがよく、サクミある感になります。 ●めん/ふわみのある感になります 「サクミ」「ふわ

    サクみ・ふわみ
    Nean
    Nean 2014/01/28
    “「サクサク感」に死を!”。
  • 岡村星『誘爆発作』

    帰りの新幹線で読む用のあれで岡村星『誘爆発作』(→amazon)を、つい帯に釣られて買ってしまった。作者は帯でハードル上げるのやめてくれと後書きで書いているが、この帯で僕は買いましたからね!正直この帯じゃマンガのライトユーザー層は却って敬遠するんじゃないかと心配申し上げるくらいです。つーか帯が他の漫画を批評しているってどういう帯なのか。ということで帯でグッと来たところを抜き書きで取り上げます。 「魅力的な登場人物」 記号的な、テンプレどおりのキャラではなく、実在するかのような登場人物が作中に息づいています。安易なキャラ立てに傷している人にも、すぐれた効果をあらわします。(1巻より) ちなみに帯のこの解説はフォントでいうところの5ptくらいの大きさの文字でざっくりぎっしり書かれています。そこをガッツリ読んで買ったわたくしは、帯(幅10センチ程度)の上方に沙村広明による推薦文が書かれていると

    岡村星『誘爆発作』
  • 脊髄から直接蜜柑を食べられないことは認めたうえでのこと

    たまたまつけたテレビのニュースでテニスの試合が映ってる。日人選手がどこかの国の選手を打ち負かす数ゲームの、試合運びについ引き込まれた。試合展開が面白いなあと思った瞬間、でもテニスってなんだかいけすかないことを、選手の出で立ちを見て思い出す。なんか、ほら、「休日にテニスやってる」とか「大学時代にテニサー入ってました」ってことに対するステレオタイプ的なイメージもあるじゃないですか。 いやいや、テニスそのもののゲーム性が持つ面白さに目を向けましょうよ、偏向したイメージで物事を見ると真実を見失いますよ、とか。そうですよね。客観的な事実だけを見据えて、イメージに振り回されないことは時に人生を助けるでしょう。 けど、それでも我々の現実社会というか現実世界はイメージのレイヤーの上に乗っかっているので、その文脈というか「偏向した」イメージも現実の一部なんですよね。それはそれとして、現象的にまず受け入れて

    Nean
    Nean 2014/01/16
    “誰が「三田文学で激賞されて後に早稲田大学教員になる」ですか。この捻れは芦屋的な地平の上で予定調和的解決を見るのです”。
  • 乙嫁語り6巻

    森薫『乙嫁語り(6)』(→amazon)。中央アジアを舞台にした婚姻譚は、アミルの親族による牧草地の利権を巡る争いへ。相変わらず重厚な描き込みが目に嬉しいマンガですが、この最新刊は珍しく緊張感のある戦闘で彩られています。 以前から、気になっていました。「舞台となっている部族は何語で話しているんだろう」ということに、とうとう後書きで触れられています。中央アジアのアルタイ諸語以下の、カスピ海東部あたりをイメージしているんだろうなと思います(1巻あたりに地図があったような)。後書きで示されている略式の樹形図を、『世界言語文化図鑑(p.47)』(→amazon)の記述に従ってリライトしてみます。☆があるのが、森薫が掲げているもの。 上記の言語はすべて日語版wikipediaにあります。すごいな。中央アジアの言語はさっぱりですが、黒田龍之助氏がこの辺りの言語に通じていらしたような。この他、方言ネタ

    乙嫁語り6巻
  • 2013年のマンガと音楽を振り返って

    マンガ編 今年読んだマンガで印象に残っているものはなんといってもあずまきよひこ『よつばと!』(→amazon)です。今更です。あらいけいいち『日常』(→amazon)の系統でしょ、と思っていたら全然違った。ほのぼの日常系の時間表現と子どものリアルな描写に引き込まれて、無時間的な喜びに身を浸しました。12巻のキャンプのくだりとか神と思う。過去3年くらいにさかのぼってのベストマンガかもしれない。生活変えようかと思ったもん(変えられなかったけど)。 朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』(→amazon)も良かった。もともと朔ユキ蔵は清濁併呑修行僧的な作風で、エロの陰にジョージ秋山『アシュラ』が隠れていた。そういう意味では仏教マンガを描くのは時間の問題だったと思う。4巻に及んでサブ主人公の内面が吐露され、これまで以上に目が離せない展開に。『黒髪のヘルガ』(→amazon)以降、特に好きな作家です。 東村

