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ブックマーク / dokuhebi.hatenablog.jp (11)

  • 山崎正和の「ブログ・ツイッター」論」をめぐって。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    かつて「山崎正和」という地味な評論家がいた。劇作家という肩書も使っていたようであるが、劇作家とは名ばかりで、『世阿弥』という作品が目立つ程度で、実質的には何も活動していないに等しい自称・劇作家だった。また文藝評論家としてもそれなりに活躍していたが、同世代の江藤淳や吉隆明、秋山駿、柄谷行人等の影に隠れて、その存在感は薄く、『闘う家長ー鴎外論』という作品が目につく程度で、さほど活躍していたわけではない。しかし、一方では、京大系文化人としての山崎正和は、『不機嫌の時代』や『柔らかな個人主義の誕生』などに代表されるような文化・文明評論家として、ないしは大阪大学教授として、マスコミ、ジャーナリズム、論壇で、いっぱしの「一流文化人」という役割を演じていたように思われる。僕も、『闘う家長ー鴎外論』や『反体制の条件』などという書物は、それなりに熱心に読んだものである。しかし、僕には、山崎正和の書くものは

    山崎正和の「ブログ・ツイッター」論」をめぐって。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2011/01/18
    これはこれでわからん話ぢゃないけどなぁ。うーん。
  • 保守論壇の御用文化人どもが自民党を崩壊させた。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    自民党を現在の崩壊的危機に導いたのは、自民党を甘やかし、それと同時に自民党政治家たちに迎合し、ひたすらゴマスリを続けてきた保守論壇の御用文化人たちだが、ささしずめ渡部昇一はその筆頭だが、東條英機について、こう書いている。 東條さんが陸軍次官になったのは昭和十三年(1983年)ですから、支那事変勃発の翌年です。ですからここで注目しておきたいのは、東條さんは、支那事変が起こったことには何の責任もないということです。支那事変はアメリカとの戦争につながる一番の大きな要因ですが、それには東條さんは何の関係もなかったということは指摘しておくべきでしょう。それから昭和十一年(1936年)の日独防共協定にも、昭和十二年(1937年)の日独伊三国防共協定にも関係しません。全く関係がなかったということを強調しておかねばなりません。(『東條英機 歴史の証言』) 渡部昇一の『東條英機 歴史の証言』は、こういう言

    保守論壇の御用文化人どもが自民党を崩壊させた。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2009/10/19
  • 東京地検特捜部を裏で動かしているのは誰か??? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    表が駄目なら裏世界があるさ、というわけだろうか、小泉元首相が、表の政争の世界で、麻生内閣への「倒閣運動」からの「撤退宣言」をしたのが一昨日だったが、その翌日、つまり昨日(2・3)、東京地検特捜部が、小泉「撤退発言」に呼応するかのようにタイミングよく、すばやく動いて、小沢一郎・民主党代表の政策秘書を、「西松建設献金疑惑」という嫌疑で逮捕し、小沢後援会事務所を家宅捜索までしたというわけだが、まさに今、盛り上がりりつつある『かんぽの宿疑惑』事件の火消しと隠蔽工作としては、なかなか格好のニュースと映像が出来上がったわけで、とすれば、この二つの「事件」に、何か因果関係はないのだろうか、と疑いたくなるのは当然だろう。それとも、何か共通するものが、この二つの事件の裏で動いたのだろうか。僕の持論である「小泉純一郎、ないしは、小泉一派が『政治的危機』に陥ると、意外な事件が捏造され、逮捕者が出る…。そして肝心

    東京地検特捜部を裏で動かしているのは誰か??? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2009/03/05
    どうかなぁ。
  • 保守論壇を「愚者の楽園」にしたのは誰か? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    実質的な「万年与党」として戦後政治史を一貫して主導してきた自民党だが、今や自民党の政権政党からの脱落、自民党の野党化、そして自民党の分裂・解体という現実がすぐ目前にせまっていることは誰もが知っていることであって、それ故に自民党議員の多くが、泥船自民党からの離党、脱党、そして政界再編を視野に入れて浮き足立っていることは、今更ここで、あらためて強調するまでもないことは重々承知しているつもりだが、これはやはり戦後政治史にとっては、画期的というか、衝撃的な現実であって、ここであらためてそれを強調し、そうなってしまった原因と根拠を分析・解明していくことは、決して無駄なことではないだろう。そこで、この問題について、僕が、僕なりの視点から考えることは、自民党と保守論壇、あるいは保守ジャーナリズムとの関係性である。言い換えれば、それは、自民党政治家たちの保守論壇の言説の口真似としての「評論家化」という問題

