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ブックマーク / aki1770.hatenablog.com (11)

  • グーグルとの比較から見えるツイッターの価値 - 考えたヒント - 駒田明彦

    ツイッターを叩くことがかなり流行しているようだが、ツイッターの使い方をよく知らない人(使い方が悪い人ではなくて)のために言うと、その価値にはとても感心させられる。わたしはいまニューズを知るのに、フィード・リーダー以上にツイッターを使うことに多くの時間を割いている。それはわたしにとって驚くべきことだ。だが、マーク・キュバンの言ったことがいちばん核心を突いていると思う。あらゆる点で、ツイッターはグーグルより有益となりつつある、とキュバンは言う。これはツイッターがグーグルを「やっつける」ということではない(xがyをやっつける、というのはへたな論法だ)。だがいまや多くの人が、かつてはグーグルを通じて見つけていた情報を、ツイッターを通じて見つけているのだ。(つづきを読む) I recognize that it's becoming fashionable among many to bash Tw

    グーグルとの比較から見えるツイッターの価値 - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2009/05/17
    たしかに時事的な話題に関してはまったくそのとおりだと思う。
  • グーグルのクッキーは全員のウェブ閲覧状況を追跡している? - 考えたヒント - 駒田明彦

    Micro Persuasion: Is the Google Cookie Tracking Everyone's Surfing Habits? (January 29, 2009 Posted at 09:25 PM Steve Rubel) (This is a translated version of the "Micro Persuasion" blog post. Thanks to Steve Rubel.) グーグルは今夜、「グーグル・アド・プランナ」に重要な変更を加えた。その変更によると--少なくともわたしが読むかぎりでは--グーグルは、あなたがグーグルのクッキー経由で訪問したすべてのサイトの履歴を追跡して、そのデータを集めて広告主に提供するようになった。もしわたしが取り違えているようなら誰か教えていただきたい。(この投稿に瑕疵があれば、修正するつもりです--それでも

    グーグルのクッキーは全員のウェブ閲覧状況を追跡している? - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2009/02/02
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦

    気がついてみれば自分はすでに10回この題目で書いたらしい。 『日語が亡びるとき』の読み方にはいろいろあると思う。自分でもいろいろなところに後から注意が散らばっていくのを感じて、読み返せば読み返すだけ違った気持が新たに生まれてくる。これはちょっと不思議な感じだ。 『三四郎』に出てくる広田先生という人物が水村の語りによってしばらく焦点を当てられる。先生といっても三四郎の通うことになる大学の先生ではなくて、広田先生は高等学校の英語教師で、西洋語の書物に詳しい人物という役回りとして現れる。広田先生は一種の変わり者として描かれていて、それは漱石のねらいと水村の解釈が一致していると思われる点だ。それはどういうことかというと、翻訳者を養成する役回りで自分は十分と考えていることで、自分はたくさん読むけれど、ほとんど書こうと思わない人物で、これが変わり者であったということ。これについては水村が例によって秀

    「日本語が亡びるとき」を読んで(11) - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2008/11/17
    すごくまじめだなぁ。
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(10) - 考えたヒント - 駒田明彦

    「新潮」9月号に掲載された冒頭3章を読んでから2か月以上たってあらためて単行『日語が亡びるとき』を読んだわたしの感想は、これを読んだ人から見て、いくらか焦点がずれているかもしれない。わたしがいま書いていて心配に思うのはそこがうまく通じるかどうかだ。 正直なところ、この単行は値段が高い。もうすこし安く、多くの人に届けばいいと思うのだけれど。 いや、そんなことは気にならない、読みたくなければ買わなければいいだけという言い分もあるだろうと思う。だがひとつここで確かめておきたいのは、誰かがなにかを書いて言おうとしたとき、それがどのように伝わるかは書き手には決められないということだ。なにが問題かというと、現代では出版物の値段が高いということが、読者を選ぶということにはかならずしもならず、むしろ出版された自体よりも出版されたという事実がいちはやく知れ渡り、その周辺で語られたことが注目されやすく

    「日本語が亡びるとき」を読んで(10) - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2008/11/16
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(9) - 考えたヒント - 駒田明彦

    『日語が亡びるとき』という題名について云々論じたけれど、ここで解題が求められているのかどうか自分でもよくわからない。次になにを話したらいいかしばらく考えてみたけれど、あんまり突っ込んだ話はしないほうがよさそうな気がした。というわけで話をずらしてみる。 吉田健一、エリオットと、わたしが思いついた作家たちはふたりとも、フランス語の詩にかなり深く入れこんでいた。水村が18世紀、19世紀、20世紀にわたって世界でもっとも尊敬されていた<国語>は英語ではなくフランス語だと述べている(2章の冒頭)。それはたしかにその通りかもしれなくて、その頃の哲学者にしろ、詩人にしろ、フランス語で活動して大きな仕事をした巨人は20世紀の終わりまでずっと、避けて通れない門だった。それはもう、わたしが説明しなくても言い尽くされていると思う。 その水村がパリでの国際学会に呼ばれて人前で話した、そのフランス語での講演を自分

    「日本語が亡びるとき」を読んで(9) - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2008/11/13
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(8) - 考えたヒント - 駒田明彦

