どうも。 今日8月11日は ヒップホップの日! だということを、皆さんがご存知でしょうか? なぜ、この日がヒップホップの日として指定されているのか。それを話す前に、まず「ロックの日」の話しからしましょう。 ロックの日は日本だと6月9日。これ単純に「六と九だから」という、オヤジギャクみたいな決め方です。これに関しては実は国際的な指定日がありまして。それは7月13日。1985年のこの日に、当時、最大のロックイベントとなった「ライブエイド」、これが行われた日なんですよね。 では、ヒップホップの日はどうして8月11日なのかというと その日にヒップホップが生まれたとされているから。 それはどうやって生まれたのか。 その昔、ハイネケンのCMで、ディスコDJがあやまってヴァイナル・レコードの上にハイネケンこぼして、布でふきとっているうちにスクラッチが生まれた、というのをやっていましたが、もちろんそれは嘘
セックス・ピストルズ、ラスト・ライブの模様(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images) 1978年1月14日に開催された、セックス・ピストルズのラスト・ライブを振り返る。空回りするステージ。「騙された気分はどうだい?」と言い放ったジョニー・ロットン。バンドが終焉を迎えるまでの過程を、当日のライブ映像を交えながら、音楽評論家の小野島大に解説してもらった。 ロック史上最大級のスキャンダルにまみれたバンドのひとつであり、パンク・ロックという概念を確立・普及させた最大の功労者でもあるセックス・ピストルズ。彼らの登場は英国のみならず世界のロックの歴史を塗り替え、ロック・ファンの意識を大きく変えた。彼らによって人生を変えられたファンは世界中に数多く存在する。ピストルズ以前/以降で、世界の様相は一変したのである。 だがそのように世界を変えた彼らの実質的な活動
スロッビング・グリッスル(Throbbing Gristle)はいかにして生まれ、どのように倒錯し、なにゆえに死に絶えたのか……。スロッビング・グリッスルの創設メンバーであるコージー・ファニ・トゥッティ(Cosey Fanni Tutti)による、その内側からの衝撃のレポートが翻訳刊行決定。『アート セックス ミュージック』はele-king booksから9月12日発売予定。 ●『アート セックス ミュージック』 コージー ファニ トゥッティ (著) 坂本 麻里子 (翻訳) ※以下インフォメーションより ぐにゃりとうなだれた性交後のCOUMのペニスから、屹立し準備万端・完全に勃起したスロッビング・グリッスルへ。 一丸になったときのわたしたちは妥協なしのあなどれない力だったし、誰にも止められない、はち切れんばかりに充電されたドクドク脈打つエネルギーの塊だった。 (本書より) 伝説のバンド、
80年代後半。米国の地下で生まれた怪獣、珍獣、猛獣バンドたちが日本に来襲した。まぁ、びっくりしましたよ。こんな毒毒モンスターが、実はウジャウジャ這っていたなんて知らなかったんだから。それまでの洋楽シーンといえば、〈=英国音楽〉だったわけで、THE SMITHSが解散すれば、「ギャ〜ッッ!!」と嘆き、THE JESUS AND MARY CHAINが登場すれば、「ガガ〜ッッ!!」とノイズに溺れ、PRIMAL SCREAMがガレージロッキン化すれば、「ムム〜ッッ!!」と戸惑い、ロバ夫(THE CURE)が短髪にすれば、写真持参で床屋に駆け込み、「こんな感じにしてください」「あいよ! スポーツ刈りね!!」とされたように、ジャパニーズ洋楽ファンたちは、英国シーンに踊らされていたわけです。そう、米国なんてアウトオブ眼中。だって、当時輸出されていた米国インディー・ミュージックは、R.E.M.とか、TH
AMP(アンプ)は、<新しい音楽と出会う>をコンセプトにさまざまな音楽情報を提供するWEBメディアです。洋楽を中心に編集部がピックアップしたおすすめの音楽を、特集、レビュー、コラムなどを通してお届けします。10年ぶりとなる新作『ミュージック・コンプリート』をリリースしたニュー・オーダー。その前身バンドであるジョイ・ディヴィジョンは、ボーカリストであるイアン・カーティスの悲劇の自殺をメインテーマに語られがち。もちろんそれは仕方のないことでもあります。なぜならイアン存命中に完成させたアルバムはたった2枚で、リリースされていたのは1st『アンノウン・プレジャーズ』たった1枚。しかし果たしてジョイ・ディヴィジョンはそれだけのバンドなのでしょうか? ここに掲載する久保憲司さんが選んだ「ジョイ・ディヴィジョンのベストソング10曲」をひとつのテキストとして、今一度バンドの新たな側面に触れていただければ幸
★プラスチック・ベルトラン(PLASTIC BERTRAND)のデビュー曲にして世界的大ヒットとなった『Ca Plane Pour Moi』。1978年の1stアルバム『AN 1』にも収録されていますが、先にシングル盤としてベルギー、フランス、ドイツ等で発売。正しく、時代の寵児的に彗星の如くポップ・シーンへ登場したようです。ポップなロックンロール・ナンバーで時代がパンク旋風という中でなんともユニークな存在だったと想像します。 プラスチック・ベルトランとはロジェ・ジューレ(ロジャー・ジューレー)という男性アーティスト。1958年に、フランス人の父親とロシア人の母親の間に生まれたベルギー(ブリュッセル)出身のお方。ファッショナブルでどこかキュートな明るいキャラクターは一躍アイドルに!その後、ダリダの『BAMBINO』のカバー曲などもヒットさせていて、今も現役で活動されています。フレンチ・ニュー
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く