俺の食べるヨーグルトイチゴ味になる。 優しい世界
学園祭に行って唐揚げを買うと真ん中が冷たかった。 食べれないこともなかったので全部食べると腹を下した。 慌てて子供をつれてトイレに行くと「男の子だから女の子トイレ入りません、外で待ってるよ」と言われて緊急事態だったので一人で入った。 トイレで下痢をしていると中に複数の大学生が入ってきた子供の声も聞こえる、どうやら大学生を引き連れてきたらしい。 下痢音を大学生に聞かれている死にたい「ママー開けてー」と呼ばれ「開けられないけどここにいるよー」と答える、大学生達の笑い声が聞こえる。 慌てて外に出ると子供が大学生達に向かって「ママです!」と元気よく紹介してくれて、大学生達はこらえきれずに爆笑した。 何でこんなめに会わなければならないのか。 死にたい。
今日、後輩と焼き肉の話になった。 そして、「この店は美味しいんですよ〜」と言われてお品書きを見せてもらったら、一番安い肉でも2000円前後。 なかなか良い店知ってんな〜と思ったが、 「うちの子(幼稚園児)が、ここのお肉大好きで〜何皿もペロリと食べちゃうんですよ〜」と言ってきて驚いた。 えっ、まだ幼稚園に通ってる子がこんな高級な肉を? すごいな〜と思ってたら 「自分の親と一緒じゃないとこんな店はあんまり行けませんがね〜うちの子、祖父母におねだりするんすよ〜」とフォローを入れてきた。 それから今までずっともやもやしてたんだが、 最近まで高級な肉を食べられなかった自分と比べて、そして、うちの親は食に無頓着で外食も嫌いだから、 親に高い店なんか連れて行ってもらえなかったんだぞ…という嫉妬で、ずっとグダグダ考えてたんだなと気付いた。 負けず嫌いにも程がある。
子どもの頃から卵かけごはんが大好きだった。 お椀に卵を割って、カラザを取り除いて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて、ごはんの中心にくぼみをつけて、そこに卵を流し込んで、醤油をぐるっと一周。ひと口食べてみて少し物足りなかったら、ちょびっとだけ醤油を足す。 これが美味しくて、大好きで、でも毎日食べると飽きちゃうかもしれないから、気が向いたときだけ卵かけごはんにしていた。 18歳になって、大学で東京に出て一人暮らしを始めた。 卵かけごはんは一人暮らしの強い味方だ。美味しくて、簡単で、すぐに食べられて、お腹いっぱいになる。 何か作るのが面倒なときはいつも卵かけ御飯だった。 一人暮らしを始めた頃はごはんと卵でお椀を分けていたのだけど、洗い物がひとつ増えてしまうことに気づいてからは溶き卵のお椀の中に直接ごはんをよそうようになった。 長期休暇で実家に帰ったときの朝、食卓にはいつものようにごはんと味噌汁と、空のお
シルバーウィーク。 久しぶりに嫁ぎ先の京都から東京の実家へ帰ると父が料理をしていた。 母がいなくなって2年。 「最初は家の裏のスーパーの弁当ばかり食べていたが、最近料理をはじめたんだ。」 と嬉しそうに語ってくれた。 「せっかくだから食べて行きなさい」 はなからそのつもりだったが、父の焼いてくれた「サンマ」とインスタントの味噌汁と 惣菜コーナーで売っていたきんぴらを食べた。 「料理できるようになったんだね」 私はちょっと泣いていた。 「いつまでも弁当じゃ身体が悪くなるからな。ははは」 父は照れ笑いしていた。 唯一の料理と呼べるサンマの塩焼きはちょっと焦げていたが、 脂が乗っており美味しかった。 思えば父の手料理は初めてだったかもしれない。 それから、サンマをつつきながら、しばらく母の思い出を語り合った。 母は死んだのではなく、2年前に突然蒸発した。 「まぁ、元気でやってるといいけど。」 父は
祖母はコーヒーが大好きだった。 実際は俺がサイフォンで淹れる作法が好きで、いつも「一杯貰ってもいいかい」 と言ってきて、それに応えて喜ばれることは俺にとっても嬉しいことだった。 高校生だったある日、学校から帰ると従姉妹が遊びに来ていて、 俺の姿を見た祖母は、「コーヒーを淹れてくれないか」と声を掛けてくれた。 部活でヘトヘトになっていた俺は無造作にインスタントコーヒーを出してしまったが、 従姉妹とインスタントコーヒーの前でニコニコ笑いながら「ありがとう」と言って くれる祖母に、何の疑問も持たなかった。 ばあちゃん、気の利かない孫で本当にごめん。 ばあちゃんにコーヒーを淹れてあげることはもうできないけれど、 俺はおいしいコーヒーをみんなに淹れているよ。
もう何度目だメシマズ話。 うちの姉は子供の頃から味のない食を好んだ。刺し身に醤油はつけないしうどんは麺だけ食うし、こんにゃくもゆがいただけでいいらしい。そんなだからとにかく食に興味がない。寮生活をしている間に何故かジャンクなものは覚えて帰ってきたが、基本食事作りは面倒な用で盛り付けもしないし、常に茶色いぐっちゃぐちゃのものを鍋のまま出す(そのまま食卓に出すタイプの鍋でもないのに) 母親は特にメシマズではない。母方の祖母は本土と違う味付けの料理をしていたが、六十過ぎて料理教室似通ってから素晴らしくメシウマになった。母方家系は味覚が鋭いほうだと思うし自分はそれに輪をかけて味にうるさいタイプである。 父親もその世代にしてはわりと料理好きで普通にうまいものを作る。父方の祖母は味付けが塩だけのメシマズかつ殺人マシーンなので、姉の味覚異常はこの辺りから来ているのかもしれない。 そんな姉だったが、結婚し
我が家は調理中に調味料を使う事が殆ど無かった、肉や野菜の素湯でや素焼きに各々で何かをかけて食べていた。私はソースしかかけなかったので野菜も肉も世の中の食べ物は全てソースの味だとしか思わなかった。 最初に味が付いているものはあまり食べたくなかった。それを食べた後はよくお腹が痛くなるからだ。 火の通りという概念がなかった、生焼けでも食うし焦げていても食った。父は食べなかったが何も言わない、言うと母の機嫌が悪くなりケンカになるからだ。 飯を作るのが面倒くさい日にはチョコかポテトチップスかマシュマロが与えられた。マシュマロは好きだったがポテトチップスはソースをつけて食べた。チョコは口にまとわりつく感覚が気持ち悪く嫌いだった。 ご飯は普通だった、普通の米を普通に炊いて普通に食べていた。カレーは美味しかったが我が家のカレーとはルーを溶かしただけのお湯だ、ブイヨンとかコンソメとかは一切入って無かった。
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