    吉田健一の評論に「文学が文学でなくなる時」というものがある。 いや、「日語が亡びるとき」をはじめて目にしたとき、なんだか見覚えのある題名だなと思ったのだ。それがしばらくたってからよくよく考えてみたら、うーむこれじゃないかなと思えてきた。たぶんこれであろう、とあたりをつけてみたのだ。邪推と言われそうだけれど。 「文学が文学でなくなる時」とはなにか。要は文学を「真面目に」人に教えるようになったとき、それが「文学が文学でなくなる時」だというのが吉田の意図だったと覚えている。 (わたしの偏見が入った)説明をすると、じっさい英国で文学科が大学に置かれたのは19世紀になってからで、そもそも文学という呼び方じたい、あとから付けてみたものだった。というか、日では「昔は文学のことをただ文と言った」と吉田は言う。英国で文にあたるものはそれまで「クラシックス」などと呼ばれ、英国の寄宿学校や大学で、男子学生に

    「日本語が亡びるとき」を読んで(8) - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2008/11/11
    だよねぇ。
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(6) - 考えたヒント - 駒田明彦

    単行として完結した「日語が亡びるとき」が今日、アマゾンから届いた。 ちょうど5分前ほどに読み終えて、ふと思い立って梅田さんのブログを見に行ったらなんと、梅田さんも一読後の所感を書かれていた。 水村美苗「日語が亡びるとき」は、すべての日人がいま読むべきだと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan (2008-11-07) なんと、インターネットの世界は驚きに満ちていることか。 たぶん、いま梅田さんはアメリカにいて、そこからブログを書き込んだのだと思われる。 その数分後には、わたしがそれを見つけて(ちなみにわたしはRSSリーダーをつかわない)おおお、とびっくりする。 しかも、それを書いてブログに公開したとたん、梅田さんに読んでもらえる状況になる。 それだけではない。 水村さん(日に住まわれているのかわからないけれど)にも、読んでも

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    Nean
    Nean 2008/11/08
  • モジラの驚くべき道のりをたどる - 考えたヒント - 駒田明彦

    Business & Technology | Tracking Mozilla's amazing journey | Seattle Times Newspaper (October 6, 2008 at 12:00 AM By Pete Carey, San Jose Mercury News) John Lilly became chief executive of Mozilla in January, moving up from his role as chief operating officer. He's been with the company that created the open-source Firefox browser since 2005, the year Firefox 1.5 was released. ジョン・リリーは1月にモジラの最高経営責

    モジラの驚くべき道のりをたどる - 考えたヒント - 駒田明彦
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(5) - 考えたヒント - 駒田明彦

    水村美苗さんが小説家として「日語が亡びるとき」を書いたことは、すぐには多くの賛同が得られないかもしれないけれど、そのうちに「ああ、あれはこのことだったんだな」と思い返す日が来るのではないかな。なんというか、ゆっくり効く湿布薬のように。 そう思わせるのは、この部分を読んだのがきっかけだろうと思う。 数え切れないほどの文学の新人賞が生まれ、日語に細かい網をはって、わずかでも書く才があれば拾い上げてくれるようになって久しい。すべての国民が文学の読み手でもあれば書き手でもあるという理想郷は、その理想郷を可能にするインターネット時代が到来する前、日にはいち早く到来していたのであった。 だが、そのときすでに日近代文学は「亡びる」道をひたすら辿りつつあった。 ここで日近代文学が亡びる、と言っているのは日文化が西洋で広く受け入れられ、主要な文学と認められていた土台が崩れるということを意味してい

    「日本語が亡びるとき」を読んで(5) - 考えたヒント - 駒田明彦
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    Nean 2008/09/26
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(3) - 考えたヒント - 駒田明彦

    つまり、英語の優位はたしかにあって、日語で書かれたものが長い目で見て強く残っていくとは思えず、かといって英語文化が日語をもうすこし柔軟なものにしていくのかといえばそれもあやうい。 それでも、力強い日語で書かれたものはしっかりと、外に出て行き衆目にさらされて正しく評価されるだけの可能性がじゅうぶんある。 たとえば、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』は韓国語に翻訳され、それを読んだ韓国人が梅田さんのブログに日語でコメントしたという。これは梅田さんの日語が力強いものだったからだろう。 日語を再編成していくのも無理ではないといったのは、そういう意味だ。いったん日語の形式が壊れてしまっても、外国語に翻訳され、読まれることによって日語が強くなることは可能だ。つながる磁力は言葉が生き残るチカラになる。 これを、わたしは「日語が亡びるとき」を遠ざけるひとつの手だと考える。 だが話が言うほど

    「日本語が亡びるとき」を読んで(3) - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2008/09/22
  • 「日本語が亡びるとき」を読んで(1) - 考えたヒント - 駒田明彦

    翻訳という仕事を名前の一部にいれた会社を設立し、ブログをはじめたとき、わたしはいくつかの決め事を自分に課した。 毎日英語で読む 毎日日語で書く 誰にでもわかるように書く この決め事のなかで、いちばんむずかしかったのは、3つ目のものだった。 誰にでもわかるように書く。 これはわたしにとっては、左腕でボールを投げるようなものだった。使ったことのない筋肉を無理に動かすような感覚で、筋肉がつってしまいそうなものだった。 わたしにとって、相手が誰と決めずになにかを伝える、知らせるために「誰にでもわかるように書く」ことは、そのくらい不慣れなことだった。それが幸か不幸かはわからない。 大学に8年間在籍していたわたしにとって、書くと言ったらまずは論文のことだった。論文はほとんどの場合、先生に見せるために書いていた。わたしは初めにどの先生が読むのか考えて、心が決まってから書き始めた。書き始めた時点で、もう

    「日本語が亡びるとき」を読んで(1) - 考えたヒント - 駒田明彦
    Nean
    Nean 2008/09/18
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