かつて「山崎正和」という地味な評論家がいた。劇作家という肩書も使っていたようであるが、劇作家とは名ばかりで、『世阿弥』という作品が目立つ程度で、実質的には何も活動していないに等しい自称・劇作家だった。また文藝評論家としてもそれなりに活躍していたが、同世代の江藤淳や吉本隆明、秋山駿、柄谷行人等の影に隠れて、その存在感は薄く、『闘う家長ー鴎外論』という作品が目につく程度で、さほど活躍していたわけではない。しかし、一方では、京大系文化人としての山崎正和は、『不機嫌の時代』や『柔らかな個人主義の誕生』などに代表されるような文化・文明評論家として、ないしは大阪大学教授として、マスコミ、ジャーナリズム、論壇で、いっぱしの「一流文化人」という役割を演じていたように思われる。僕も、『闘う家長ー鴎外論』や『反体制の条件』などという書物は、それなりに熱心に読んだものである。しかし、僕には、山崎正和の書くものは