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「日本語が亡びるとき」を読んで(8) - 考えたヒント - 駒田明彦
吉田健一の評論に「文学が文学でなくなる時」というものがある。 いや、「日本語が亡びるとき」をはじめ... 吉田健一の評論に「文学が文学でなくなる時」というものがある。 いや、「日本語が亡びるとき」をはじめて目にしたとき、なんだか見覚えのある題名だなと思ったのだ。それがしばらくたってからよくよく考えてみたら、うーむこれじゃないかなと思えてきた。たぶんこれであろう、とあたりをつけてみたのだ。邪推と言われそうだけれど。 「文学が文学でなくなる時」とはなにか。要は文学を「真面目に」人に教えるようになったとき、それが「文学が文学でなくなる時」だというのが吉田の意図だったと覚えている。 (わたしの偏見が入った)説明をすると、じっさい英国で文学科が大学に置かれたのは19世紀になってからで、そもそも文学という呼び方じたい、あとから付けてみたものだった。というか、日本では「昔は文学のことをただ文と言った」と吉田は言う。英国で文にあたるものはそれまで「クラシックス」などと呼ばれ、英国の寄宿学校や大学で、男子学生に
2008/11/12 リンク