    保守論壇を「愚者の楽園」にしたのは誰か? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2009/01/29
  • これが「小林よしのり迷言集」(笑)だ。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ← 人気ブログランキングへ そもそも、小林よしのりは「沖縄集団自決裁判」の基文献である『沖縄ノート』を、これまで、一度も読んだことがなかった、そして小生(山崎行太郎)に批判されて、今回初めて読み通してみたが、読むこと自体大変な難行苦行だった、と告白しているところから考えて、『沖縄ノート』を「読んでいない……」ことは、ちっとも恥ずかしいことではないらしい。ということは、小林よしのりって、実は、普通の人が恥だと思うようなこと、たとえば『沖縄ノート』を読まずに「沖縄集団自決裁判」の議論するようなことを、ちっとも恥とは思わないだけでなく、そういう種類の事を平気で、自慢たらしく告白する人らしい。たとえば、こんなことも言っている。 もつとも、土でも「保守側の劣化」などと批判している人もいるけどね。山崎行太郎という評論家が自称保守の立場から琉球新報に書いていたけど、曽野綾子と大江健三郎のテキストをき

    これが「小林よしのり迷言集」(笑)だ。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2008/06/26
  • 馬鹿学者は黙ってフィールド・ワークでもやってろよ。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ← 人気ブログランキングへ 小林よしのりが、マンガで沖縄問題を考えるしか能のない沖縄在住の似非文化人とドシロートを集めて作ったお粗末な、いわゆる新刊の座談会『誇りある沖縄へ』で小生(山崎行太郎)を批判している部分は、つまり第五章の「『沖縄ノート』をいかに乗り越えるか」の部分だが、この部分は明らかに、後で、つまり編集作業がほぼ終わった時点で、このまま出したら商品価値がなくなるというわけで、やってもいない対談とかを、あわててでっち上げた挙句、新刊の末尾にこっそり付け加えたものであろうことは明らかだが、この対談の部分だけ、小林よしのりと宮城能彦の二人だけの「対談形式」になっているから、笑わせる。さて、その小林よしのりの対談相手の宮城能彦だが、沖縄村落社会論専攻の沖縄大学教授(社会学)らしいが、著書、論文のタイトルが『共同店ものがたり』と『共同売店から見えてくる沖縄村落の現在』(論文)という

    馬鹿学者は黙ってフィールド・ワークでもやってろよ。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2008/06/23
    だわねぇ。
  • 保守論壇を憂う(3)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    以下は「琉球新報」に掲載された連載コラム「保守論壇を憂う。」の最終回です。 保守論壇を憂う。(3) 山崎行太郎 (文藝評論家、埼玉大学講師) 秦郁彦氏を筆頭とする保守論壇の面々が、「軍命令はなかった」と主張するもう一つの論拠に遺族年金給付手続きの問題がある。つまり、「軍命令があった」という「軍命令説」証言は、遺族年金受給のための「偽証」だったと、関係者(宮城氏、宮村氏、照屋氏)が告白し、「詫び状」まで書いている、だから「軍命令説」は破綻した、というのが保守論壇の定説だ。しかし、ここにも理論的欠陥がある。遺族年金手続きが問題になったのは昭和30年前後だが、「軍命令説」は昭和25年に刊行された『鉄の暴風』に既に記録されている。とすれば、論理的に考えれば、関係者の証言で、たとえ軍命令説の「偽証」が明らかになったとしても、「軍命令はなかかった」ということの証拠にはならないだろう。 さて、「沖縄集団