    2013年のマンガと音楽を振り返って
  • 三択肉絲の秘密

    そろそろ11才です。あれなお年頃なのです。三択(サンタク)肉絲(ロウスー)の実在性について疑義を呈するお年頃なわけです。 先日、タブレット端末で三択の存在についてとうとう彼は調べました。調べ学習の第一歩!このデジタルネイティブ!もちろん検索語は「三択」「肉絲」であります。すると検索結果のトップには「あなたは肉絲がいないことを子どもに知られたとき、どうしましたか?」が出てくるではありませんか!疑義呈しまくりの豚児は「やっぱり!」とまるで岳父が三択のイデアであらんかのごとき責めっぷり。岳父は「バカな妄言で世界に混沌をもたらす輩もいたものであるなあ」と限界すれすれの虚言詭弁で逃げ切ったのでございます。 Twitter炎上のこの時代に、諸賢におかれましては世界の秘密を軽々にWEBに記してしまう愚挙を是非とも控えていただきたい!三択の御姿は常に親・子・肉絲の三位一体にこそあり、真実の秘匿隠蔽にこそ抑

    Nean
    Nean 2013/12/25
    ブクマるべきかどうか迷いつつ(^_^;)。
  • マイケル・D・コウ『マヤ文字解読』読了

    まもなく6歳になる娘が一生懸命カタカナを書こうとしている。「かくれたもじをさがせ!」なんて、あまりにタイムリーな冊子。父はついいましがた、そういうを読み終えたところです。 ***** ヒッタイト、ヒエログリフ、線文字Bといった古代文字解読のエピソードに軒を連ねるマヤ文字解読。ひとつ前のエントリに紹介したような文字の一般的性質を手がかりにしながら、言語学者が考古学者と手を結んで文字を解読した物語を紹介したのが、マイケル・D・コウ『マヤ文字解読』(→amazon)だ。こちらは物の「かくれたもじ(の読み)をさがせ!」である。この訳書は2003年に出版されている。 マヤ文字が表語文字と音節文字の混在したもの、とは言語学の概説書にもある。しかしたとえば僕が小さな頃の古代文明には未解読の文字とされていたような記憶が、うっすらとある。手元にある『世界言語文化図鑑 世界の言語の起源と伝播』(→ama

    マイケル・D・コウ『マヤ文字解読』読了
  • いつまで続くか分からんけども

    出張エピソード最終話。秋田出身の年上の方と車の中で。 「ご実家ってどういう卓だったんすか」 「うちは肉とかあんまりべなかったなあ。ものすごいしょっぱい塩鮭とかならよくべた」 「あー」 「それでご飯をたくさんべるのが基」 「秋田の内陸だと魚はあんましってことすかね」 「でもハタハタは飽きるほどった。内陸なのになんでハタハタだけトロ箱にドーンって」 「あー」 「それを味噌汁に入れて塩鮭とかね」 「しょっぱい物好きって健康にどうなんすか」 「いいわけないんだけど、でも塩気が薄いとった気がしないんで、何でもしょっぱかったなあ」 「野菜はどうなんですか」 「ぬか漬けに醤油かけたりしてたかも」 僕は祖母から聞いたべ物の話で覚えているのが2つあって、1つが塩辛の烏賊。冬になると多めに作って壷に入れて屋外で保存したとか。高校生くらいの時に作り方を教わって、今もちょくちょく作る。もう1つがぬ

    いつまで続くか分からんけども
    Nean
    Nean 2013/12/15
  • 「毛越寺」モウツウジという読み

    お寺のホームページ(毛越寺|毛越寺の由来と歴史)によれば、この不思議な読みの由来は次のように言われる。 毛越寺はモウツウジと読みます。通常、越という字をツウとは読みませんが、越は慣用音でオツと読みます。 従ってモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したものです。 『日国語大辞典第2版』では「もうつじ」「もうえつじ」「もうおつじ」も一応立項する。ただその読みの根拠は示されていない。円仁が落ちていた鹿の毛に導かれてこの場所に開山したことにちなみ、「毛越(けごし)」を音読みにしたものという。吾鏡にも記載があるというので調べてみると、確かに出てはいる(→吾鏡データベース)がその読みまでは分からない。特殊な読みなのですでに故実読みとして広く知られていれば、写の類であれば読みの年代も推定できるだろう。 モウオツジ>モウツジ>モウツウジという変化は、東北が全般的にシラビーム的特徴(伸ば

    「毛越寺」モウツウジという読み
  • 床屋談義

    いつも髪の毛切りに行ってるところで、仕事バレした。別に隠しているつもりもなかったが、特に聞かれないままの5年間だったがようやく。というシチュエーションはフツーにあることだよね。 以前はこちらの情報は特にないので、時どきに応じた話題を宙ぶらりんに語れた気持ちよさがあった。なんだかそういう無責任でいられる空間がなくなっちゃったなーと思う。匿名つうんは楽ちんで気持ちいいものな。サッカー選手の話や駄菓子の話、近所の小学校で誰がどうのという話、たまに原発の話なんかもした。天下国家とか全然関係ないスモールトークで、しかも人称のない世界だった。髪の毛切りに行くところの匿名性というか、誰が誰に話しているんだかよく分からない、誰の何に役立つでもないどうでもいい加減な感じは、失ってみれば貴重な何かではあった。 地方に暮らすヨソモノ(8年も山形に住んでまだ言うかとも思うが)としては、匿名性が少しずつ失われて地に