    保守論壇を憂う(3)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2008/05/03
  • 保守論壇を憂う。(2) - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    次は、「琉球新報」連載コラム「保守論壇を憂う。」の二回目です。 ●保守論壇を憂う。(2) 山崎行太郎 (文藝評論家、埼玉大学講師) 思考停止に陥っている昨今の保守論壇を象徴するかのように、多くの人が基文献すら読まずに、盲目的に妄信する『ある神話の背景』のテクストは、よく読んでいくと実証的文献資料としては欠陥や矛盾だらけのテクストであることがわかる。その一つが曽野氏が力説する「現地取材万能主義」の問題である。曽野氏は、「自分は渡嘉敷島の現地に行き直接取材した。『沖縄ノート』を書いた大江氏はそれをしていない。だから『沖縄ノート』は信用できない」と大江氏を批判するが、はたしてそんなに単純な問題なのか。 私は、先日、「沖縄集団自決裁判」問題で佐藤優氏と対談(「月刊日」3月号)したのだが、佐藤氏は、「情報分析のプロは現地には行かないものだ、現地に行くと私的感情や先入見が入り込むからだ」と言ってい

    保守論壇を憂う。(2) - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2008/05/02
  • ヤラセか自作自演か……「つくる会」の藤岡信勝会長の「宮平秀幸との偶然の出会い」は「ヤラセ」か「自作自演」じゃないの? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    「誤字誤読事件」の勃発で自滅・逃亡した曽野綾子に代わって、今、売り出し中の新証言者・宮平秀幸について、おかしな話が伝わってきたので紹介しておこう。秦郁彦や藤岡信勝等をリーダーとする「渡嘉敷島・座間味島ツアー」の面々は、座間味島で、なんとも不思議なことに、偶然に宮平秀幸という未知の人物に出会ったのだそうであるが、しかし藤岡信勝のレポート(http://www.jiyuu-shikan.org/rekishi152.html)を読むと、確かに「宮平秀幸との出会い」は偶然であったかのよに書いてあるが、その先に続く文章を読んでいくと、すでに梅澤裕と宮平秀幸がその前に情報交換し、藤岡等の「来島(訪島)」を知っていて、宮平秀幸の方から「藤岡さんはいませんか……」と声を掛けてきたと書いていることからも明らかなように、充分な打ち合わせと下準備を、準備万端整えた上での「偶然の出会い」(笑)だったことがわかる

    ヤラセか自作自演か……「つくる会」の藤岡信勝会長の「宮平秀幸との偶然の出会い」は「ヤラセ」か「自作自演」じゃないの? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2008/04/01
  • 赤松某は、沖縄住民を、何人、斬殺したのか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    僕が、曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)で、ちょっと問題だと思う部分はたくさんあるが、中でも、投降勧告にきた沖縄の現地住民や米軍の捕虜になった少年少女等を、赤松某が、次から次へと「スパイ視」して、斬り殺したり銃殺したり、自決させたりした住民斬殺事件に対する曽野綾子の冷酷な「まなざし」こそ、もっとも質的な、重大な問題をはらんでいると思う。この一連の沖縄住民斬殺事件に対する曽野綾子の主張は、一貫していて、僕なりに要約してみると、戦時下という非常事態の元で引き起こされた事件であり、赤松某にも赤松隊員にも、少なくとも法的な責任はない……、赤松部隊は住民の生命財産を守る軍隊ではなく、米軍に向かっての戦闘部隊なのだから、民間人の命が、何人、犠牲になろうとも、それも仕方がなかった……というものである。曽野綾子の『ある神話の背景』というが、あくまでも赤松某や赤松隊員の

    赤松某は、沖縄住民を、何人、斬殺したのか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2007/12/22
  • 大江健三郎は集団自決をどう記述したか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    意外かもしれないが、僕は、沖縄の集団自決において「軍命令」があったかどうか、あるいは教科書から「軍命令」の文言を削除すべきか、削除すべきでないか、というような議論に無関心だというわけではないが、今や、あまりにも政治問題化しているが故に、逆にそれほど興味はない。僕は、「文学批評」を専門にしているが、どちらかと言えば、「保守反動派」(笑)の文藝評論家なので、文学の世界で必要以上に持てはやされる広島や沖縄や韓国に関する左翼的言説や戦後文学的言説には身構える習性が身についている。広島の原爆や、沖縄の地上戦体験や、あるいは韓国の植民地体験などを主題にする文学や小説を、必要以上に持ち上げ、過剰に優遇する「戦後文学」的な価値観に、僕が一貫して反対してきた所以である。たとえば、芥川賞の歴史を点検してみればすぐ分かることだが、戦後文学は、広島や沖縄や韓国に、明らかに甘い。沖縄返還の頃、大城立裕の『カクテル・

    大江健三郎は集団自決をどう記述したか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    Nean
    Nean 2007/11/16
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