    Nean
    Nean 2013/12/07
    あぁ。
  • ビー玉の語源

    ビー玉の語源はビードロ(ガラス)の玉である旨を授業で紹介したら、学生のリアクションペーパーに異説が記されていた。曰く、A玉とB玉というのがあって、規格品外のB玉がラムネの瓶に入れられたことが語源であるという。 初めて聞いたわと思ってネットで見てみると、そういう説は確かにある。結論から言えば、典型的な民俗語源というやつで、言語学的な根拠はない。シアサッテの次を4の理解でゴアサッテと言うにひとしい現象だが、B玉というのもなかなか面白いケースだと思う。少し前にちょっとワル風のファッション・外見をした人のことを指してB系ということがあった。ほどなくしてオタク風のファッションをした人のことを、秋葉原のAを取ってA系ということもあった。範列のパターンで言葉が作られる例といえる。 ラムネ瓶の製造、ビー玉遊びの歴史などの経緯は、ビー玉の語源を追い求めて - 最終防衛ライン2に詳しい(文化史的に大変面白い記

    Nean
    Nean 2013/11/28
    へぇー。最初に耳目にしていれば、たぶん信じちゃっただろうな。
  • 岩城けい『さようなら、オレンジ』

    率直に言って、仕事をやりすぎて言葉がぼけた。もう数年そんな状態の気がする(年なのかも知れないが)。ブログを一生懸命書いていた頃は、もっと言葉をうまく探り当てて並べることができたんじゃないか。こういうふうにはなりたくない、という不可逆的な力をうすうすと感じながら、日々少しでも抗う気持ちでいます。 岩城けい『さようなら、オレンジ』を読んだ(→amazon)。得体のしれない小説を読んだ。いや、物語の装置は僕には馴染みの深いものばかりで、これを書いた人は第2言語習得についての研究をどこかでかじったことがある人に違いない。あるいは識字の持つポジティブ/ネガティブな力について、一度ならず圧倒された人であると思う。サピアもウォーフも出てくる。言葉を習得するということはその暴力的な、どうしようもない力に蹂躙され、破壊され、そのあとで別の新しい自分に新生することだ。少なくとも言語学習の持つ見逃せない一側面と

    岩城けい『さようなら、オレンジ』
  • ポストモラトリアム時代の若者たち

    村澤和多里・ 山尾貴則・村澤真保呂『ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて) 』(→amazon)読了。ちょっとグッと来たのでレビュー。 大学を「モラトリアム」と揶揄しようとして「サナトリム」と呼んだ人に最近出会って、なんだかこの人の中では大学は何かを猶予されている病棟のように映っているのだなあと思ったことがある。書をざっくり説明すると、そういう風に見ようとする視座も分からなくはないけれど、でもそう見えているのだとしたらそれって学生の質的な無気力によって生まれたものではないよね、と教えてくれる書の話の枠組みは、(1)フォーディズムのもとで農村=自然から都市=社会に組み込まれていく段階、自己変革の猶予段階としてのモラトリアム論から、(2)消費社会まっただ中では自己も消費されてしまうので自分探しとしてのモラトリアムが横行、(3)ポストフォーディズムでは(2)とは逆に

  • ついに乙嫁語りに手を出した

    たぶん美味しいんだろうけれど、今べちゃうと後で「美味しいものがべたい」と思うときに手を伸ばす物がなくなってしまうから。たぶんそういう理由で読まなかったのだと思う森薫『乙嫁語り』(→amazon)をとうとう読み始めてしまった。まだ2巻までしか読んでないが、まず間違いなく絵や線が好き。中央アジア&(少なくともここまで)布のテキスタイルとか装飾品がフィーチャーされているところは、五十嵐大介『魔女』の一編を思い出す。一体、マンガで刺繍の綾目を丁寧に書き込もうというのはどういう欲望からやってくるのだろうと思う。そのものずばり刺繍なのかな。何にせよ、絵を細部まで書き込んでいく快楽は、ストーリー作りとは違う快楽なのでしょう。 掲載誌「Fellows!」を手に取ったことはないけれど、wikipedia(ハルタ - Wikipedia)を見ると隔月発行のために画力重視の作家さんたちが集まって、「1コマあ

    ついに乙嫁語りに手を出した
    Nean
    Nean 2013/05/26
    気になる。立ち◯みフラグ。